虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/02/03 (Mon)
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- 2010/08/30 (Mon)
自分白書(FMいるかのラブピースアンドチョコレイト)
放送では読まれていない部分もあるのだけれど、私はこう書いたのってことで、原文を載せます。
語ったり、書いたりすると長くなるのが私なのですが、今回は意外とうまく短くかけたなと自分を褒めたいです。
自分白書
りぼんのタッカから、「次は、michieさんどう?」と声をかけられた時に、「来た~~!」と早かれ遅かれ考えているだろうな・・・と思っていたので、私の答えは「短く書けるかな?」でした。(笑)
私の育った家はかなりの機能不全家庭といって、今でいう「児童虐待」がありました。
一つには、毎日のように起こるDV。怒鳴り声のない日は無い位の夫婦喧嘩をみて、そして母をかばおうとする私も、毎日のように怒鳴られ、殴られ、なじられ育ちました。
それから、兄弟間の比較である、「お前はなにもできない」と言う言葉の暴力、これは父からも母からもで、3つ違いの弟の世話をしつつ、失敗するとなんでも私の責任でした。
そして、私には家族でご飯を楽しく食べるという記憶がありません。
どうしていたかすらも覚えていません。
そして、大概の人はあり得ないという、実父からの性虐待。
他人からの性暴力を受け、子どもには耐えがたい暴力の数々を経験していくうちに、今でいう解離性人格障害、つまり多重人格になりました。
楽しいはずの中高校生の記憶がまったくないとわかったのは43歳の時で、私が受けた厳しいしつけだと思っていたのは実は「虐待」だったのだとわかった時です。
私は、何度も何度も「死にたい」「消えたい」と思い、それを試みていたのですが、何度も失敗をして、今50歳です。
家庭では言葉のない会話のない毎日でしたから、私は人との会話にとても神経を使います。
手話は日本語以上に見につきました。いろんな気持ちを表現したり、素直に話せるのは初めて手話をみて、本格的に学び始めた20歳を過ぎてから、初めて気持ちを表現する自由を与えられたと思います。
ろう者から褒められ、励まされ大切に通訳者として育てなおしてもらったのかなと思います。
私は偶然、日本の中で児童虐待に関わるセラピストとしては、とても素敵な人と二人に関わってもらう事が出来ました。
そして、「死なないでいきてきたのが不思議なくらい大変な体験をしている」とか、「お父さんも多重人格かもしれないね」と言われて、私の生きにくさは、必然だったんだと、今は思っています。
人間関係の構築の難しさは、今でも変わりませんが、小さい自分の気持ちに寄り添うことを体得したことで、それはずいぶんと変化しました。
私が思うのは、一番大切にされなければならない時期に、「子どもらしく育たない」ということは、本当に辛いということと、子育てが辛いと感じているならば、助けを求めてほしいと願っています。
それは恥ずかしい事でもなんでもなく、当り前のことだと思うのです。
思い通りに子どもが育つはずはないし、親と子どもは別な人格なのだから、一人の人として尊重されて欲しいのです。
私は性暴力を受けたことによって、「性」への認知がかなり歪んでいます。虐待の事を学び始めた時に、「性をともなわない付き合いがあってもよい」と知った時は本当に唖然とし、どれだけ自分が自分自身を大切にしてこなかったかを振り返った時に、が~んと音がするくらい混乱した記憶があります。
私の場合、今では私を困らせる人格はいませんが、「辛くない、たいしたことない」と思っていた若い時には、頻繁に人格交代があって、人間関係を見事にぶち壊して、自分に戻った時には、なにがなんだかわからないけれど、嫌われたという事実だけが残り、自分に自信がもてなくなり、自尊感情がとても低い人間になって、激うつも経験しました。
それで仕事もやめるきっかけになりましたが、死にたいと思う私と、生きたいと思う私の葛藤のおかげで今があります。
大切にされたろう者のおかげで手話を教える仕事とも出逢い、ミュージックサインを誕生させ、そのつながりで、夢だったピアノを弾くこと、歌うこと、そして何よりも揺るがない仲間を与えられました。
そして、もう少しだけ生きていきたいと願う自分にも出会いました。
子どものときには出会えなかった助けてくれる仲間、娘が生まれた事で与えられなかった無償の愛、人との境界線、人と人は助け合って生きていくのだと、このうつの発症から気づかされた虐待の事実と「あなたのままでいいのよ」という言葉でどんどん変化していく自分。
その自分に出会えたのは私の知っている限り6人の私のおかげかもしれません。
何度も何度も死のうとしそのたびに、「生きろ」と命をつなげてくれた6人に、感謝かな。
私がすべての人に伝えたい言葉は「あなたは大切な人ですよ」です。
不必要な人は存在しません。
消えてしまってよい人はこの世にはいないと思います。もし、今「消えたい」と思っている人がいたらすぐ走って行って、「あなたは大切な人ですよ」と声をかけたいです。
それが身体的、精神的、ネグレクト、性虐待という虐待の分類の中ですべてを受けて、生きてきた私の想いと、その連鎖を切りたいと願い私の目指す「暖かい家庭」を娘に提供するために実行してることの一つです。
「あなたは大切な人です」
この言葉がタッカを通して、私の代わりに「わたげ」のようにふわ~~と多くの人に届きますように。
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