虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
×
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書きたいことはいっぱいあるのだけれど、時間が・・・・。
先日里親会の役員会で、michieさんこれ見てよ・・・と資料を渡されました。
動物の里親はある程度浸透してしまっているから、仕方がないと思いつつ、反対派ではあります。
だって、子どもの里親と、動物の里親が同じような意味で使われてると思うと、非常に残念です。
人間の方が里親という言葉を使い始めたのが先なのですから、人間を尊重してほしいのです。しかも傷つくのは子どもだからね。
その資料に、お花の里親という言葉が公的機関(しかも里親の登録に関わっている役所)がHpで使っていたのでびっくり!!
動物は飼い主、植物もたしかに愛があると、育つのが早いとかあるのはわかるけれど。。。
なんでも親をつければいいのか?と言う事に疑問を感じないのかな??と、ため息が出ました。
私たち養育里親は、ある程度の審査を受け、研修をうけて、子どもをいつでも受け入れられるように準備をして登録いますし、緊急であれば、その当日子どもを預かることもあるわけです。
我が家にいるナナもにゃん子ですが、家族同然だけれど、里子か?と考えるとやっぱりにゃん子です。
ホストファミリーとアメリカでは言うらしいけれど、実家庭に変わって子どもを養育する里親と、植物を育てる人が同じ「里親」と言う言葉を使われるのには、なんだか、悲しいです。
里親はお金をもらっていると批判する方も多いけれど実際食費、衣服費など最低限かかるものの分しかもらわないし、逆に持ち出しの方が多いのですよ。
最近やっと塾の費用がでるようになったり、部活動にかかる遠征費なども事後申請でもらえるようにはなったけれど、まだまだ手続きが大変だったり制限があったりします。
施設は措置費と言うもので運営や職員を雇っています。けれど、それに対して誰も何も言わないし、職員はたいへんなお仕事ですねと労ってもらう事もある。
けれど里親っていうと、なんでわざわざ他人の子どもを?とか、お金もらっているんでしょ?と言われたり、あまりよい評価は受けません。
けど、私は自分が里子になりたかったなぁ・・と今思うし、虐待の治療や助けてくれる大人と出会いたかったので、登録して、委託があった時は、すぐ受け入れ準備をしました。
自分の親と違うモデルをみることによって、得られるものは大きいと思うからです。
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先日里親会の役員会で、michieさんこれ見てよ・・・と資料を渡されました。
動物の里親はある程度浸透してしまっているから、仕方がないと思いつつ、反対派ではあります。
だって、子どもの里親と、動物の里親が同じような意味で使われてると思うと、非常に残念です。
人間の方が里親という言葉を使い始めたのが先なのですから、人間を尊重してほしいのです。しかも傷つくのは子どもだからね。
その資料に、お花の里親という言葉が公的機関(しかも里親の登録に関わっている役所)がHpで使っていたのでびっくり!!
動物は飼い主、植物もたしかに愛があると、育つのが早いとかあるのはわかるけれど。。。
なんでも親をつければいいのか?と言う事に疑問を感じないのかな??と、ため息が出ました。
私たち養育里親は、ある程度の審査を受け、研修をうけて、子どもをいつでも受け入れられるように準備をして登録いますし、緊急であれば、その当日子どもを預かることもあるわけです。
我が家にいるナナもにゃん子ですが、家族同然だけれど、里子か?と考えるとやっぱりにゃん子です。
ホストファミリーとアメリカでは言うらしいけれど、実家庭に変わって子どもを養育する里親と、植物を育てる人が同じ「里親」と言う言葉を使われるのには、なんだか、悲しいです。
里親はお金をもらっていると批判する方も多いけれど実際食費、衣服費など最低限かかるものの分しかもらわないし、逆に持ち出しの方が多いのですよ。
最近やっと塾の費用がでるようになったり、部活動にかかる遠征費なども事後申請でもらえるようにはなったけれど、まだまだ手続きが大変だったり制限があったりします。
施設は措置費と言うもので運営や職員を雇っています。けれど、それに対して誰も何も言わないし、職員はたいへんなお仕事ですねと労ってもらう事もある。
