虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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夫が単身赴任してから、毎年春には網走まで高速バスを使って堪能しています。
今年は私の妹のところへ、保育係をしてから、夫のところへ。
なので、母の私は一人で何もせず・・・・です。(笑)
今日は総会があったので、時間をそれに使い、あとはなにもぜずストーブのそばで、調べ物を。
まだ、ディスクトップの部屋が寒いので、そちらへは行けず、ノートパソコンで遊んでいます。
映画見てこようかな。
2月は1本も見てないんだよね。
このままだと3月も終わっちゃうし。
天気が良かったら行ってこようかな。ついでに一人カラオケとか。(笑)
声出したいんだけどね。
家ですると近所迷惑だしね。(笑)
外は寒いしね。(笑)
ふと見ると、8万ヒットしてたんだわ。
びっくりだし。
この間6万ヒットって驚いていたばっかりのような・・・。
今のテンプレート、カウンターがよく見えないので気がつかなかった。
さて、今日で禁煙4カ月です。パチパチ。
桜にしているには少し訳があります。
私の大好きな人が桜が好きなのであります。
けれど、北海道を基準にしていると桜が散ってしまうので、早めに桜を意識しています。
それと、私は冬眠したいほど、冬が苦手です。
だから気持ちだけでも春を意識して、今年もなんとか冬を乗り越えたと思いたいのです。
冬は、吹雪の中の小さなkasumiが凍えているので、灯油代が高くなっても、部屋の温度を下げれません。
自分を労わってあげないと、ポロポロ泣けてきちゃうです。
なのに、ご飯食べない自分もいて。(笑)
もう!いったいどうしたいの?
あなたはどうしたいの?
何回も何十回も聞いて聞いて聞いて・・・・・。
それをエンドレスに繰り返す時期です。
でも、昔は寒くなる11月にやっと季節を感じていたので、春と冬を感じられるようになったことは、成長かもしれないのです。
夏・・・・。
わからないうちに、通り過ぎます。
そのうち、スイセンとか芝桜とか、咲いてくるので春はわかると思うんだけれどね。
小さな庭?に意識して毎年お花を植えますが、雑草と間違って抜いちゃう人が基本居るので、いつも、あ~~~~ってなっています。
今年はハーブを植えたいのですが、成功するでしょうか?
ミントでいっぱいにしたいんだけどな。(笑)
かすみ草大作戦も毎年失敗します。(笑)
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今日はタッカが来る前に、ミュージックサインとして初めて作った「ひだまりの歌」をCDで「元祖」ですと説明をして、ご披露。
なみちゃんが、「俺にできることある?」って聞いてくれたので、ハープを頼んでみたけれど、原曲はA♭なので、出来ず・・・・残念。
カズくんが来てからは、音の確認をして、前半は「りぼんバージョン」で、後半をわたげバージョン。
そして、友人から「わたげに興味があるんだって」と新しいメンバーを紹介され早速ウインドチャイムと、タンバリンを持って演奏に加わってもらいました。
わたげは、うまい下手じゃなくて、伝えたい、参加したい、なにかやってみたいって気持ちが基本大切で、できることを積み重ねて行けば、形になるのかな?となんとなく自分のピアノも含めて思っています。
自分のことを言えば、前回の同じ場所での演奏より、ずっと気持ちが楽だったし、ピアノのタッチも全く違った。
間違えないように必死じゃなくて、楽しいわ!って思って弾いてた。
そしたら、昨日の帰りがけ「kasumiさん楽しそうでしたね」って言われた。(笑)
楽しかったんだ。
出来ることが増えててうれしかったんだ。
去年の今ころは、こんなことになるなんて想像もしていないし、ピアノの鍵盤に触るなんてことも考えてなかったし、もちろん歌うこともそう。
ましてや、音楽が楽しいって思えるようになるなんて絶対ないと思っていたから。
聞くのは好きだけれど演奏する側になるなんて、本当にもう縁がないと思っていた。
一人では、できないけれど仲間の力を借りたら、できること増えるじゃん。
娘のまーさんは、そんな物語を作って、今回初披露していました。
それをろう者が見て、「ウルウル」していて、昨日まで、通訳するのは嫌だって出来なくなることを恐れていたけれど、今日は「出来る範囲で伝えること」を試みていた。
まーさんを見てると「こつこつとためていた力が一気に外に出る」瞬間を目で見れてとても面白い。
環境とか、本人の努力とか、発揮する場とかをしっかり与えられていけば、人間ってすごい力を持っているんだな・・って思う。
今回学んだことは、周りの人が知っている歌を弾き語るのはとても大変だということです。(笑)
間違うとばれる・・・・(笑)
けど、さんぽと、ドロップスは保育園時代の経験が生きたかも??
