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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 10歳くらいの時に、kasumiはこういっていました。
「パンツくらい見えたって、減るもんじゃない」。(大爆笑)

まだ、小さく細い体で、短距離はだめだったけれど、マラソン系は得意でした。

持久力があったってことでしょうね。

そのkasumiが一人の男の子に、恋をしました。
かるたを(百人一首のクラブにいた一年上)

そのKさんは、頭がよくて、とてもかるたをしている時の姿はかっこいい。

中学生になった時に、ピアノ友達のその先輩と同じ年の子に、ついていってもらって、告白をしました。

つきあって欲しいではなく、お友達になってもらえませんか?って。

そのKさんは、「友達だったらいいよ」と短い手紙をくれました。

その短い手紙の往来は高校2年生までけっこう続きました。

その間、受験もあり、卒業式もあり、委員会など先輩たちから聞きだして、同じ委員になれるように、仕組んだり、ま・・・それが丸わかりだったから、友達からも、邪魔されたり・・・(笑)


私への性暴力の決定打は、中2でした。
触ることだけでなく、セックスに発展してしまって、そこから、私は記憶が切れて居ます。

だけれど、手紙は残っているので、時々その恋をしているkasumiがKさんの卒業式の時に、胸につける「祝 卒業」の花を先輩につける係りもしました。

その彼はいつも、ぎりぎりで学校に来るので、もしかしたら、私はそのお花を私じゃない人がつけることになるかもしれないな・・・と思いながら、待っていました。

案の定、友達から意地悪されて、残りが2つになった時に、その友達は動きませんでした。

kasumiは、とっても悲しかったけれど、お花をつけてもらえない別の先輩を無視できず、自分が持っている花を別の先輩につけました。

その人も、よく知っている先輩だったので、「おめでとうございます」って笑って。

あとで、クラスの友達から、「kasumiっちの気持ちを知っているのに、あの人意地悪だよね」と言われたけれど、「いいんだ。あとで名札もらう約束しているから」と
言い悲しい気持ちを抑えました。

Kさんと学校で過ごす時間はあと少し。
だから、ちゃんと見届けようって。

その時は、ときどきお家にいって、勉強も教えてもらえるくらい・・・といっても、50センチ以上は近寄れないので(テレてて)ぶっきらぼうな言葉と、ありがとうしか言えないkasumiでした。

彼は、隣街の高校生に、私は受験生に。
もっと勉強していれば、同じ高校に入れたかもしれないけれど、そのころはもう家に居たくないので、勉強できるのは図書館だけ。
そこも、彼がよく来る場所でもありました。

父とのセックスがあるたびに、私は走って彼の家の近くまで行きうろうろしてました。
本当のことを話せるわけでもなく、ただただ徘徊。(笑)

汚くなった自分を見せれるわけでもなく、それでも、「笑っているkasumi」の方がいいよって言われていたので、できるだけ学校であった時には満面の笑顔が見せれるように、頑張って笑っていました。


ただ、突然英語がわからなくなったり、数学は彼が教えてくれていたのでそれはいまでも、健在。

受験の時はお守りを贈ってくれたり、さりげなく優しい人でした。

高校に合格した日、彼は駅で待ってくれていました。
素直な私がいたら、真っ先に報告しているはずなのに・・・。

残念ながら、見つめ合って、心の中で「合格したよ」って。

本当は走って言ってこれで同じ汽車に乗れるよ、うれしいって伝えたかった。

でも、私が彼の周りにいることで、彼まで汚くなっちゃうのはなんとなく嫌だったから、近寄れませんでした。

それでも、朝、夕と6両もある列車の中で、いつも同じ車両にのり、kasumiは黙って彼を見てる・・・。

時々目があう。

そして、笑う。

大丈夫、今は死にたいなんて思っていないから。
そう心で伝えていました。




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 りぼんのタッカ、なみちゃん、そして、ちぃにぃ・・・もしかしたらマックスもかな?