けれど里親っていうと、なんでわざわざ他人の子どもを?とか、お金もらっているんでしょ?と言われたり、あまりよい評価は受けません。
けど、私は自分が里子になりたかったなぁ・・と今思うし、虐待の治療や助けてくれる大人と出会いたかったので、登録して、委託があった時は、すぐ受け入れ準備をしました。
自分の親と違うモデルをみることによって、得られるものは大きいと思うからです。
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実は、私はタッカの歌を「うまい!」と思ったことはありませんでした。(笑)
というのは、初めて紹介された時にも島さんから「michieさん、素敵な歌を歌う人がいるんですよ」とりぼんを紹介されて、「島さんがいうんだから、きっと心に響くんだろう、当然・・・」みたいな気持で「初めまして」と出会ったはず。
はず・・・というのは、DPIでも見かけていたし、りぼんのタッカとして確認できたのは、ちょっとタイムラグがあるのでよく覚えていないんですね、私・・・・。
なみちゃんの印象は覚えているんだけれど・・・・。(笑)
もちろん、タッカが難聴であることを本人から知らせてもらったのは、もっと後になるのだけれど、ある会議の時に、小さな補聴器を手のひらに乗せて、「大事な話しの時は使ってるんだ」と見せてくれて、私も、いろんな補聴器はみたことはたくさんあるけれど、「へぇ・・・こんなに小さい補聴器があるんだ。左右がわかる様に色分けされてるんだね、私はピアスをよく片方なくすから、私だったらもっと大きくないと失くしちゃうなぁ。。。」なんてとんちんかんな会話をしたのです。
・・・・っていうか、聴こえない人との会話ってこんな感じですね。
私は相手に障がいがあっても、なくても、会話の仕方を特に変える習慣がないので、それこそ素の私のままでした。
それ以前から、タッカの様子はみていて「この人聴こえていないことがあるのではないか?」と疑っていましたが、性格的に「天然??」と思うような行動もあったし、あまりあって間もない人に、「聴こえてないでしょ?」とはさすがの私も聞けませんでしたから、(笑)タッカからのカミングアウトは、「やっぱり・・・」というのと、「私に話してくれてありがとう」という気持ちでした。
タッカの言う「言葉としては、入らないけれど音としては入る」という意味も、よくわかるしほかの聴こえない人達も音楽好きはたくさんいるので、「難聴なのに歌える」ということではなく、私の中では「難聴で音楽好きな人」というイメージかな。
それにしても、歌う声が大きいのは、自分の耳に届くにはあれくらい大きくないと反響とか雑音とか、いろんな音も入るから、自分の耳で確認するには普通の声では自分には届かないという事なんだろうね。
それが良い意味で、誰にもまけない声量につながっていると思います。
最近、曲作りの中にいるタッカの姿を拝見できる時間も普段の練習の中で、あってタッカの頭の中の♪がどんなふうに旋律になって行くのか、それを垣間見たり、その音を取って、ピアノのイメージを作ったりしています。
必ずしも一緒に演奏するなんてことは決まっていないし、私は私の音楽の感性を取り戻すための訓練にもなるので、最近の新しい曲のメロディの音を探すのは私がしています。
なんでかというと、頭の中にあって、楽譜にはならないのです。(正しくはできない)
わりと感性で音楽を作っている人って楽譜を読んだり書いたりしないんですよね。
音を音楽に変えるとか作る力と楽譜を使うという能力は別物で、私は♪は読めるけれどそれを表現する力は弱いです。
私は、メロディが理解できて、一度楽譜に落とすと、このコードがあうかも?と言う事はたいだい分かるのですが、変則的にピアノで合うと思っていても、ギターだと変?と言う事があったり、その逆もあります。
だから、結果ある程度拾った音と、タッカの頭の中とのすり合わせができて初めて、では練習に入りますか・・・というのが最近の様子です。
そんな感じでいつもタッカの歌を聞いているので、改めて聴くチャンスがあまりないということと、練習しているタッカを知っているので、本番では、「力が抜けてよかったね」とか、「意外なところで裏返ったね」とかそんなスタッフ的な感想しかもっていなかったのです。(笑)
ところが、最近練習の合間に、仕事をしながらその練習のための音源を聴いていました。
聞くではなく、聴くになりながら、学生からの手紙を読んでいたのです。
すると、なんと!!涙が・・・でそうになり、びっくり。(笑)
そして、しばしぼ~~~っと何も考えずに、歌に聴き入りました。
