虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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もちろん『別れ』というか少し離れると言う事柄もあった。
今週キリスト教会関係の人とつながる。
ゆっくり話が出来て、お互いの気持ちが聞けて、話せてとても大切な時間だった。
私はイエス様は信じているけれど、父なる神はどうかな?とずっと思っていた。(笑)
昨日の朝、もらった聖書の場所。
今までだったら、ふうんってはすにかまえているだけれど、それなりに「ふ~ん」と思ったので書いておく。
急に目覚めたわけではありません。(笑)
そうか~~~と思ったのです。
イザヤ書第48章17節~19節
昨日お話したWさんから、「出会いに感謝」というメールをもらった。
そして、聖書を開いて見てと。
あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、
「わたしはあなたの神、主である。
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、
その行くべき道に行かせる。
どうか、あなたはわたしの戒めのために聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のように
なり、あなたのすえは砂のように
あなたの子孫は砂つぶのようになって、その名はわが前から絶たれるこ
となく滅ばされない。」
いつもなら、_s(・`ヘ´・;)ゞ..ふんって思うんだけれど(笑)
私たちは自分で選んだ道はたとえどんな道でも「神様のいうとおり、なのなのなすび」って事かも知れない。
私には母親のちがう16歳年の離れた妹がいる。
四歳のときに、二度目の離婚ののち私が20才で引き取って育てた。
まだ若かったし、自分にされたことは「しつけ」の一つだと思っていたので、今であれば「虐待」にあたりするような行為もしてきた。
それは若気のいたりなどというのもでは済まされないことだと考えているし、それをないものにはしないように考えている。
私は、いつでもお母さん役をしてきた。
10歳の時は弟を、20才から妹を。
そして、34で実子を。
42で里子さんを。
今現在でもずっと子育て進行中である。
若いときにはだれにも手伝ってもらわないのが当たり前だと思っていたので、だれかに力を貸してもらうことはなかった。
今は、どんなこともだれかに相談するとか、してくれることは遠慮なくしてもらうとか、その行為に甘える術ももっている。
7月の末に妹の家を訪問し一泊した。
引越しをしたばかりだった。
実父のガンが転移したらしく、身辺整理をしているらしい。直接話を聞いたわけではないので、詳しい事はわからない。
ガンの治療をするとすれば手術しかない。・・・・が実父はそれによって行動を制限されるのがいやらしくそれを拒否。
免疫療法など効き目はないらしいがそれに頼っているらしい。
現在一人暮らし。
同居する女性はまれにいたものの、必ず「うつ」状態になる。DVな人だからあたりまえだし、みんな夜逃げのように実父を捨てて行く。
そりゃ、当然だって私は思う。
家も、財産も投げ捨てて、逃げていく人、持てるだけもって逃げる人、それぞれだけれど、「赦しがたい存在」になっていることは間違いない。
さて、死んでいく自分を見つめたらしく、妹には「家」をいう形を残した。
どれだけ資金を援助したのかはマッタクわからないし興味はない。
妹からの情報によると「kasumiには、残さない。あいつはろくでもない」とか言っているらしい。
私も別に必要はないので、欲しいともよこせ!とも思わない。
私は実父の存在はもうないものだと思っているし、親戚にも伝えている。
性虐待の事を実名を出していると伝えた日から彼は嫌がらせや意地悪をしてくる。
たとえば、夫の職場に朝の6時に「Sいるか?」と電話をかけてきたり。
泊まりのある職場なので、さぞ迷惑なことだろう。
ちなみに「妻の実父は認知症」ということになっている。
去年、ガンで手術する事になった時も父の妹に子どもが3人もいてだれも世話をしにこない。情けないと電話で話をしたが、「そりゃ、だれもいかないようにしたのは本人だし」って事で話はついている。
結局その妹が世話した。
私の妹は妊娠していたので、車で往復するもの大変だった。でも私も弟も近寄らなかった。
さて・・・。
私が実父を赦してやってもいいか?なんて思ったのは、その妹の家をみて、「どうしてこんなに扱いが違うんだろう?」と考えているうちに、「私はたった一言、kasumiもがんばったな」 と父から言われたかっただけなんだなと結論がでた。
ただの一度も褒めてもらった事はない。だから、一回くらい褒めてくれないかな?と思いつつ、私がされてもいいことではない理不尽な怒りと共に私は考えてきた。
いつかはわかってくれるのかもしれない。そんな子どもとして、ごく当たり前の感情を実は持っていたんだなと気がついた。
妹には社会人になったら車は買う。
学校の経費も惜しまずに出す。
家を買うのに援助もする。
私の娘の事は心配だからともし、S市の大学に通うことになったら、住まわせてやれと一部屋ねぇねが使えるようになっている。
私はその地域に行くとは限らないのに・・・と思った。
そういえば、S市に行かなくてもいいのか?って私にも聞いたよね。
実父はあこがれていたのかもしれない。
都会の学校で通学し、通勤することを。
私は看護師になれと言われたのを拒否した。
S市へ行けと言われたのも拒否した。
隣町だったら顔が聞くのでそこの試験を受けろと言われたが拒否した。
妹を拉致し自分のところに連れてきた。
(父は何度か連れ戻しに来たが拒否した)
妹を連れての結婚は反対されたけど、それも拒否した。
結婚する時に叩かれそうになったけれどよけた。
実父の話は「ふうん」とは聞くけれど労うことはしなかった。
ねぇねを言い負かすような事をし続けたので、会いに行くのをやめた。
電話で、「あなたのした事は私は忘れない。いつまでもとぼけていればいい。ないものには絶対しない」と戦った。
妹は「お父さんはいつまでもお姉ちゃんの事を考えていて、悪口ばかりいっているけど、気にしてるんだよ。私はお姉ちゃんの身代わりで、お父さんはお姉ちゃんにしてあげたい事を私にしているだけだと思うよ」と言っていた。
私は「あなたは、一緒に暮らしていない・・・という親としての負い目もあるだろうし、私の代わりだなんて考える必要はない。大人なんだからしたいようにしてるだけ。自己中なんだよ」
「してやった・・・・って感謝を強要されるとありがとうって言うのも疲れるよね」
してもらえても、してもらえなくてもため息が出てくる娘たちの気持ちを考えた事ってありますか??
