虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/24 (Fri)
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
- 2009/10/28 (Wed)
kasumiの恋の仕方1
10歳くらいの時に、kasumiはこういっていました。
「パンツくらい見えたって、減るもんじゃない」。(大爆笑)
まだ、小さく細い体で、短距離はだめだったけれど、マラソン系は得意でした。
持久力があったってことでしょうね。
そのkasumiが一人の男の子に、恋をしました。
かるたを(百人一首のクラブにいた一年上)
そのKさんは、頭がよくて、とてもかるたをしている時の姿はかっこいい。
中学生になった時に、ピアノ友達のその先輩と同じ年の子に、ついていってもらって、告白をしました。
つきあって欲しいではなく、お友達になってもらえませんか?って。
そのKさんは、「友達だったらいいよ」と短い手紙をくれました。
その短い手紙の往来は高校2年生までけっこう続きました。
その間、受験もあり、卒業式もあり、委員会など先輩たちから聞きだして、同じ委員になれるように、仕組んだり、ま・・・それが丸わかりだったから、友達からも、邪魔されたり・・・(笑)
私への性暴力の決定打は、中2でした。
触ることだけでなく、セックスに発展してしまって、そこから、私は記憶が切れて居ます。
だけれど、手紙は残っているので、時々その恋をしているkasumiがKさんの卒業式の時に、胸につける「祝 卒業」の花を先輩につける係りもしました。
その彼はいつも、ぎりぎりで学校に来るので、もしかしたら、私はそのお花を私じゃない人がつけることになるかもしれないな・・・と思いながら、待っていました。
案の定、友達から意地悪されて、残りが2つになった時に、その友達は動きませんでした。
kasumiは、とっても悲しかったけれど、お花をつけてもらえない別の先輩を無視できず、自分が持っている花を別の先輩につけました。
その人も、よく知っている先輩だったので、「おめでとうございます」って笑って。
あとで、クラスの友達から、「kasumiっちの気持ちを知っているのに、あの人意地悪だよね」と言われたけれど、「いいんだ。あとで名札もらう約束しているから」と
言い悲しい気持ちを抑えました。
Kさんと学校で過ごす時間はあと少し。
だから、ちゃんと見届けようって。
その時は、ときどきお家にいって、勉強も教えてもらえるくらい・・・といっても、50センチ以上は近寄れないので(テレてて)ぶっきらぼうな言葉と、ありがとうしか言えないkasumiでした。
彼は、隣街の高校生に、私は受験生に。
もっと勉強していれば、同じ高校に入れたかもしれないけれど、そのころはもう家に居たくないので、勉強できるのは図書館だけ。
そこも、彼がよく来る場所でもありました。
父とのセックスがあるたびに、私は走って彼の家の近くまで行きうろうろしてました。
本当のことを話せるわけでもなく、ただただ徘徊。(笑)
汚くなった自分を見せれるわけでもなく、それでも、「笑っているkasumi」の方がいいよって言われていたので、できるだけ学校であった時には満面の笑顔が見せれるように、頑張って笑っていました。
ただ、突然英語がわからなくなったり、数学は彼が教えてくれていたのでそれはいまでも、健在。
受験の時はお守りを贈ってくれたり、さりげなく優しい人でした。
高校に合格した日、彼は駅で待ってくれていました。
素直な私がいたら、真っ先に報告しているはずなのに・・・。
残念ながら、見つめ合って、心の中で「合格したよ」って。
本当は走って言ってこれで同じ汽車に乗れるよ、うれしいって伝えたかった。
でも、私が彼の周りにいることで、彼まで汚くなっちゃうのはなんとなく嫌だったから、近寄れませんでした。
それでも、朝、夕と6両もある列車の中で、いつも同じ車両にのり、kasumiは黙って彼を見てる・・・。