タッカ、歌うまいわ!って初めて思ったのです。(笑)
うまくなったわ!なのかな。(大爆笑)
昨日それを伝えたら、倒れそうになってましたが・・・・。(笑)
私は練習の時の想いや、届けたい!という想いをとても強く感じるし、たぶん誰よりも近い距離でそれを知っていてそれを応援しているつもり。
(演奏では邪魔にしているかもしれないけど、いいよっていうし。もう少し弾けるようになるんだし・・・と、)
そして、「難聴」を表に出すようになってから、ほんの少しだけど、ゆとりができて、島さんが求めている「色気」とか、「艶」とかが出て来てる感じがする。
だから、もっと自分を褒めていいと思っているのだけれど、彼は「まだまだ」と言う言葉を使う。
私がそれを聞くとどこまで自分を追い詰めるのが好きなんだろうと、思うのですが・・・・。
けど、最近マイナスのイメージのまだまだではなくて、「まだまだ行ける」と言う意味なんだね・・・とわかるようになってきました。
けど、私は変化してきた自分をもっと褒めたらいいのになぁ・・・と時々思うのです。
だって、タッカは歌がうまくて当たり前と思っていた私が「お!うまいわ」と涙がでそうになったのだから。(笑)
そして、いままでは「邪魔をしない」とか、思って遠慮気味に伴奏をと思っていたのだけれど今少しだけ私にも「音楽の神様」が君臨してきていて、思いっきり弾きたいって気持ちになっていて、「ここは弾かないで」って言われたら、やめるみたいに伴奏を作っています。
難聴のタッカをうまくサポートできる伴奏を作れることが目下の私のしたいこと。
なんちゃって、ピアノの上達をサポートされているのは、わ・た・し。
人前で演奏するチャンスなんて、そうそうあるものではありませんから。。。
こういうのを相乗効果というのです。
そして、支援する人の醍醐味でもあります。(*^^)v
どっちも支援者であり、支援される人でもある・・・ってことで。
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というのは、初めて紹介された時にも島さんから「michieさん、素敵な歌を歌う人がいるんですよ」とりぼんを紹介されて、「島さんがいうんだから、きっと心に響くんだろう、当然・・・」みたいな気持で「初めまして」と出会ったはず。
はず・・・というのは、DPIでも見かけていたし、りぼんのタッカとして確認できたのは、ちょっとタイムラグがあるのでよく覚えていないんですね、私・・・・。
なみちゃんの印象は覚えているんだけれど・・・・。(笑)
もちろん、タッカが難聴であることを本人から知らせてもらったのは、もっと後になるのだけれど、ある会議の時に、小さな補聴器を手のひらに乗せて、「大事な話しの時は使ってるんだ」と見せてくれて、私も、いろんな補聴器はみたことはたくさんあるけれど、「へぇ・・・こんなに小さい補聴器があるんだ。左右がわかる様に色分けされてるんだね、私はピアスをよく片方なくすから、私だったらもっと大きくないと失くしちゃうなぁ。。。」なんてとんちんかんな会話をしたのです。
・・・・っていうか、聴こえない人との会話ってこんな感じですね。
私は相手に障がいがあっても、なくても、会話の仕方を特に変える習慣がないので、それこそ素の私のままでした。
それ以前から、タッカの様子はみていて「この人聴こえていないことがあるのではないか?」と疑っていましたが、性格的に「天然??」と思うような行動もあったし、あまりあって間もない人に、「聴こえてないでしょ?」とはさすがの私も聞けませんでしたから、(笑)タッカからのカミングアウトは、「やっぱり・・・」というのと、「私に話してくれてありがとう」という気持ちでした。
タッカの言う「言葉としては、入らないけれど音としては入る」という意味も、よくわかるしほかの聴こえない人達も音楽好きはたくさんいるので、「難聴なのに歌える」ということではなく、私の中では「難聴で音楽好きな人」というイメージかな。
それにしても、歌う声が大きいのは、自分の耳に届くにはあれくらい大きくないと反響とか雑音とか、いろんな音も入るから、自分の耳で確認するには普通の声では自分には届かないという事なんだろうね。
それが良い意味で、誰にもまけない声量につながっていると思います。
最近、曲作りの中にいるタッカの姿を拝見できる時間も普段の練習の中で、あってタッカの頭の中の♪がどんなふうに旋律になって行くのか、それを垣間見たり、その音を取って、ピアノのイメージを作ったりしています。
