虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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申し込みの時は、どの時間帯でもって言われたくらいがらがらだったけれど、実際は時間は押すし深刻な表情をしている人が多くて、なんだか恐縮した。
昨日久しぶりにねぇねの寝息を聞いてから寝た。
いろんなことを考えて眠りに入れないといっているので昨日のような状態はとてもめずらしい。
私も薬を飲まないと熟睡できないので、眠るのだけは付き合ってあげられない。
悪いとは思うけれど、これでまた不眠が重くなったら、しんどくてやってられない。
今日小児科のDrの話では午前中寝ているは、普通に起きたら学校に行かなければならない自分と戦わなければならなくなって、苦しい。だからからだと言うのは正直で昼間で寝ることによってその時間が自然に自分の知らない間に過ぎ去ってもらうようにと、願っているのだ」という。
まさしくそうで、なるほどなぁ・・・って思った。
ねぇねはいろんな人のことがわかるし、その痛みもしっている。
相談者が「心理士」になれるような感じだね・・と言うくらい、いろんなことがわかる。
大人は、「子どもなんだからそんな事しらなくてもいい」と言う人が多い。だけど、その言い方はねぇねを否定されているようでとても嫌だ。
そういう13歳がいてもいいんじゃないかと、私は思うのだ。
私の娘であることは変えられない。その変えられない環境の中で彼女がどんな人生を送りたいと思うのか、それを考えているのだと思う。
そして、私はその行動に援助できることがあれば、援助して、話を聞く。
学校は私が訪問しても、イライラ感が伝わってきて、とても痛い。
そんな大人が痛いと思うところに、毎日必死で学校へ通うのだ。
本来学校は楽しい時間を過ごせるとことだった。それは今はそうじゃないのだ・・・。
そのことに対して身体をはって自分の人生をかけて社会にもの申している13歳。
子どもなのに、子どもだから、こどものくせに・・・。
そう言ってごまかしている大人の方の問題だろうと私は言いたい。
私は最近のねぇねの表情が好きだ。
(*^^)vにこっとして、とろけそうな13歳。
Drは言った。
お母さんが同じ表情をしているから、子どもにも伝わるんですよ。
今までの時間は辛かったけれど大切な自分を作ってきた時間。
そして、ねぇねは充電期間として学校に行かない。
それがいつか彼女の生きて行く道にプラスになることは間違いないと、そう言ってもらった。
幸せそうな娘の顔を見ることができる母親になれてよかった。
・・・が今時間がないので後日。<(_ _)>
昨日は私の誕生日で本当に沢山の人から「おめでとう」をいただいた。
そして、こんなに素直に「ありがとう」と言ったことはないくらいとてもとても心から嬉しかった。
朝、CAP練習があって人形を使って(就学前のだから)嫌な事をされたら、「なにをしてでて逃げるの」「叩いたり、蹴ったり、引掻いたり、髪を引っ張ったりして、振りきって逃げるの」という会話に友達が、「・・・したらどうしよう?」という内容。
だけど、しらないおじさんがきて、声を掛ける・・・・。
「名前を聞かれるだけど、こたえなくちゃいけないの?なんだか変だわ」そう思って特別な叫びをして走って逃げる。
そして、おばあちゃんに報告する。
最近大人に相談する場面までいくと、嬉しくて、こうしたよ・・・と、劇が楽しそうに展開する。
それをねぇねはにこにこしながら見ていた。
人形劇をしていたこともあって、後で人形を触って「さすが人形遣いだね」というと「まあね」と笑う。
その後、私は仕事へ。