なにをしても私はもうあなたにはあいたくない。会話もしたくない。
あなたも大変だったかもしれないけれど、それにあまんじて生きてきたって事をちゃんと一人の大人として結果を自分で見て欲しい。
他人の評価ではなく、自分で自分の人生に何点つけられる?
私はどうこれから先扱われようと何も感じない。
私の事が恐いんでしょ?
そうだよ。あなたを殺しにだっていけるんだよ。
でもそんなことしない。
それはあなたのためじゃなく、私と私の大切な家族のために。
あなたの名誉でなく、私のこれからの人生のために。
せっかく犯罪者にならないでこれたんだから。
私はあなたの道具である事はもうしない。
彼はどんな事をしてでも「おまえは俺の娘だ」と言いたいのだろう。
無視され続けている存在よりは逆らってでも怒鳴りあってでも、絡まりたいのだろうと思う。
けど、私はそんなのごめんだ。
あなたの母は今年で103才だよね。
お祖母ちゃんには死んでしまう前にもう一度会っておこうか?と思うけれど、あなたの顔は二度とみたくない。
妹には「俺は頭が悪かった」とか「姉と比べられて辛かった」とか言っているらしいね。
それは大変だったね。私も同じことをあなたから言われ続けたからその辛さは理解できるよ。
その気持ちは死んじゃう前に誰かに聞いてもらうといいよ。
でも、私は聞きに行かない。
80近くになってやっと降ろせる荷物なんだとしたら、私じゃない人に聞いてもらいなよ。
私は「そんなこと、私だって同じだった」と怒鳴る自分は見せなくないからね。
私はあなたの親じゃない。
それは誰かに「違うと思う」を言われるまでわからない。
CAPでの虐待の連鎖についての説明は社会の神話では「虐待をされたかつての子どもは親になって虐待をする」と言われているがその流れは違うと否定をする。
虐待をしてる親が過去をさかのぼったら、虐待を受けていたということは確かに数字的には多い。
けれども虐待をうけたからといってすべての被虐待児が虐待をする親になっているか?というと、それは7対3の比率で虐待しない親を選んでいる。
そういう説明だ。
そのする、しないの別れ道の起点には「あなたのことを信じるよ」と子どもの話を聴いてくれる大人に出会うことがとても有効的であるということ。
でもその7割の親たちすべてがだれか話を聴いてくれた大人に出会っているのか?というと違うと思う。
その虐待を受けていた子どもが自分一人で踏ん張ってきたこともあるだろうし、たくさんの人に助けられていても、虐待をしてしまう親もいるだろうと思う。
私は暴力を自分の親あるいは身近な人から受けるという一次被害は確かに被害だと思う。
でもその生身の傷がだれにもわかってもらえなかったという社会的な支援がない事によって起こる2次被害、3次被害がとてつもない深い心の傷になっていると言う事を見逃してはいけないと痛切に思う。
私は自分の虐待を知る以前から、「親孝行しなさい」という言葉に傷ついてきた。
あの親を親として受け入れる事、それがどんなに困難なことだったかと言うのは、ブログを見てもらえば良いと思う。
http://
たった一度の暴力が深いに傷になるわけではないのだ。
その傷を長いあいだ放置されたり、自分自身がなかったものとして生きてきた(そうせざるを得なかった)そのことが自分の子どもを育ているときに「怒り」をして出てくるのだと思うしそのイライラを子どもに八つ当たりしている事に気がつかないことが繰り返される。これが虐待なのだ。
そしてそのタイミングは3歳くらいと、思春期にピークに達する。
自分が受けた躾をなんとかして自分の子どもにはしたくないそう思っていたはずなのに・・・・と悔やむ親は多いだろう。私もそう思う。
けれども、子どもの時の自分にはなかった受け入れ態勢や親の理解そのこと事態がうらやましくて仕方がなくなる。
そしてやつあたりとなって、いわなくていい事まで言ってしまったり、してしまったりする。そしてそれは時として、暴言になり、叩くという即効性のある対応へつながる。そして、それはエスカレートするのだ。
子どもの方も、我慢できると思えば、同等の事をされても、黙っていれば時間は過ぎると思い、嫌だとは言えなくなる。
そして、もう少ししたら、もう少ししたら・・・と耐える。
暴力がひどくなれば、解離もする。
記憶を飛ばすことが出来ればその暴力から逃げられる。
私は子どもの方にも力があって、同じように叩かれたとしても全ての子どもに同じように傷がつくとは思わない。
暴力行為があったとしても、その後のケアを受けられていたらそれはその子自身が跳ね除けて行く力も持っているかもしれないと思う。