kasumiを泣き虫にさせる技をお持ちの男性たち。

ぜったい人前で泣くもんか!と生きていた私をポロポロと泣くように仕向ける?(謎)

というか、勝手に泣いてしまうんですけど・・・。(笑)

私は、受け入れられることに慣れないので、kasumiの気持ちが伝わった時に、ポロポロとか、kasumiの気持ちを表現される歌とか、詩に言葉に、じわ~~と来てしまいます。

所詮、男なんてみんな同じさ!(このセリフは18の時に、施設の指導員が襲ってきた時に、出た言葉で(笑)その指導員は管理職でした。ぎょっとした顔はいまでも覚えています。かなりビビったみたいで未遂で終わりましたとさ。)と肩肘を張って生きてきた私なので、微妙に本当の優しさに弱いです。

このたびのライブで、最後に歌詞を送ってくれたマックスのお手紙。
(´;ェ;`)ウゥ・・・~~~ってかなりなりました。

わたくしよりも、かなり年下男性集団なのに、なんていうかな・・・。

座布団一枚  (  ̄ー ̄)ノ◇ ザブトン1マイ そんなタイミングで泣き虫にさせてくれます。

泣きながら話すことなんて、感情で負けてると思っていた私にとって、かなりなハプニングになります。

若いころの私と付き合った男性たちが見たらきっと、「そこがでてこないんだよね。この人・・・・」と思っていたでしょうね。(笑)

いつもいつも平気だもん。あえなくったって寂しくなんかないもん。


しまいには、kasumiは強いから・・・とか。僕は必要ないんだよねと言われたり、僕の心をもてあそんでいたよね・・・とか。(笑)

かなりの面食いでしたし(笑)

結婚した時に、「どうしたの?」と聞かれたくらいです。
夫よ、ごめん。(笑)
君はとても中味がいいからね。
そう言ってましたから。(大爆笑)

ある時は、メールで、ある時は電話で、ある時は、歌で。

優しくしないで・・・と拒否したいくらい(笑)

kasumiじゃなくなる瞬間を作ってくれちゃう。変な人たちです。(笑)

いや、私が見てきた変な大人が「変」なんだよね。きっと・・・。



君たち若い頃、もてたでしょ?(笑)






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 一つ前の記事でも書いているように、音源がない中で、手話訳を考え本番で、しっかり「歌」「音楽」に見えるようにするためには、私自身の中でその曲想をイメージできていないと、どうしても、タイムラグができる。

通常の通訳であれば、それはあって当然だから、気にならないけれど、聴こえる人と聴こえない人に同時に、音楽をと考えた時に、そのラグは少ないほうがいい。

なっていっったって、音楽だから、ずれると不協和音になる。

そうなると、演奏者は、「違和感」を感じるだろうと思っている。

ただ、今回のライブで得たことは、同時も大切だけれど、「前説」があってもいいかもしれないということだった。

歌う前から、視線で何かを見ているとか、空を仰ぎ見ているとか、歌詞が始まる前に情報を出しておいたほうが、よりわかりやすいことが発見できた。


それと、へったぴいながら、りぼんにくっついて、歌うこと、ピアノを練習すること、音符を書くこと、ハモリをつくって見ること・・・・。

それがまだ短い間だけれど、音楽にふれる機会が増えていたことで、「この人は、このあたりで歌をためるだろう」という予測がついた。


一般的な手話通訳の場合、私はこの作業が得意。

言いたいこと、伝えたいことを予測して、同時に出す・・・、結構できるほうだと思う。



今回、不安でもあった初めて聞く曲。

ろう者からみたら、それはあまり気になっていなかったみたい。

質問した時に「おまえ聴こえるから不便だな。俺たちは音楽とずれているなんてわからないようなことで、悩んでるんだな」と笑われた。




りぼんが言ってくれているように、「エンジェルサイン」だったら、もう悩まなくていいってことかな??