リズム運動の伴奏はほとんど私がしてたことを思い出しました。
卒園式(勤務先でも、娘のも)でピアノ弾いたこと、ありました。
だれが得意なんだろうね。(笑)
春はどこからくるのやら?ってお天気でしたが、楽しかったです。
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函館の市電の通りに庶民の台所中島廉売がある。
大型スパーの進出で、シャッターを泣くなくおろすお店も少なくない。
車がないと買い物にも行けない・・・そんな人たちが増えている。
かくいう私も街のど真ん中に住んでいるのに、近所のダイエーもつぶれちゃったし、ちょっとした、買い物が出来た100均もつぶれてしまって、買い物に車を使うッテことが多くなった。
ユニバーサルホームの事務所はその中島廉売にある。
私が函館に来たころ、この薬局にさえいけば、なんでもそろうみたいな薬局がシャッターを下ろしてしまった。
娘の離乳食、麺棒、おしりふきなどなど、薬だけじゃなく、いろんなものにお世話になった。
その薬局の建物を使って毎月「中島廉売横丁」として、屋台がでる。
今回は春休みバージョンと、つい最近4件のお店が火事に見舞われ、そのお見舞いチャリティを兼ねてイベントがある。
昨日は4月から中学生のひよこ・おやじバンド。
管楽器のアンサンブルに、ドラムがついて、(多分親子かな)ルパン三世とか、結構シブい演奏だった。
ママも来ていて、実は夫の同僚で、「あらためてご挨拶」になった。
産休に入ったのを知っているので、あの時の赤ちゃんが・・・みたいなきもちだった。(笑)
さて、島太郎の計らいで、おおちゃんが帰還していることと、従兄弟の智也くんが函館に来てるライブの中に、わたげに依頼をくれた。
いつもはりぼん+わたげ…みたいな形が多いというか、ほどんどで名実ともに「わたげです」というのは初めての経験だった。
演奏した曲も、子どもたちへのプレゼントで、「さんぽ」「ドロップス」(タッカの努力の結晶サイン初デビュー)
なごり雪、赤いスィートピー、旅立ちの日に。
友人のよしあきのリクエストで「天国は遠い町」(松田優作)
これが一番拍手が多かった。(笑)
エンドは、島さんのリクエストで「さあ!」
もちろんすべてサイン付き。
タッカの努力の結晶は、アンコールがかかるくらいの楽しさだった。
私はピアノを頑張っていたので、見れなくて残念だったけど、背中からサクマのドロップの袋が登場した瞬間だけは見た。(笑)
会議を終えて走ってきたろう者が、たった今終わったんだと伝えるととても悔しがっていた。
最後の演奏にもサインはつけたけれど、やっぱりわたげを見たいと今日も来てくれるらしい。
昨日のろう者のお客様は6人。
初めての人は動画を取っていた。彼らにとって楽しい時間が一分でも増えてくれたらそう願う。わたげ…飛んでいるね。
まーさんの「未タイトル」の物語もざわざわしていたけれど、だんだん聞いてくれる人が増えて行った。
今日は、夢の中にとか、ひだまりとか、用意しているもの出せるかな。
だせなくても、できることが確実に増えているから、見てもらえること、チャンスがまた来ると思う。
だって、私たちはわたげだから。
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私には、何人がリアルな友人で、子どもの私が受けた暴力について語れる時間があります。
それは、電話だったり、直接あえて話が出来たりして、私にもその友人たちにも、貴重な時間だと思う。
今であれば、発見してもらえるような状況だったり、発見されても、その後の対応が間違っていたりで、私たちの感覚というのは、かなりマヒしていると思う。
昨日、電話で話をしてて思ったことは、「一見なんでもないように見える」子ども、たとえば学力が優秀で、真面目に学校生活を過ごしてきた、逆にいうとそうせざるを得ない状況を強いられる
たとえば、100点を取ってこないと、家に入れてもらえないそんな境遇で育った友人。そして、そればねにして、自分の目指した大学に入り、目指した職業を経て、子育てをしている。
初めてであったことは、「子どもをかわいいと思えないの」と目にいっぱい涙をためていた。
うつで、入院したこともあって、とても苦しそうだった。
けれど、実家に子どもを預けると「自分と同じになる」と思い、無理して退院をして、自分のもとに子どもを連れてきた。
私は彼女が好きだ。
一生懸命だし、勉強家だし、とってもかわいいと思う。
母をとても頑張ってこなしながら、仕事もしている。
子どもを突き飛ばす…なんてことをしたことがない人にはわからないと思うけれど、私たちは大好きな自分の子どもに「嫉妬」をする感情がいつも渦巻いていて、それをおさえるのに必死である。
自分とは同じになってほしくない。
それを実現させるのに、すごく必死である。
傍からみたら、「同じなわけじゃない」のに、必死で、自分を責める。
大きな声で話したといっては、落ちこみ、もっと違う方法はなかったのかと自分を責める。
けれど、子どもの一言、一言にも傷つき、また責める。
大人だから、受け止めようと、それも必死になる。
機能不全じゃない家庭がよくわからないから、どれが正しいんだろうと不安だし、人からどう思われているのか?と気になる。
私は私のスタンスで子育てをしているんだからと、誰にも出来ないことをしているという自負はあるものの、いつも迷う。
そのうち自分が自分の中で迷子になる。
これが、誰にも助けてもらえなかった子どもの姿だと思う。
自分が一番ひどい扱いを受けてたなんて思わないけれど、水面下でもがいていた子どもの苦しさ、やっとの思いで生き延びてきた子どもの苦しさ、それを誰が受け止めないでいられるのだろうと考えた時に、自分しかいない現実が苦しい。
自分を育てることと、自分の娘を育ていることを同時進行していかなければならない、その苦しさは、きっとその立場で考える人にしかわからない。
私は子どもの時から、母親であった。
母親の役割をしてもらっていないのに、母業をしている。
それは今でも変わらない。
よくわからないまま、親になるってとても大変なこと。
きっと、一般的な人はこんなことで悩まないだろう。
けど、私は苦しい。
取るに足りない母であることがとても苦しい。
そのわりにはまーさんはたくましく育っていると思うけど、やっぱり「ごめんね」と思うのだ。
誰しも迷いながらの子育てであるとは思うけれど、私にはいつまでたっても安心がないまま時間が過ぎる。
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