ねぇねはCAPのメンバーと食事へ。
(連れて行ってくれるなら、一緒に行きたいと自己主張した)
その後大学生のお姉さんと約束があるらしく、お出かけしていた。
さて、今日は「アルプスの少女、ハイジ」の映画のオープニングの歌のイメージを作るのにみんなの意見を聞いて、24日に試写会があるので、そこでミュージックサインのアピールをする。
そこでいつもどおり語り合っていたら、突然「すうちゃん、おめでとう」と大きな花束とHAPPY BITHDET ♪の歌が。。。。
(誕生日の人に、その歌を歌うための先導役はいつもしているんだけど、歌ってもらうのもは恥ずかしいでした。)ε=ε=ε=ε=ε" "(/*'-'*)/テレテレε=ε=ε=ε=ε" "(/*'-'*)/テレテレ
カードには「kasumiさん大好き!」と書いてありました。
o(´^`)o ウー (;_;)ウルウルでした。
その後、また会議があって休憩に「かあちゃん、後ろ振り向いたらだめだよ」とねぇねの指示。
なんだろうな・・・・。
大学生のお姉さんと、ねぇねはお昼からチョコを作っていて、私には「大入り」でみんなにはバレンタインデーが近いからと、かわいいチョコをラッピングして配っていた。
ああ・・それでなんかヘ(-.-ヘ;)... コソコソ...連絡したりしてたんだ。(笑)
先週の「ひきこもり」の講演会の時に、お姉さんの方から相談されたらしく、買い物にいったり楽しかったらしいです。
そして・・・・・会が終わったあと、いつも有志で食事に出かけるのだけど、「すうちゃんの食べたいものがいいと思う」と言われたんだけれど、迷ってしまって決められない状態・・・。
それで人の知恵を借りて、「中華」にして、途中参加の人を誘ってくれたりして、楽しくご飯を食べた。
仲間には「第二の誕生日」のことも話をして、私やっと解放されたの~~~というと、拍手をもらった。
そして、メンバーの誕生日を確認してほぼ毎月誕生会を出来ることがわかって・・・・・。
ねぇねは、久しぶりに眠たいって思っているから早く寝るよ!と私を置いて寝てしまった。(T_T)
いつもは、逆なのに、先に寝ちゃだめ・・・って引っ張られるのにサ・・・・。
だけど久しぶりに聞いたねぇねの「くーくー」って寝息。
嬉しかったな。
誕生を喜んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。<(_ _)>
今日母がらみで「信じられない~~~」出来事があり、小さいkasumiは、信頼できるおばちゃんに電話をした。そして、「今の自分の生活を大切にしなさい。」「とっても頑張ってたのは知ってるし、そんなに辛い思いをしていたなんて知らなくてごめんね」と言ってもらった。
さてその信じられないこととは・・・・。
先日記事で書いた通り、母親に「荷物はいらん!」と電話を切った。なので、しばらくは来ないだろうと思っていた。
ところがところが・・・・。
すごい執念で。
いつもより大きいので来た。(笑)
しかも???
ほとんどが古着だった。
しかも、何年前だ??ってもの。
ねぇねも、怒り心頭な私をみて、「おばあちゃんも、しつこいね」と言う。
なので、私は夫の職場に電話をして、自分の怒りが正当なものか判断をしてもらった・・・。
状況説明をしているだけでボロボロ涙は出るわ、鼻水は出るわ・・・。
しかも今日はお泊りな夫なわけで、電話口で泣かれても困る・・・という。それはもっとな話で・・・・。
意を決して母に電話をした。
「この荷物なに?どんな気持ちで送ったの?」と人が静かに話せば「電話が遠くて聞こえない」という。
だから、大きな声で話せば、「なんでいつも怒っているの?」という。
だから、一つ一つ確認した。
この古着はどうして欲しいの?