必ずしも一緒に演奏するなんてことは決まっていないし、私は私の音楽の感性を取り戻すための訓練にもなるので、最近の新しい曲のメロディの音を探すのは私がしています。
なんでかというと、頭の中にあって、楽譜にはならないのです。(正しくはできない)
わりと感性で音楽を作っている人って楽譜を読んだり書いたりしないんですよね。
音を音楽に変えるとか作る力と楽譜を使うという能力は別物で、私は♪は読めるけれどそれを表現する力は弱いです。
私は、メロディが理解できて、一度楽譜に落とすと、このコードがあうかも?と言う事はたいだい分かるのですが、変則的にピアノで合うと思っていても、ギターだと変?と言う事があったり、その逆もあります。
だから、結果ある程度拾った音と、タッカの頭の中とのすり合わせができて初めて、では練習に入りますか・・・というのが最近の様子です。
そんな感じでいつもタッカの歌を聞いているので、改めて聴くチャンスがあまりないということと、練習しているタッカを知っているので、本番では、「力が抜けてよかったね」とか、「意外なところで裏返ったね」とかそんなスタッフ的な感想しかもっていなかったのです。(笑)
ところが、最近練習の合間に、仕事をしながらその練習のための音源を聴いていました。
聞くではなく、聴くになりながら、学生からの手紙を読んでいたのです。
すると、なんと!!涙が・・・でそうになり、びっくり。(笑)
そして、しばしぼ~~~っと何も考えずに、歌に聴き入りました。
タッカ、歌うまいわ!って初めて思ったのです。(笑)
うまくなったわ!なのかな。(大爆笑)
昨日それを伝えたら、倒れそうになってましたが・・・・。(笑)
私は練習の時の想いや、届けたい!という想いをとても強く感じるし、たぶん誰よりも近い距離でそれを知っていてそれを応援しているつもり。
(演奏では邪魔にしているかもしれないけど、いいよっていうし。もう少し弾けるようになるんだし・・・と、)
そして、「難聴」を表に出すようになってから、ほんの少しだけど、ゆとりができて、島さんが求めている「色気」とか、「艶」とかが出て来てる感じがする。
だから、もっと自分を褒めていいと思っているのだけれど、彼は「まだまだ」と言う言葉を使う。
私がそれを聞くとどこまで自分を追い詰めるのが好きなんだろうと、思うのですが・・・・。
けど、最近マイナスのイメージのまだまだではなくて、「まだまだ行ける」と言う意味なんだね・・・とわかるようになってきました。
けど、私は変化してきた自分をもっと褒めたらいいのになぁ・・・と時々思うのです。
だって、タッカは歌がうまくて当たり前と思っていた私が「お!うまいわ」と涙がでそうになったのだから。(笑)
そして、いままでは「邪魔をしない」とか、思って遠慮気味に伴奏をと思っていたのだけれど今少しだけ私にも「音楽の神様」が君臨してきていて、思いっきり弾きたいって気持ちになっていて、「ここは弾かないで」って言われたら、やめるみたいに伴奏を作っています。
難聴のタッカをうまくサポートできる伴奏を作れることが目下の私のしたいこと。
なんちゃって、ピアノの上達をサポートされているのは、わ・た・し。
人前で演奏するチャンスなんて、そうそうあるものではありませんから。。。
こういうのを相乗効果というのです。
そして、支援する人の醍醐味でもあります。(*^^)v
どっちも支援者であり、支援される人でもある・・・ってことで。
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教育大学のリン、ことしの手話の授業でイッシーと共にわたげに参加してくれた。
ちょっとおちゃめで、楽しいこと大好きそんな感じの女性でした。
まーさんとは、とても気があい、お互い離れるのがなんとなく淋しい。でもきっといつか逢いに行けるよと(来ると)信じているよみたいな関係かなと、傍で見てると思います。
年齢で考えると、5歳違うんだけれど、姉と妹みたいな感覚。
わたげには、4兄姉妹がいて、まーさん、カホ、イッシー、リン、かな。
実は昨日、イッシーの肩が外れ、アイリスでボランティアの最後の仕事をしている時に、「かぁちゃ~~~ん」と半泣きのまーから電話が入り、イッシーの左肩が脱臼したのと、起き上がれなくてタクシーにも乗れない、どうしたらいい?と連絡が入った。
しかたがない・・・、10分あれば終わる仕事なのだけれど、もう一人の人に頼んで、即効駆けつけた。
電話だけだと、様子がわからないので部屋に入り、イッシーの状態は・・・・。
痛い方の肩はどっち? 左です。
身体がまっすぐになったら自分で起きれる?