今回はkasumiちゃん、かなりすごいじゃんって思えた時間でした。



それもこれも、Fさんがお師匠様ですから・・・・。

本当に楽しかったんだって。

音楽、楽しかったんだって。

学生の頃、ギターもって道路で歌っていた人がいたんだ。ジャズなのか、フォークなのかはわからないけれど、楽しそうだった。
いいなぁ・・・って思っていたんだ。
それを昨日知ったんだよと、教えてくれた。(奥さんが)

やっぱり、音楽と聴こえない人は隣りあわせで、知りたいって思っているんだ。

そして、今に表裏一体になるんだ。

そんな気がした。

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http://blog.goo.ne.jp/ribon-nami



 昨日、まちづくりセンターで17時半から、約3時間ほどライブがあって、そのすべての曲にミュージックサイン、手話通訳をつけて、演奏させてもらいました。

アーティストのみなさんには、本当に感謝です。
わたげを受け入れてもらって、一緒に演奏できる幸せな時間をたくさんいただきました。

あわせると多分21曲。

英語、ドイツ語もあり、歌詞はわかっても、曲想がわからないまま、悩んでいたのですが、事前のリサーチの効果もあって、リハでなんとなく・・・わかって、本番は私自身が持っている力を200%出すつもりで頑張らせていただきました。

途中、腰が( ; ̄ω ̄)ゞイテテ・・・となり、影でハッシーにマッサージしてもらうというなさけない部分もありましたが、それぞれにデビューを果たし、まーさんも、かなりアーティストになり、私も・・・・。


どちらかというと、このようなハードルの高いものは、終わると「終わっちゃったよ」と凹んじゃうんだけれど、音楽を奏でている方たちから、「一緒に演奏できてよかった」とか、「感動しました」という言葉をいただいて、ホッとしています。
なによりも、そこにいたろう者が、どんどん曲に乗っていく姿を舞台から見ていて、とてもうれしかった。


音楽への心の扉が開く瞬間を見た!そんな気持ちでいっぱいです。

私は、一曲一曲丁寧に、表現させていただきました。
私は女優よ!って思いながら、「わたげ」そのものになりたいと、家をでました。

りぼんのブログには、「天使の羽音」と表現されていましたが、そう見えたとしたらヾ(*゜ー゜*)ノヾ(。。*)ノヾ(*゜ー゜*)ノヾ(。。*)ノ バンザーイ!!です。

記録を自分たち専用に撮ったで、あとで観察をしながら、改善するところ、確認するところ、いろいろあると思うけれど、無事終了できて、本当によかった。

助けてくれたみなさん、ありがとう。


タッカの携帯が横で動いている・・・・って思っていたら、やっぱし・・・。
写真嫌いなのにぃ・・・・(笑)

視野がかなり広い私です。(笑)




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 昨日のリハで、初めて今年の作品をみた。

今日は記録係りで午後から私も参加。

午後一番なので、そろそろ出かけます。

あとは、明日のために復習をして、イメージトレーニング。

けれど、達成感を得られないと予想してる。
でも、次のために、200%の力は出すよ。

たぶんその後は、しばらく放心状態。

ろうの人来てくれるかな?

来て欲しいな。

けど、いつかのその日のために、腕を磨くんだ。

千の風 伝えたいんだ。

あなたたちから、教わった手話の素敵なところ、精一杯伝えるよ。



音楽が近づいてくるように、一歩一歩歩くよ。

いつでも、一緒に歩いて行きたいから。

音を楽しむことができないあなたたちに、音が苦(くるしい)じゃないになるように、私は社会が変わることをしていくよ。

一緒に演奏会にいける日が来ると信じて、少しだけ先を歩くよ。

だから、待っててね。
扉が開いたら、すぐ合図するから、私から目をそらさないでいて。

もうすぐだから。
もうちょっと、待っててね。
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