生地が上等だから、ねぇねにどうかと思って。
(あの、今戦争中じゃないんですけど)
私は、「いったいいつのもの?」と聞くと、「私が20代の時のもの」
「ところで、あなたはいくつなの?」と聞くと「73」。
「それじゃ。50年も昔の洋服をねぇねに着なさいって言ってんの?」と言うと、「要らないならバザーにでも出したらいい」と言う。
「あのね、ゴミに出すのだって今は有料なんだよ。バザーに出すんならそっちで出したらいいでしょう?」と言うと、「だって、使えるかと思って」と言う。しかも、「そんなに言うんだったら、車でおきに来ればいい」ときたもんだ。
「そんなガソリンと何時間もかけて置きに行く代物なわけ??」(怒)
「この間も言ったけれど、私はもうあなたからは何も要らないの、そんなに何かしたいんだったら、こうちゃんにしたらいいでしょう?あなたのだ・い・す・きなこうちゃんに。近いんだし・・・」
「だって、こうちゃんは要らないって言うし、取りに来ないもん」(このあたりから子どもに変身)
「あのね、こうちゃんの要らないものは私だって要らないの。わかる?」と私。
「なんていうか、謝るのがよっぽど嫌なんだね」というと「謝るほどのことはしていない」と言う。
このあたりからまじで切れてきた私。
「私にいやがらせしてんの?」と聞いたら生活の足しにってマジで思っているようだった。
だけど、首のとれた人形や、食べかけの腐った塩辛とか、きったな~~~い雑巾とか、気味が悪いほど嫌だったあの感触は忘れない。だから、「首のとれた人形・・・嫌がらせ意外の何があるの?」と聞いた。
それには答えず、「心配している」を繰り返す。
「それを受け取った私の気持ちは考えたことがあるの?」と聞いた。
そしたら、「kasumiの気持ちはわからない」という。
私は「そうだね、子どもの気持ちはわかりたくないよね。あなた自身が子どもだから。」と私。
「いい?私はあなたが死んでも葬式には行かないからね。あなたは親になるべきじゃなかったんだよ」
「そうだね」と、言う。
最後に「もう、話すこともないと思うし、電話ももう2度としない。バイバイ」と切った。電話欲しさに嫌がらせをしているのかとも思うけれど。
もしかしたら、責められてホッとしたいのかもしれない。
その後私は、誰かに話をしたくて相手を探した。
この叔母ちゃんは、実は夫の実家の母と同級生で、ひいおばあちゃんの葬式の時に、高校生だった私に、「K野の方にも、これだけ親戚がいるんだからね、忘れないでね」とわざわざ話しに来てくれた人だった。
実際には、相談したりしたことはないけれど、いつもkasaumiちゃん・・・って呼んでかわいがってくれた。自分の子どもが私を同い年だったり、そこの兄弟は男の子だったから、女の子だった私のことをいつも気にかけてくれていた。
ただ、遠いので実際にはあったことは数少ない。
よかったね、離れて暮らしていて。
そういった。
私の話をうそでしょうとか、信じられないなんて言わなかった。
性暴力の話もした。年齢が母より上だから「実の親子だよね」とは言ったけれど「それは悲しいし、辛かったでしょう」と言った。
私は結婚した時のことや、母の再婚先の息子との縁談の話や子どもをものとしてしか見ていない母親の話をした。
夫の母親をよく知っている人で、kenさんは優しい人だし、お母さんも優しいよね。
そのkenさんが私の傷について発見してくれたし、治療に行っておいでと言ってくれた事(実際にはけんかもしているし、離婚だ!!なんていうのは何度もある)(笑)についてはよかったね。これからは自分の家族だけを考えていていいと思うよ。
この叔母ちゃんは祖母の一番した(8人兄弟)妹で母とは3歳違い。
母はとっても裕福に暮らしてなんでもしてもらっていたよという。
お雛様は、70年前で御殿がついていたものだという。
てっきりkasumiちゃんがもらっていると思ったけれど。
私はおひな祭りという年中行事は知らない。
「女の子」だったからなのかしら?とも言われた。
これで父方の親戚と、母方の親戚に私達の育ちについて初めて語った。それぞれが私がひそかに信じてもいいと思っていた大人なのだろうと思う。
CAPのNO!。
嫌だという練習を初めて6年目。
GO!を先日のワークで実現。
そして「モヤモヤしていた気持ちを大人だった人たちに話しをして」
嘘だとか、まさか?!と言うことはしないで「あなたの気持ちを尊重していていいと思うよ」と言ってもらってこれで私の心の傷は、本当の意味で快復なのかもしれない。
プレイセラピーってこんな感じなのかな?