たぶん。。。
右側に身体をむけることは痛くない?
大丈夫です。
そか・・。じゃぁ
この足をまっすぐにして、身体の向きを正面にもどすとどうなる???
おお!すんなり自分で起きてこれたねぇ。。。(笑)
そいじゃ、救急センターに行こうか?
ってことなっていた夜。
帰宅した時間は11時過ぎてた。
そして、そのリンの見送りに大学で11時集合だったわけだれど、まーさん走っていて転ぶ。
手足両方擦り傷、えぐれて侵出液がだらだら・・・。
急いでいたこともあって、
セブンイレブンで買えるだけの消毒液とバンドを買い、いそいで大学へ。
そして国際線の空港のロビーへ向かう。
手続きに結構時間がかかり、なんだかんだしながら、写真を撮ったり、動画を取ったりして、最後のときを過ごした。
お友達の多いリンだから、それぞれになごり惜しそうだったけれど、リンが一番けろっとしてて、「又来るから」と去っていく。
それでもまーには、短い期間だったけれど、これからも関われるそんな眼差しで接してるように見えた。
スカイプで電話できるんだって。。。と前の日「かあちゃん、スカイプのやり方教えて、ただで電話できるってリンが言ってた」ととっても嬉しそうに、話していた。
派手に転んだ身体をいたわりつつも、飛行機が飛び立つまで、小さく見えなくなるまで手を振って、(このあたりは小さな頃と変わらない。)
最後にmichieさん、本日のわたげ(キャンプの祈祷師)アップしておきましたから。
ときどき、日本からも「本日のわたげ」アップしてくださいね・・・と名言を残し、また逢える、そんな気持ちにされてくれるリンでした。
さて・・本日のわたげを探したら、また記事にして、見ていただきます。ちょっと怪しい集団になっているかもしれません。(笑)
(傷やアクシデントに強いのはyochie,gochieだから、とても冷静でした。)
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ちょっとおちゃめで、楽しいこと大好きそんな感じの女性でした。
まーさんとは、とても気があい、お互い離れるのがなんとなく淋しい。でもきっといつか逢いに行けるよと(来ると)信じているよみたいな関係かなと、傍で見てると思います。
年齢で考えると、5歳違うんだけれど、姉と妹みたいな感覚。
わたげには、4兄姉妹がいて、まーさん、カホ、イッシー、リン、かな。
実は昨日、イッシーの肩が外れ、アイリスでボランティアの最後の仕事をしている時に、「かぁちゃ~~~ん」と半泣きのまーから電話が入り、イッシーの左肩が脱臼したのと、起き上がれなくてタクシーにも乗れない、どうしたらいい?と連絡が入った。
しかたがない・・・、10分あれば終わる仕事なのだけれど、もう一人の人に頼んで、即効駆けつけた。
電話だけだと、様子がわからないので部屋に入り、イッシーの状態は・・・・。
痛い方の肩はどっち? 左です。
身体がまっすぐになったら自分で起きれる?
たぶん。。。
右側に身体をむけることは痛くない?
大丈夫です。
そか・・。じゃぁ
この足をまっすぐにして、身体の向きを正面にもどすとどうなる???
おお!すんなり自分で起きてこれたねぇ。。。(笑)
そいじゃ、救急センターに行こうか?
