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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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ふと彼を思い出した。


母からの嫉妬心はもらったけど最初の愛はここかなと気付いたので置いておきます。


私のおじいちゃんは、養子に出された人で、農家のあと取りとして、親戚の家の子どもになった。

でも、その時代は、大地主の子どもにかなわなくてどんなに勉強を頑張っても一番にはなれなかったと聞いた。
テストで一番でも、全体の評価になると、2番だったって。

それと彼は戦争に行くことができなかったことを、とても悔やんでいた。
非国民だと思っていたんだろうね。

病気なんだから、仕方がないことだけれど、人間として失格みたいに思っていたのかな。

今だったら、おじいちゃんに「あなたがいなければ、私はいない」と伝えられるけど、当時は子どもだったから何かが違うと思っていても、言葉がないし、なんの力にもなれない。

そんなおじいちゃんは母には厳しかったけれど、孫の私にはあまちゃんで、なんでも新しい物を与えてくれた。
自転車。
チョコ。
おいしい食べ物。

なんでも。

けれど、そのあとの嫉妬というか、いやみも壮絶なものだった。

大好きだけれど、嫌い。

あとが怖いからね。

けど、そのおじいちゃんも、私の体を触ってきた。

おじいちゃんが好きだったから、小さい時から一緒の布団で寝てた。
10歳くらいかな。

おばあちゃんも、母も「一緒に寝るのはやめなさい」って言ったことがあるから、そういうおじいちゃんの癖みたいのは知っていたんだろうね、もしかしたら母も被害者なのかもしれない。

もうこの世に3人ともいないから、確認できないけれど。


大切にされないってどんなこと?

私だってまーがうらやましいよ。

でもさ。

まーが笑っていたら私はそれで満たされるんだよ。

おばあちゃんも、ママもそれは思わなかったの?

いいことばかりでもないけれど、悪いことだけでもないんだよね。

私は、まだまだいいことばっかりを探すし、わるいことばっかりを探す。

極端に。

振り子の幅はかなり狭くなってきたと思うけど、時々はいるブラックホールは怖いよ。

私がこんなに傷を追うってしていたら、少しは考えてくれた?それとも、俺の方が・・・っていう?
おじいちゃんの辛さもっと聞けたらよかったね。


毎日が怖くて、明日は来ないで欲しいって思っていた私が、朝は憂鬱だけれど、それなりに一日の中で楽しいことを見つけているよ。
けっこう自慢の孫になってると思うよ、おじいちゃん。

私はおじいちゃんの悲しみも受け取ったよ。
もう解放させていくよ。

私ね、いろんなことができるんだよ。
ママに言ってよ、kasumiを褒めてって。

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