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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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駅に行って切符の交換。


所得証明を取りに市役所。
あまり生きたい場所ではないけど孤独な私をそっと包んでくれた前庭のベンチ発見!
(笑)


冷房に耐えられない時に30分ひなたぼっこしたっけ…。


昼休みずっとここにいたっけ(笑)


そして水道局。なぜか夏の分の料金が…滞納に????????


そして郵便局に来て速達で夫に所得証明を。

いや~扶養家族であることの辛いこと。


ずっと働いていたのでこれはとても面倒臭い。

しかも職場が二つも三つもあるから…。

ささいな用事だけど動悸がするくらい苦手です。


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ふと彼を思い出した。


母からの嫉妬心はもらったけど最初の愛はここかなと気付いたので置いておきます。


私のおじいちゃんは、養子に出された人で、農家のあと取りとして、親戚の家の子どもになった。

でも、その時代は、大地主の子どもにかなわなくてどんなに勉強を頑張っても一番にはなれなかったと聞いた。
テストで一番でも、全体の評価になると、2番だったって。

それと彼は戦争に行くことができなかったことを、とても悔やんでいた。
非国民だと思っていたんだろうね。

病気なんだから、仕方がないことだけれど、人間として失格みたいに思っていたのかな。

今だったら、おじいちゃんに「あなたがいなければ、私はいない」と伝えられるけど、当時は子どもだったから何かが違うと思っていても、言葉がないし、なんの力にもなれない。

そんなおじいちゃんは母には厳しかったけれど、孫の私にはあまちゃんで、なんでも新しい物を与えてくれた。
自転車。
チョコ。
おいしい食べ物。

なんでも。

けれど、そのあとの嫉妬というか、いやみも壮絶なものだった。

大好きだけれど、嫌い。

あとが怖いからね。

けど、そのおじいちゃんも、私の体を触ってきた。

おじいちゃんが好きだったから、小さい時から一緒の布団で寝てた。
10歳くらいかな。

おばあちゃんも、母も「一緒に寝るのはやめなさい」って言ったことがあるから、そういうおじいちゃんの癖みたいのは知っていたんだろうね、もしかしたら母も被害者なのかもしれない。

もうこの世に3人ともいないから、確認できないけれど。


大切にされないってどんなこと?

私だってまーがうらやましいよ。

でもさ。

まーが笑っていたら私はそれで満たされるんだよ。

おばあちゃんも、ママもそれは思わなかったの?

いいことばかりでもないけれど、悪いことだけでもないんだよね。

私は、まだまだいいことばっかりを探すし、わるいことばっかりを探す。

極端に。

振り子の幅はかなり狭くなってきたと思うけど、時々はいるブラックホールは怖いよ。

私がこんなに傷を追うってしていたら、少しは考えてくれた?それとも、俺の方が・・・っていう?
おじいちゃんの辛さもっと聞けたらよかったね。


毎日が怖くて、明日は来ないで欲しいって思っていた私が、朝は憂鬱だけれど、それなりに一日の中で楽しいことを見つけているよ。
けっこう自慢の孫になってると思うよ、おじいちゃん。

私はおじいちゃんの悲しみも受け取ったよ。
もう解放させていくよ。

私ね、いろんなことができるんだよ。
ママに言ってよ、kasumiを褒めてって。

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きたいことがあるんだけど時間がないのでタイトルだけおきます。


なにを感じていたか?忘れてしまった・・・。

夫の実家も、夫をありのまま受け入れて育ててこなかった。斜視であることや、仮死状態で生まれてきたことを母はとても残念そうに語っていた。そして、父である彼は、名前にこだわっていて、4番目に生まれた・・ってお名前なので、それを「捨てられた子ども」みたいに表現していた。


それでも、私は自分の親よりは、居心地は悪くなかった。

だれかそんな親にしてしまうんだろうと、考えると社会的なものの味方がとても影響しているんだろうなと思う。

朝、夫とのメールで「頼んだことをすぐしない」と責められた。
責めているつもりはないのだろうけれど、彼なりの締め切りと言うものがあって、イライラするんだろう。

けど、私は私なりに、苦手なことをして、頑張ったのになぁ・・・・と、メソメソしてくる。

それをちゃかして、「結構詐欺の映画が参考になるから」とあおってくる。

参考になんてならないから!!