ってことなっていた夜。
帰宅した時間は11時過ぎてた。
そして、そのリンの見送りに大学で11時集合だったわけだれど、まーさん走っていて転ぶ。
手足両方擦り傷、えぐれて侵出液がだらだら・・・。
急いでいたこともあって、
セブンイレブンで買えるだけの消毒液とバンドを買い、いそいで大学へ。
そして国際線の空港のロビーへ向かう。
手続きに結構時間がかかり、なんだかんだしながら、写真を撮ったり、動画を取ったりして、最後のときを過ごした。
お友達の多いリンだから、それぞれになごり惜しそうだったけれど、リンが一番けろっとしてて、「又来るから」と去っていく。
それでもまーには、短い期間だったけれど、これからも関われるそんな眼差しで接してるように見えた。
スカイプで電話できるんだって。。。と前の日「かあちゃん、スカイプのやり方教えて、ただで電話できるってリンが言ってた」ととっても嬉しそうに、話していた。
派手に転んだ身体をいたわりつつも、飛行機が飛び立つまで、小さく見えなくなるまで手を振って、(このあたりは小さな頃と変わらない。)
最後にmichieさん、本日のわたげ(キャンプの祈祷師)アップしておきましたから。
ときどき、日本からも「本日のわたげ」アップしてくださいね・・・と名言を残し、また逢える、そんな気持ちにされてくれるリンでした。
さて・・本日のわたげを探したら、また記事にして、見ていただきます。ちょっと怪しい集団になっているかもしれません。(笑)
(傷やアクシデントに強いのはyochie,gochieだから、とても冷静でした。)
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やっと気持ちが落ち着いてきたので、ユニバーサル映画の準備を始めた。(笑)
それで、パソコンでDVDを焼いているのです。
そして、リッピングしたり、焼き増ししたりで、パソコンの周辺から逃れられなく、また時間もかかるので、偉くめんどうな講演の記録を記事にしたりしてるわけ。
記事だけを読むと、「どした?」って思っているかもしれない心配してくれている人へ。
時間を有効活用しているのと、やっと書く力が出てきたから(笑)
心配しないでね。
私、やっぱり性虐待の事に触れるのは怖かったんだ。
自分のこと、書きたいけど、まだそれには、いたらないし、根拠がないから、かけないな・・って思っててね。
リンダさんの記録を改めて読んだら、「私」ですよね。これ・・・って。
虐待を受けた子どもの本を読んだ時見たいに楽になった。
ま・・・・あたりまえなんだけれどね。
自分で認められない部分って、他の人もそうなんだって想えないと、自分だけ??って思ってしまいやすいし、それを地域で語れるわけじゃない。
それが辛かったのかもしれないなぁ…って。
だから、心配いらないよ。
やっとここまで来たって、思えるから、出口はすぐ先。
マラソンでいうと陸上競技場の中に入りました。あと1周です。
ゴールは見えた。(*^^)v
あ~~~長かった。辛かった。苦しかった。悲しかった。
けど、たくさんの人と出会えてうれしかった。
それもこれも、「あなたのままでいいのよ」と言う言葉。
いろんな人がくれた。
ありがとう。
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それで、パソコンでDVDを焼いているのです。
そして、リッピングしたり、焼き増ししたりで、パソコンの周辺から逃れられなく、また時間もかかるので、偉くめんどうな講演の記録を記事にしたりしてるわけ。
記事だけを読むと、「どした?」って思っているかもしれない心配してくれている人へ。
時間を有効活用しているのと、やっと書く力が出てきたから(笑)
心配しないでね。
私、やっぱり性虐待の事に触れるのは怖かったんだ。
自分のこと、書きたいけど、まだそれには、いたらないし、根拠がないから、かけないな・・って思っててね。
リンダさんの記録を改めて読んだら、「私」ですよね。これ・・・って。
虐待を受けた子どもの本を読んだ時見たいに楽になった。
ま・・・・あたりまえなんだけれどね。
自分で認められない部分って、他の人もそうなんだって想えないと、自分だけ??って思ってしまいやすいし、それを地域で語れるわけじゃない。
それが辛かったのかもしれないなぁ…って。