現場を再現して、助けてもらう。
助け出してもらうって、大切なことだ。
毎日SNOOPYの漫画の時間になると、「かあさん!!早く!」と呼んでくれるねぇね。
そのときは私にテレビを譲ってくれる。
私はねぇねに言った。
何があっても、ちゃんとかあさんに話をしてね。
何十年もたってから、かあさんみたいに爆発しないように。頼むよ。
たった一人で悩んだりしないでね。
そういったら、うん!(^^)って笑っていた。
母の恩着せがましいところは、また後で。
おばちゃんの話しぶりを聞いていて、お金はあって、おじいちゃんも子どもをアクセサリーにしたんだなってわかったような気がする。
おじいちゃんは水呑百姓の出身。その話は改めて。
憎しみって怖い、差別、偏見って嫌だ。
私の母性は母からじゃなくて、ひいおばあちゃんからもらったものだった。
今日も泣いた。今日の方がぎゃんぎゃんバスタオルを持って泣いた。
おばちゃん、いまさらの話を聞いてくれてありがとう。
小さいkasumiのこと、わかってくれてありがとう。
私は母も父も心底憎めない。
夫もあきれるくらいだ。
これがきっと愛着っていうか、歪んでいても親子なんだろうと思う。
だけど・・・・。
人として許せない。
信じられない。
いっそ他人だったらと思う。
親を思わない子どもはいないのだ。
でも、私はこの辛さは切りたい。
ねぇねの人生には渡したくない。
大人って勝手だ。
道具にしないでって本当に思う。アクセサリーも嫌だ。
昨日母親に電話で話している最後の方に「ピンポン!」ってなった。
スクールカウンセラーさんだった。
この「ピンポン!」が私を助けてくれた。
もしかしたら、あのまま話をしていたら、逆転されてまた嫌な感触が残ったのかもしれない。
昨日、中学校へPTAの集まりで2時半から会議だった。
いつも思っていたことだけど、これって集まる意味があるの?みたいな会議。
だけどさ・・・・。
表面的には何もないって感じで終わるのが嫌だった。
その他の議題で発言する機会があったので、話をして見た。
CAPの実施のこと。するとPTA会長さんは「なにそれ??」って反応。
そしたら、他の事務局の人が慌てていた。(笑)
私はねぇねが「死ねば?」と言われて学校に行かない選択をしている事。
私自身もねぇねも相手を排除する気持ちはない。だけど、もっと真剣に子どもと大人が頭をつきあわせて考えていかないと、子ども達がとても嫌な人生を送るんだと思うと、かなりはっきり伝えた。
いじめをないものにしてはいけない。そして、排除してはいけない。
今日担任が来てくれた。ねぇねの友達からの手紙を預かって持ってきた。
手紙はポストに入れたら届く。
そうやって、子どもに言うことは簡単だ。
一生懸命授業中に書いたのだと思う。
それを先生が届けるよといってくれる。返事はどうする?
取りにこようか?
立ち話で30分以上も会話してくれる。
北海道だから((´д`)) ぶるぶる・・・さむ~~ってなるのに。(笑)
相手の子にも、先生達が気にかけて声を掛けてくれているらしい。
少しだけれど、変ってきたかも?と。
私は13年しか生きていないのに「死ねば」と言わなければならないほどの、彼女の憤りはなんなんだろうと、考える。
その憤りを親は受け止めていないのだ。
子どももあきらめ、親もあきらめているのかもしれない。
でも、まだ人生は長いんだよ。
あなたの痛みをわかる大人は側にいますか?