彼も、人格交代を見つけただけあって、受け入れてくれる器は大きいし、正しいことを言っているのもわかる。

けどめいっぱいになっている私も、傷つくし、自分自身で「また、怒られた」と凹んでくるんだよね。

身内だから、きついんだわ。



だから、わかってくれている人だとは思っていても、怖いんだと感じる時がある。
その身構えている私をみて、ため息をつきたくなるのも理解できる。

けどね。

どれも、これも私なんだよね。

怒っているもの、泣いているのも、笑っているのも、ふざけているもの私なんだよね。

同じ自分でいられない苦しさを抱えてなんとか生きているんだよね。
楽しいこともできるようになったことも、あるからさ。
だから、

責める口調やめてよ。

頼むよ、kenちゃん。

私精一杯まーさんと向き合っているよ、自分ともね。

すごく頑張っているんだから、初めは労いの言葉から、出してよね。



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 週末・・・里親会の研修と懇親会。

そして、日曜日は日帰り札幌往復。

なんで??

じつはまーさんが

SPIRIT OF COMMUNITYボランティア・スピリット賞



というボランティアの大会のようなところに、応募してて、東北・北海道ブロックでコミニュティ賞をいただいたので、その受賞式に出席します。

http://www.vspirit.jp/past-award/13th/honoree.html#1


予定では、土曜から・・・のはずが、「里親会もでる」ということになり、急遽日帰りに・・・・。

体力もつかしら??私・・・。JRだから、ま・・なんとかなるか??(笑)

その受賞式では、それそれパワポを使ってくれて、活動を発表します。
そのほかに、事務局からミュージックサインを実演して欲しいと依頼が別にあって、りぼんの「ポケットの中の虹」をご披露させていただきます。

本当はりぼんもいけるともっとわかるんだけれど・・・。(笑)
それは無理なので、CDを昨日速達で送りました。

母も、楽器役で出演してきます。(笑)

たんなる「手話の歌」ではないので・・・・。

普段は楽器の分だけ人数が必要なんです~~~ってことと、りぼんのなみちゃんのことを話せたらいいなぁ・・・って、私たちは思っています。

聴こえない人たちに、音楽を(((*★*プレゼント*★*)))ヘ(・_・ヘ).∠(o・_・)/由したいんです~~~。

しゃべるのは、まーさんだけど、彼女はかなり舞台度胸があるので、うまくたくさんの人に伝えられるでしょう。
彼女の心には、いろんな想いが詰まっています。

届くといいね。まーさん。


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 2002年のことだから、もう8年か・・。

手話通訳者として、12年が過ぎたころに、うつが発症して、結果退職した。

毎年、非常勤なので、更新手続きがある。
3月31日に退職になって、4月1日に雇用される。退職金は発生しない。

前職が夫だったから、それはわかっていたし、そのころの年収は、25歳の時にもらっていた給料にやっと届いたくらいの金額だった。

施設の職員だったから、公務員と変わらないくらいの給料。

それは、43歳になって、やっと同じ位になった時。
もう、働けない、働いちゃいけない・・・って、一度目に倒れた時に、自分で二度目はなしだよね、ろう者に迷惑がかかる。
休職するなら、やめようって心に決めていた。

職業病の時に、本当に迷惑もかけたし、心配もかけたから。

制度上は、わりと保障されていて、休職、病欠3ヶ月は、できた。

もしかしたら、やめないで復職できたかもしれない。

通訳の仕事は、天職だって思っていたから。


すごく悲しかった。
けど、夫に土下座されて(笑)
頼むからやめてくれって。

裁判所の通訳が終わった時に、言われた。
夫は、いつでも私を支えてきた。どんな時も。

その夫が私に土下座するって、どういうことかわかる。

わかった。けど、Fさんには、自分で伝えられない。

俺が行って来るといって、Fさんのところに伝えにいってしまった。

呆然としながら、「そうか」としか言わないのを知っているからこそ、悲しかった。

ごめん・・・・。

満60歳の退職、非常勤としての、2度目の退職を私は見送るはずだったのに。
ごめん・・・。

一緒に仕事ができなくなっちゃった。ごめん・・・・。


その決意は、裁判所での通訳が一度ですっと伝わらない事態が起きた。

通じない・・・・。伝わらない・・・・。
え?なんで?