だから、心配いらないよ。
やっとここまで来たって、思えるから、出口はすぐ先。
マラソンでいうと陸上競技場の中に入りました。あと1周です。
ゴールは見えた。(*^^)v
あ~~~長かった。辛かった。苦しかった。悲しかった。
けど、たくさんの人と出会えてうれしかった。
それもこれも、「あなたのままでいいのよ」と言う言葉。
いろんな人がくれた。
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そういえば・・・。
http://www.tbs.co.jp/program/wedsp_20080723.html
聴覚障害のある高島良宏さんと久美子さんは、福島と函館のろう学校にいる時に文通で知り合った。今のようにパソコンが一般には普及していない時代、お互いの声を聞くことができない二人は手紙で愛を語り合い、共に23歳で結婚する。
1992年、二人はトライアスロンに出会う。過酷な競技に挑戦しながら得られる充実感。生きることの喜びを体感するのに、障害のあるなしは関係ないと気付いていく。
1994年には久美子さんが出産。夫婦は永遠の憧れである「音」の字を名に入れて子どもを怜音(れお)と命名した。わが子の泣き声さえ聞くことができない夫婦の試行錯誤の育児が始まった。言葉を教えられない夫婦は子どもを保育園に通わせる。子どもは自然に言葉と手話を使うようになり、コミニュケーション力を身に付ける。
そして2008年。今回の番組取材のため、スタッフは再び高島家を訪れた。だがそこには、障害を乗り越えて子育てに向かっていた仲のよい家族の姿はなかった。思春期の微妙なすれ違いが家族を離れ離れにしていたのだ。
家族は互いを見つめるため、トライアスロンが行なわれる宮古島に向かう。かつて父母が懸命に挑戦した競技を始めて目の当たりにする息子。選手たちに声援を送りながら家族はそこに何を感じるのだろうか…。
彼も、お話が出来る聴こえない人だった。
大林監督が作った映画を函館で上映する際に通訳者として、関わった。
駅伝の盛んな福島町でも講演会があって、その通訳もした。
彼はその頃悩んでいた。お話が出来るので、通訳者なしでテレビに出てほしいとか、スタッフとのやり取りを一人で頑張っていた。
その姿は、テレビでみていても、苦しそうだな・・・と私は感じていた。
なので、彼に対しての現場で通訳は要らないと言われて依頼を受けた。
会場に来る聴覚障がい者のための通訳だからと、念を押されていた。
だけど、彼はちらちら私を見る。
必死で口話を読みとりながら、私を見る。
だから、スタッフの目にとまらないように手を動かした。
そして、確認した。
読みとり通訳しますか?
してくれるの??と目がキラキラした。
私は「出来るよ、あなたが必要なら。」
そう答え、二人でスタッフに申し出た。
少し戸惑っていたけれど当の本人の希望だからダメとは言わなかった。
そして、映写の前の、短い時間のトークだったけれど、彼は自由に語れたと、ニコニコしていた。
こんな経験が3回くらいある。
福島町での講演会でも、飛行機が遅れることはわかったけれど、なんで??がわからず、トイレに行きたいのをずっと我慢していたとか。
彼の息子は我が家と同い年。
聴こえないことが美談になると、聴こえない人が我慢を強いられる。
手話通訳を活用しないで、頑張っている姿が美しいと聴こえる人は思う事が多い。
私は手話を使って、通訳者を最大限に活用してこそ、ろう者としての誇り、アイディンティティが生まれると思うし、聴こえないことが誇りになるのだと、世界で活躍しているアーティストや、活動者をみてて思う。
私はそういう彼らにさりげなくサポート出来る通訳者でありたいし、ミュージックサインも、さりげなく彼らのそばに置きたいと思う。
伝えたい想いは山のようにあるけれど、押しつけるものではなくてそっと、さりげなく。
なぜならば、聴こえない人が一秒でも幸せだと感じる時間を長く持ってもらいたいと思うから。
多くの聴こえる人の中で、いつも孤独だと感じている時間が長いだろうから、少しでも楽に呼吸ができる時間を共有したい。そして、昔話をする中で、「あの時は・・・」と語れる仲間でいたい。
今遠く離れていても、出逢いが与えられたら、ハグして、ハグされて。
あの時は・・・と語りあえる仲間で居たい。
