虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/23 (Thu)
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- 2011/01/14 (Fri)
昨日の出来事
メンタルの通院の日だった。
先月年末年始はゆっくりできるのか?というDrの問いに、そうでもないことを告げて、「開き直って過ごしてくださいね」と念を押されていた。
・・・でどうしてたか?からいつも始まる。
しばし考えて、飛行機が飛ばなくてパニックる自分をけっこう押さえたこと。
これはパニックになる前に、「開き直って、仕方がないな」って考えられたってことですねえという。
長期休みが苦手な私だけれど、いろいろきっかけがあって、実父にあってきたと。
何年ぶり?と聞かれて、6ねん?分からないくらいぶりと答える私に、「会ってみようかな?って気持ちのゆとりが出来たってことですね」
・・・でどうだったの?と聞かれて、「彼なりの生きにくさ(戦争体験)とか、雪かきをして待っててくれた姿をみて、ずっと(長年)待ってたのかな?」と思った。
・・・・で、また会いに行こうとか思ったの?
「いや。このまま死ぬのを待つのは自分の中で長いなって思うし、自分のために終止符を打って、次に進みたいって思ったから、もう、会いに行く発想はないかな?(笑)過去の自分に囚われて生きていくのが苦しいし、それこそ前を向こうって思うんです」と答えた。
五十肩のことも、痛みどめの薬って、どう思うか?と聞いてみたら、「飲み薬は、副作用があるから、肩の痛みが止まっても、胃を壊すとか、別の反応がでるから、悪くなっていないなら、塗り薬のままが良いと思うよ」との話。
michieさんは、薬の反応が出やすいから、飲むのは最小限がいいですよ・・・と。
やっぱりね・・・(笑)
その帰り道、治療院による。
最近昭和のCDがかかっていて、今日は私向きだった。荒井由美、尾崎亜美、チューリップ、かまやつひろし、ダウンダウンブギ、甲斐バンド、アリス、堀内孝雄、寺尾聰、ジュディオング、オフコース、薬師丸ひろ子、原田知世、松任谷由美、ウルフルズ。
笑っちゃうくらいハマった。
私は中高時代の記憶はうっすらとしかないし、あっても嫌なものが多い。
治療もけっこう時間がかかるのは、丁寧に全身を温めてくれて、じわじわほぐしながら、がっつり肩の委縮している筋肉をほぐしてくれる。
昨日の朝は、手を伸ばした時に、「お~あがるじゃん」と少しうれしかったのだ。
前の日は、「いったいどうなるの?」くらい痛いし、しびれるし・・・。
けど、電話で話をした友人と、「原因がはっきりしているものは、ひどくなるもの早いけれど完治もはやいかもね?」と言われていて、そう長く続かないだろうとも想像していたけれど、こんなに早く結果がわかるのも面白いなぁ…と思った。
そしてその昭和の歌を聴いているうちに、軽いトランスにはいって行ったんだろう。
うっすらと、記憶がよみがえる。
何度か、自分の過去を切り取りたいって話す私にタッカが
「いいかい、michieさん、人と人は出逢いがあって、命が生まれる。michieさんの命だって、認めたくないだろうけれど、両親が生きていたからこそあるんだよ、わかる?」と、何度か力説してくれたことがある。
そんなの分かってるし・・・。
なんでそんなに必死に話すんだろう・・・と思って聴いていたけれど、彼は、手を変え品を変え説明する。
もちろん、頭の中では理解できているし、当たり前のことだとも思っていた。
けれど、
「消えてしまいたい」という気持ちを吐露出来る場はそんなになかった。
その時の、場所話し口調がそのまま出て来て、そこに小さいタッカが
「ひどいよ、michieさん、ちいさなkasumiがどんだけ頑張って生きてきたか、知ってるの?そのkasumiが頑張った過去を消しちゃうなんてひどいよ!!」って
大人のタッカの横で手をぐーにして、今にもパンチが飛んできそうな勢いで怒っていた。
多分私の中の何人かは、生きていくことを了解しているんだろうけれど、音楽に触れるようになって、一番底にいておそるおそる出てきたmichie(多分主人格)はおどおどしている。子どもになってしまったり、隠れたり忙しい。
その小さいタッカの「ひどいよ!!」と怒られた現実の私は、「あ!そうか。大人のタッカを通じて伝えて来てたのは小さいタッカが、怒っていたんだね、伝えたいことは、そのことなんだ」と「わかったよ~~」と返事をした。
そしたら、私の目から、大粒の涙がボロボロでてきて、目が覚めた。
そして、ダイヤか水晶なみに固い氷がすっと溶けいていく感じがした。
この現象はなんども経験しているけれど、今回のが最後かな?って思う。
とても固くて解けそうにない感じの塊だったのに、溶けて行ったから。
ティーンエイジのころ、深夜ラジオで聞いた曲。
父が帰ってこないと安心して寝ることができなくて、いつまでも起きていた。
そのころベスト100という歌謡曲のリクエストの番組があって、いつも聴いて歌詞を書きとめていた。
そのノートは、何冊にもなって行った。
昨日は、すべての曲が音階で聴こえ、スコアになっていた。
ハモリも聴きとれて、ベース、ギターも全部♪になってた。
そして、そのころguitarにも挑戦していたことも思いだした。
小さなguitarで、弦はすごくソフトなもので、pianoと同じようにドレミ・・・から初めていたのも、思いだした。
だから、guitarを弾いている人の手を見たら、コードの場所がわかるのかな。
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先月年末年始はゆっくりできるのか?というDrの問いに、そうでもないことを告げて、「開き直って過ごしてくださいね」と念を押されていた。
・・・でどうしてたか?からいつも始まる。
しばし考えて、飛行機が飛ばなくてパニックる自分をけっこう押さえたこと。
これはパニックになる前に、「開き直って、仕方がないな」って考えられたってことですねえという。
長期休みが苦手な私だけれど、いろいろきっかけがあって、実父にあってきたと。
何年ぶり?と聞かれて、6ねん?分からないくらいぶりと答える私に、「会ってみようかな?って気持ちのゆとりが出来たってことですね」
・・・でどうだったの?と聞かれて、「彼なりの生きにくさ(戦争体験)とか、雪かきをして待っててくれた姿をみて、ずっと(長年)待ってたのかな?」と思った。
・・・・で、また会いに行こうとか思ったの?