それには「σ(^_^)アタシは、暴力行為をされていいはずがない」そう思えることが大切なのだと思う。
大人からの暴力のうえに、さらに自分自身で自分に向ける「自分は大した事がないから、しかたがない」と自分への自尊感情がなくなった時点でつける傷が深くなる事で、心が痛くなり、そしてだれも信じられなくなることが虐待での深刻な問題だと思う。
信じられる大人なんていなくても暴力の連鎖は止められる。
それには「理不尽な怒り」を持っていれば可能になる。
けれども、その子ども自身の持っている力にエンパワメントできるとするならば、だれか話を聴いてくれる大人が一人いれば生き延びる。
そして、連鎖を止めたいと願う自分自身がいる事でそれは断ち切れる。
子どもの時に身につけた習慣は良くも悪くもその後の人生に影響する。
それは満たされた思いで子ども時代を過ごした人には想像もできないことだろうと思う。
なぜそう思うのか?は、自分自身が満たされた子ども時代を過ごしてきた自分を想像できないからだ。
しかし、
子育てをする事によって、自分とは明らかに違う環境を持ち、自分自身に自信をもって成長する娘を見ていると、「へぇ・・・」と思うことが多い。
その姿はうらやましくもあり、誇らしくもなる。
子育ては確かに一般的な人よりも苦難は大きいと思う。
けれども、子どもらしくしてるわが子はとてもキラキラしているし、自分の歩いていく道を自らが選んでいけることも頼もしいと思う。
連鎖を切るということは「子どもらしさ」の提供だと思う。
~してはいけません。
これが少なくなれば、子どもの表情が変わると私は思う。
どうしてこんなことしたの?
これも、ないほうがいい。それよりも同じような事になったらどうしようか?と一緒に考えよう。
あと、自分自身も子どもにも比較はやめよう。
すべての子どもに「安心」「自信」「自由」を。
人権意識、他者尊重、自己尊重を大切にしていたら連鎖は消える。
虐待してしまったと後悔している人に伝えたい。
後悔している時点であの親たちとは同じじゃない。
だからそれは連鎖を切っている、切ろうとしている自分自身を褒めて欲しい。
反省すべき人たちは「あの親たち」なのだから。
してしまった事を悔いても時間は戻らない。
だからこれから子どもの姿を受け入れる努力をしよう。
それが子どもの傷に寄りそう事だと私は信じている。
北海道CAPをすすめる会10周年記念講演会 「むかし、子どもだった あなたへ」~暴力の連鎖を超えて~ ―
北海道CAPをすすめる会10周年記念講演会―「つながろう、つなげよう」―
日時:2008年7月26日(土)14:00~(開場13:40) 会場:札幌市社会福祉総合センター 4階 大研修室 (札幌市中央区大通西19丁目1-1 Tel.011-614-2948) 参加費: 500円 講 演:14:00~15:30「むかし、子どもだった あなたへ ~暴力の連鎖を超えて~」 対 談:15:45~17:00 森田ゆりさん、田中康雄さん 交流会:17:00~17:45 10年の歩み・・「ありがとう、そしてこれからもよろしく!」
「子どもたちに『安心・自信・自由』を―」、子どもへの暴力のない地域社会を創るという願いを胸に、北海道CAPをすすめる会が活動を始めて今年で10周年を迎えます。これもひとえに皆様のご理解とご支援あってのことと思っております。今年、10周年に先立って私たちは「つながろう、つなげよう」という目標を掲げました。みなさんとのつながりに感謝し、また、これからも子どもたちへの暴力をなくすために新たな気持ちでつながっていけたらと思い、講演会を企画いたしました。
「むかし、子どもだった あなたへ~暴力の連鎖を超えて~」というタイトルには、たくさんの暴力を生き抜いてきた子どもの「生きる力」を信じようという願いをこめました。
一人でも多くの皆様のご参加をお待ちしております。
北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター教授、児童精神科医、臨床心理士。
主な著書「ボクたちのサポーターになって」(山洋社)、「ブレーキをかけよう」(山洋社)、
「ADHDの明日に向かって」(星和書店)、「少年非行~青少年の問題行動を考える~」(星和書店)他
*参加のご予約は裏面の書式にてFAXまたはメールで必要事項の送信をお願いします。
*参加費は当日受付にてお支払いください。
主催:北海道CAPをすすめる会
FAX:011-614-7499 e-mail:info@do-cap.org
後援:北海道 札幌市 北海道教育委員会 札幌市教育委員会
(*手話通訳あり)