私は自分のそんな幸せの時間のために、彼らを支援したい。
さりげなくそっと、道端に咲く小さな花のように。
いつでもそばにいるよ。そう伝えておきたい。
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http://www.tbs.co.jp/program/wedsp_20080723.html
聴覚障害のある高島良宏さんと久美子さんは、福島と函館のろう学校にいる時に文通で知り合った。今のようにパソコンが一般には普及していない時代、お互いの声を聞くことができない二人は手紙で愛を語り合い、共に23歳で結婚する。
1992年、二人はトライアスロンに出会う。過酷な競技に挑戦しながら得られる充実感。生きることの喜びを体感するのに、障害のあるなしは関係ないと気付いていく。
1994年には久美子さんが出産。夫婦は永遠の憧れである「音」の字を名に入れて子どもを怜音(れお)と命名した。わが子の泣き声さえ聞くことができない夫婦の試行錯誤の育児が始まった。言葉を教えられない夫婦は子どもを保育園に通わせる。子どもは自然に言葉と手話を使うようになり、コミニュケーション力を身に付ける。
そして2008年。今回の番組取材のため、スタッフは再び高島家を訪れた。だがそこには、障害を乗り越えて子育てに向かっていた仲のよい家族の姿はなかった。思春期の微妙なすれ違いが家族を離れ離れにしていたのだ。
家族は互いを見つめるため、トライアスロンが行なわれる宮古島に向かう。かつて父母が懸命に挑戦した競技を始めて目の当たりにする息子。選手たちに声援を送りながら家族はそこに何を感じるのだろうか…。
彼も、お話が出来る聴こえない人だった。
大林監督が作った映画を函館で上映する際に通訳者として、関わった。
駅伝の盛んな福島町でも講演会があって、その通訳もした。
彼はその頃悩んでいた。お話が出来るので、通訳者なしでテレビに出てほしいとか、スタッフとのやり取りを一人で頑張っていた。
その姿は、テレビでみていても、苦しそうだな・・・と私は感じていた。
なので、彼に対しての現場で通訳は要らないと言われて依頼を受けた。
会場に来る聴覚障がい者のための通訳だからと、念を押されていた。
だけど、彼はちらちら私を見る。
必死で口話を読みとりながら、私を見る。
だから、スタッフの目にとまらないように手を動かした。
そして、確認した。
読みとり通訳しますか?
してくれるの??と目がキラキラした。
私は「出来るよ、あなたが必要なら。」
そう答え、二人でスタッフに申し出た。
少し戸惑っていたけれど当の本人の希望だからダメとは言わなかった。
そして、映写の前の、短い時間のトークだったけれど、彼は自由に語れたと、ニコニコしていた。
こんな経験が3回くらいある。
福島町での講演会でも、飛行機が遅れることはわかったけれど、なんで??がわからず、トイレに行きたいのをずっと我慢していたとか。
彼の息子は我が家と同い年。
聴こえないことが美談になると、聴こえない人が我慢を強いられる。
手話通訳を活用しないで、頑張っている姿が美しいと聴こえる人は思う事が多い。
私は手話を使って、通訳者を最大限に活用してこそ、ろう者としての誇り、アイディンティティが生まれると思うし、聴こえないことが誇りになるのだと、世界で活躍しているアーティストや、活動者をみてて思う。
私はそういう彼らにさりげなくサポート出来る通訳者でありたいし、ミュージックサインも、さりげなく彼らのそばに置きたいと思う。
伝えたい想いは山のようにあるけれど、押しつけるものではなくてそっと、さりげなく。
なぜならば、聴こえない人が一秒でも幸せだと感じる時間を長く持ってもらいたいと思うから。
多くの聴こえる人の中で、いつも孤独だと感じている時間が長いだろうから、少しでも楽に呼吸ができる時間を共有したい。そして、昔話をする中で、「あの時は・・・」と語れる仲間でいたい。
今遠く離れていても、出逢いが与えられたら、ハグして、ハグされて。
あの時は・・・と語りあえる仲間で居たい。
私は自分のそんな幸せの時間のために、彼らを支援したい。
さりげなくそっと、道端に咲く小さな花のように。
いつでもそばにいるよ。そう伝えておきたい。
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