「いや。このまま死ぬのを待つのは自分の中で長いなって思うし、自分のために終止符を打って、次に進みたいって思ったから、もう、会いに行く発想はないかな?(笑)過去の自分に囚われて生きていくのが苦しいし、それこそ前を向こうって思うんです」と答えた。
五十肩のことも、痛みどめの薬って、どう思うか?と聞いてみたら、「飲み薬は、副作用があるから、肩の痛みが止まっても、胃を壊すとか、別の反応がでるから、悪くなっていないなら、塗り薬のままが良いと思うよ」との話。
michieさんは、薬の反応が出やすいから、飲むのは最小限がいいですよ・・・と。
やっぱりね・・・(笑)
その帰り道、治療院による。
最近昭和のCDがかかっていて、今日は私向きだった。荒井由美、尾崎亜美、チューリップ、かまやつひろし、ダウンダウンブギ、甲斐バンド、アリス、堀内孝雄、寺尾聰、ジュディオング、オフコース、薬師丸ひろ子、原田知世、松任谷由美、ウルフルズ。
笑っちゃうくらいハマった。
私は中高時代の記憶はうっすらとしかないし、あっても嫌なものが多い。
治療もけっこう時間がかかるのは、丁寧に全身を温めてくれて、じわじわほぐしながら、がっつり肩の委縮している筋肉をほぐしてくれる。
昨日の朝は、手を伸ばした時に、「お~あがるじゃん」と少しうれしかったのだ。
前の日は、「いったいどうなるの?」くらい痛いし、しびれるし・・・。
けど、電話で話をした友人と、「原因がはっきりしているものは、ひどくなるもの早いけれど完治もはやいかもね?」と言われていて、そう長く続かないだろうとも想像していたけれど、こんなに早く結果がわかるのも面白いなぁ…と思った。
そしてその昭和の歌を聴いているうちに、軽いトランスにはいって行ったんだろう。
うっすらと、記憶がよみがえる。
何度か、自分の過去を切り取りたいって話す私にタッカが
「いいかい、michieさん、人と人は出逢いがあって、命が生まれる。michieさんの命だって、認めたくないだろうけれど、両親が生きていたからこそあるんだよ、わかる?」と、何度か力説してくれたことがある。
そんなの分かってるし・・・。
なんでそんなに必死に話すんだろう・・・と思って聴いていたけれど、彼は、手を変え品を変え説明する。
もちろん、頭の中では理解できているし、当たり前のことだとも思っていた。
けれど、
「消えてしまいたい」という気持ちを吐露出来る場はそんなになかった。
その時の、場所話し口調がそのまま出て来て、そこに小さいタッカが
「ひどいよ、michieさん、ちいさなkasumiがどんだけ頑張って生きてきたか、知ってるの?そのkasumiが頑張った過去を消しちゃうなんてひどいよ!!」って
大人のタッカの横で手をぐーにして、今にもパンチが飛んできそうな勢いで怒っていた。
多分私の中の何人かは、生きていくことを了解しているんだろうけれど、音楽に触れるようになって、一番底にいておそるおそる出てきたmichie(多分主人格)はおどおどしている。子どもになってしまったり、隠れたり忙しい。
その小さいタッカの「ひどいよ!!」と怒られた現実の私は、「あ!そうか。大人のタッカを通じて伝えて来てたのは小さいタッカが、怒っていたんだね、伝えたいことは、そのことなんだ」と「わかったよ~~」と返事をした。
そしたら、私の目から、大粒の涙がボロボロでてきて、目が覚めた。
そして、ダイヤか水晶なみに固い氷がすっと溶けいていく感じがした。
この現象はなんども経験しているけれど、今回のが最後かな?って思う。
とても固くて解けそうにない感じの塊だったのに、溶けて行ったから。
ティーンエイジのころ、深夜ラジオで聞いた曲。
父が帰ってこないと安心して寝ることができなくて、いつまでも起きていた。
そのころベスト100という歌謡曲のリクエストの番組があって、いつも聴いて歌詞を書きとめていた。
そのノートは、何冊にもなって行った。
昨日は、すべての曲が音階で聴こえ、スコアになっていた。
ハモリも聴きとれて、ベース、ギターも全部♪になってた。
そして、そのころguitarにも挑戦していたことも思いだした。
小さなguitarで、弦はすごくソフトなもので、pianoと同じようにドレミ・・・から初めていたのも、思いだした。
だから、guitarを弾いている人の手を見たら、コードの場所がわかるのかな。
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