排除してもその子は変らない、変らないどころか、もっと、もっと人を傷つけていくだろう。そして、取り返しのつかないことになりはしないかと、悲しくなる。
今日、ねぇねから手紙を見せてもらった。
友達も、ねぇねを助けたいだけど、方法がわかんないよ~~~。と書いていた。
なので、私はいった。
前にめぐちゃんの不登校の時に、ねぇねが泣いたときの事覚えてる?
あの時さ。めぐのことをみんなが忘れちゃう!!
めぐもねぇねがこんなに待っているのに学校に来てくれない!!って泣いてたよね。
かあさん、辛いなら頑張らなくてもいいっていったけど、ねぇねは一晩泣いて、まためぐの家に寄って帰ってきたよね。
あの時のねぇねと、手紙をくれたお友達って、同じ事考えているんじゃないのかな?
うん・・・・。
こういう会話をした後、「明日学校行こうかな?」「ラウンジにいてもいいんだよね」
私は、「ラウンジに、お友達を呼んだらいいよ」(笑)
そっか・・・・。
ねぇねは学校に行くのだったら、クラスに戻りたいと思っている。だけど、トイレで嫌な子と出会う。
だから、クラスにいけないと思っている。
ラウンジは、不登校の先輩達もいるしトイレも別なところだから、少しは楽なのかな?
担任の先生はどんどん変化して行く。
出来ることはなんでもするから、何でも言ってくれ!
そう言われて、うん・・・って返事をしている姿はめんこいって思う。
パパになったばかりの担任は、私と一緒に「親馬鹿」ブリをねぇねに披露してくれる、どっちが勝っているだろうか?
もちろん年季が入った私だと思う。(笑)
これですっきりした!って思ってるんだとばかり思っていたのに、ちがうらしい。
少し「飛んでるなぁ・・・」って朝から思っていたんだ。もやもやしてるなぁ・・・・って。
午後仕事にいって、休んでいたら、「こうちゃん、こうちゃん」って弟を探している。
「ねぇねぇ。こうちゃんを助けに行こう!」って言ってます。
3歳したの弟で、彼は小学校に入ってすぐ母親と別れている。
多分私以上に訳がわからないまま、祖母の家で暮らしたり、夜は二人きりになっていたり、ご飯はねぇちゃん(私)が作る生煮え。
私は一生懸命作っているのに、「まずい」と言っていた。
お姉ちゃんは昔は優しかったと言うのが口癖だった。
そう、5年生くらいから、「こうちゃんのねえちゃん、怖い」って言われていたなぁ。
だけどそれって私のせいじゃないよ!!
ふと考えると、小5から中2くらいまでの記憶が途切れている。
弟の姿も見えない。
中3の時は再婚してくれて、妹がいたんだけど、その人のことは覚えているけれど、弟がどうしていたのかはまるっきり記憶にないことがわかった。(-。-;)(-。-;)
そして、私はT市の高校に通うようになって、母親とあっていたけれどそれは弟には言えなかった。事実が知れたら殴られるし・・・。
なので、「おねえちゃん、ずるい!」って思っているかもしれない。
父親のベッドに連れられていくときに、「小遣いをやる」と言う会話があった。それを聞いた彼は「お姉ちゃんはいいなぁ・・・」と言っていたのが記憶に残っている。
実際はなにももらっていないし。
そこで何が起こっていたのかはわからないだろう。
私は弟と話すのが怖い。
すぐ切れるし・・・・。(私以上に)
彼の頭の中は、世の常識でいっぱいで、何でこんなにお利口さんなんだろうと思うことでいっぱいだ。
その彼も今は一児の父。
それが女の子だ。
彼が自分の育った家庭をどう考えているのかはまったくわからない。
話すと口論になるので怖いんだ。
だけど、お姉ちゃんになっている、助けに行こう!!って。
こうちゃん、苦しいって言っているよって・・・。困ったなぁ・・・。
手紙でも書くカナ。…c(゜^ ゜ ;)ウーン