そう思った時に、この仕事を続けちゃいけないんだッて感じた。

今思うと、よくあの職場で耐えたな・・・。

ひどかったのは5年間だけど、残りの7年も怒鳴られたり、チークダンスを強要されて・・・。

けど、それで虐待を受けてたってわかって小さなkasumiと出逢って、ここまで生きてきたんだよね。

あのままだったら、自殺とかしちゃってたかもしれないしね。

けど。


寂しかった。悲しかった。

大好きな仕事だったから。

だれも味方してくれない。
やっぱり一人なんだッて思っていたけど、この仕事好き。
ただそれだけで続けてきたんだ。

仕事・・・。
障がいをもつ子どもと関わりたかった。

けど、それはまだそんなにたくさんなくて、知的の大人の施設に勤めた。
そして、結婚して赤ちゃんとか、学童とか認知症の人とか・・・・。

亡くなる人をみるのが嫌で務めなかった老人ホーム。
そこは、視力障がいの人が入所するところだった。

けど、断った。

なのに、病院では何人もの人を見送った。

私が泊まりに入ると必ず急変するメンバーってあって・・・・。

一人で霊安室なんていうのも、たくさんあった。

その後の手話通訳っていう仕事。

こんにちは市長です・・って番組のワイプにも入った。10年くらいかな?

それが、苫小牧あたりまで放送されているってわかって、焦ったっけ。

逃げるように、祭日私物を取りに行った。

泣きながら・・・・。

私を苛め抜いた上司に会いたくなくて、やめると決めた日から職場には行かなかった。あまっている有給を全部つかって・・・。

送別会も参加しなかった。

だって・・・私の送別会なのに、通訳はしないといけないし、(当然仕事だから)けど、Fさんとずっと語りたいのに、それができないんだよね。

だから、参加しなかった。

なによりも、課長と同じ席にいることが苦痛だったから。

そんな、本末転倒なやめ方をしてしまったんだ・・・・。
病休だって、とれたのに、組合だってあったのに、心配してくれた議員さんだっていたのに・・・。(笑)

けど、ろう者はだれも私を責めなかった。

たぶん、Fさんがかばってくれたんだろう。

最近、kasumiにあんなやめさせ方をさせてしまって悪かったって言ってたって聴いた。
ちがうんだ。私が相談するってことを知らなかったから。
自分が困っているのに、すべてを飲み込んでしまっていたからなんだ。

ごめん・・・・っていうのは、私なんだよ。

困った時には、だれかに話そうって知っていたら、あんなことにはならなかった。
けど、あの時期がなかったら、今はない。

ミュージックサインだって、生まれていない。

死んじゃうかと思って心配だったよ!!って言われた時に、「あ・・そうなんだ」って思うおばかな私。


だけど、この充電期間がなかったら、今はないんだよ。
kasumiちゃん。
わかるよね。

悲しかった気持ち、大事にしようね。



その後、すぐろう者のみなさんから、「ご苦労さん会」開くよと連絡がありましたが、今すぐは無理です・・・と伝えました。
「わかった。いつでも言ってくれ、すぐ準備するからな」とFAXが・・・。

その3ヵ月後、kasumiさん、お疲れ様という横断幕と共に集まってくれたろう者の数は、新年会を越える人。人。

この人。あの人まで・・・・っていうくらいたくさんのろう者がいました。
この時、私は愛されてるね・・・って思ったのでした。

30キロを切りそうになって、細くなってしまった私に、握手やら、ハグやら・・・。
泣いて語ってくれる人。

花束は、タクシーに乗り切れないくらいたくさん。

私の頑張りは、当事者に届いていて、「ありがとう」って思っていてくれたんだってわかった瞬間でした。

長くて、7年短くて3年未満の職場を私は12年勤めたから。
夫婦で合わせると20年近く。

地域の通訳者の基盤を作ったのは、当事者と私たち。

そう考えれば、悲しいばっかりじゃないかな・・・・。(笑)

そうそうリフレーミングしましょう。kasumiさん。









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