時々目があう。
そして、笑う。
大丈夫、今は死にたいなんて思っていないから。
そう心で伝えていました。
にほんブログ村
「パンツくらい見えたって、減るもんじゃない」。(大爆笑)
まだ、小さく細い体で、短距離はだめだったけれど、マラソン系は得意でした。
持久力があったってことでしょうね。
そのkasumiが一人の男の子に、恋をしました。
かるたを(百人一首のクラブにいた一年上)
そのKさんは、頭がよくて、とてもかるたをしている時の姿はかっこいい。
中学生になった時に、ピアノ友達のその先輩と同じ年の子に、ついていってもらって、告白をしました。
つきあって欲しいではなく、お友達になってもらえませんか?って。
そのKさんは、「友達だったらいいよ」と短い手紙をくれました。
その短い手紙の往来は高校2年生までけっこう続きました。
その間、受験もあり、卒業式もあり、委員会など先輩たちから聞きだして、同じ委員になれるように、仕組んだり、ま・・・それが丸わかりだったから、友達からも、邪魔されたり・・・(笑)
私への性暴力の決定打は、中2でした。
触ることだけでなく、セックスに発展してしまって、そこから、私は記憶が切れて居ます。
だけれど、手紙は残っているので、時々その恋をしているkasumiがKさんの卒業式の時に、胸につける「祝 卒業」の花を先輩につける係りもしました。
その彼はいつも、ぎりぎりで学校に来るので、もしかしたら、私はそのお花を私じゃない人がつけることになるかもしれないな・・・と思いながら、待っていました。
案の定、友達から意地悪されて、残りが2つになった時に、その友達は動きませんでした。
kasumiは、とっても悲しかったけれど、お花をつけてもらえない別の先輩を無視できず、自分が持っている花を別の先輩につけました。
その人も、よく知っている先輩だったので、「おめでとうございます」って笑って。
あとで、クラスの友達から、「kasumiっちの気持ちを知っているのに、あの人意地悪だよね」と言われたけれど、「いいんだ。あとで名札もらう約束しているから」と
言い悲しい気持ちを抑えました。
Kさんと学校で過ごす時間はあと少し。
だから、ちゃんと見届けようって。
その時は、ときどきお家にいって、勉強も教えてもらえるくらい・・・といっても、50センチ以上は近寄れないので(テレてて)ぶっきらぼうな言葉と、ありがとうしか言えないkasumiでした。
彼は、隣街の高校生に、私は受験生に。
もっと勉強していれば、同じ高校に入れたかもしれないけれど、そのころはもう家に居たくないので、勉強できるのは図書館だけ。
そこも、彼がよく来る場所でもありました。
父とのセックスがあるたびに、私は走って彼の家の近くまで行きうろうろしてました。
本当のことを話せるわけでもなく、ただただ徘徊。(笑)
汚くなった自分を見せれるわけでもなく、それでも、「笑っているkasumi」の方がいいよって言われていたので、できるだけ学校であった時には満面の笑顔が見せれるように、頑張って笑っていました。
ただ、突然英語がわからなくなったり、数学は彼が教えてくれていたのでそれはいまでも、健在。
受験の時はお守りを贈ってくれたり、さりげなく優しい人でした。
高校に合格した日、彼は駅で待ってくれていました。
素直な私がいたら、真っ先に報告しているはずなのに・・・。
残念ながら、見つめ合って、心の中で「合格したよ」って。
本当は走って言ってこれで同じ汽車に乗れるよ、うれしいって伝えたかった。
でも、私が彼の周りにいることで、彼まで汚くなっちゃうのはなんとなく嫌だったから、近寄れませんでした。
それでも、朝、夕と6両もある列車の中で、いつも同じ車両にのり、kasumiは黙って彼を見てる・・・。
時々目があう。
そして、笑う。
大丈夫、今は死にたいなんて思っていないから。
そう心で伝えていました。
にほんブログ村
PR
Trackback
TrackbackURL
Comments