虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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この歌も好きでした。pianoがかわいいですよね。 記事とは何の関係もない?(笑)
いいなぁ・・手が大きくて。(笑)
さて・・・。
昨日理事会があり、いろいろ総会の準備など論議したあと、ろう者から、理事の中で畑を持っている人に、「ろう者や手話のできる人で、野菜を作りたいという話が出ているので、いくらで借りられるのか?」っていう話が出た。
使ってくれるのは畑にとっても、ありがたいことだから、タダでいいよ・・・という展開に。
なんかどっかの誰かのような話になってきた・・・。
でも、これで曲がったキュウリとか、いびつなかぼちゃとか、おいしいトマトとか食べられるかもしれないなぁ…。
少し遠いけど、健康のためにはいいのかもしれない。
理由がないと外に出ない私なので、健康生活が始まるか?
でも、「お前は座ってろ」とか言われそうだな・・・・(笑)
私はお茶だしだな・・・・。
本当は、スーパーの野菜より路地で売っている野菜が好き。
夫が単身赴任してからあまり手に入らなくなったけれど、ラップに包んでいなくても、形がきれいじゃなくても、トマトはトマトの味がしててほしいし、きゅうりはきゅうりの味がしててほしいんだよね。
昔は生協も、いろんな石鹸はみがきだとが、身体にいいものも、売っていたけれど最近は普通のスーパーになってしまったし・・・。
それにしても、スーパーは温度が低くていやだわ~~~。やっぱり年かしら??爆笑
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ひそかにMISIA好きな私。でも、歌えないんだ。難しいんだもん。(笑)
我が家に最初に家族になったにゃん子は、かすみ。
HPを作るにあたって名前を借りた、家族らしい一番の友人がかすみ。
もちろん、妹も大好きだったから、一緒に暮らしてたよ。
妹は4歳から私と一緒に頑張っていた。
父から守りたいその一心で連れてきた。
いわば、父親から拉致しちゃったんだ。
その妹が一年生になる時に、私が泊まりの時に「一人でいい」と、夜を過ごすことになって、自分も一人で夜を過ごすことはそんなに子どもにとって大変な事態だと、感じてなかったから、(笑)
本人がそう言うんだから・・・みたいな気楽さだった。
もう穴があったら入りたいくらいのこと。
それには娘のまーが学童をやめる時のように、預けていたお家の娘さんやら息子さんから苛められてたと知ったのは、ずっとあとのこと。
かすみはオス猫で、まだ目も開いてなかった。
川に捨てられるところを、引き取った。
妹の遊び相手になったらいいのかな?くらいの気持ちで。
でも、目も開いていないってことは・・・・。まだ母さん猫からおっぱいをもらわないと生きていけないってことで、私はかすみが「ふにゃー」って言うたびに、ミルクを指に浸して、かすみの口元にもっていき毎日、毎日。
生命力の強さってすごい。
そして賢い。
妹が寝るまでは同じベットに添い寝してくれてて、私が寝る時間になると、私の上で寝る。
そして、私のわきの下で、ぐ~っ、ぱ~をくり返し、出ないおっぱいを探る。
何年もずっとそうだった。
かすみと一緒にいられたのは、3年くらいだったけれど、知識がない中で、新鮮なお水を用意していなかったことと、当時のカルカンばかりを食べさせていて尿路結石になって消えていった。
かすみとの同居が始まって何年かあとに「こなつ」ってにゃん子を連れてきた時は、かすみはにゃん子を見たのが初めてで子猫のこなつが近寄るたびに、逃げていた。(笑)
まさに「かすみ」は私をお母さんだと思っていて、自分が猫だなんて思っていかなったと思う。(笑)
その時の逃げ方・・・・・。今思い出しても笑っちゃう。
そのかすみは、私達が落ち込んでいるとそっと膝のうえに来てくれたり、添い寝してくれたり、気ままなんだけれど、人間のことを良く知っている。
かすみと、こなつの子どもが3人生まれた。
ひとりのヨモギは森にもらわれていった。
くろちゃんは、階段から何度か落ちて多分障がいを持った。
その後かすみと同じ時期に側からいなくなった。
しろは、しばらく一緒にいたけれど、突然神隠しのように考えられないことに消えた。
鍵のかかった家から消えた。
こなつは13年生きて、まーが一年生の時に神様のところに出かけた。
まーはこなつが自分の母だと思っている。
私達がにゃん子を神様のところに返す時は、讃美歌の「いつくしみ深き」で送る。
こなつの遺骨は今も私の部屋に置いてある。
それからしばらくはにゃん子がいなかったけれど、やっぱりいないと寂しいからと、以前住んでいたところにもらいに行った。
一人の予定が、2人になった。
ももと、なな。
しばらく二人だった。
そのあと、まーが野良猫「でんで」を連れてきた。
おいで・・っていうと、ついてきたと湯の川から、我が家まで自転車を降りて、横断歩道を渡って・・・。
そのでんでは、生粋の野良だったから、ごみはあさるし、トイレも・・・まったく。
おおきなでんで。
居住権が先にあるももと、ななにはとっても迷惑な話。(笑)
それでも、まーは、でんでを放さない。
そのうち、なながやせてきた。
ももも、弱ってきた。
ご飯が安心して食べられないのと、ストレスだろうと、思う。
だから、でんでは、私の部屋へ。
ももと、ななはまーの部屋へ。
しばらくそれで平和に過ごした。
でも、でんでは野良。
どうやっても外に出ていく。
そして
もも、ななも、外に出るようになってしまった。
帰って来るまで心配で、それまでつけていなかった首輪に鈴をつけて。
ももは、ちゃっかりもので、ご近所にまるで「ここは私のおうち」と言わんばかりに、あちこちでお世話になっていた。
そのうち、戻ってこなくなった。
まーがいうには、ももが必要なおばあちゃんの家にいるんだよ。
しばらくして、でんでが出かける姿が「バイバイ」って言ってるように感じた。
追いかけてもこういう時はつかまらない。
だから。
私は「いつでも戻ってきていいんだからね」
でも、帰ってこない。
今はななだけが、我が家の家族として、ごろ~ん。
MISIAの写真をみると、でんでみたいだな…って思っていた。
大きくて、しましまで。
私はあまり写真を撮らない。 悲しくなるから。 いなくなった時に、もっとこうしておけばよかったと思ってしまうから。
かすみ。ごめんねお水のこと知らなくて。 でもありがと。
こなつ。ごめんね。最後に側にいなくて。
しろちゃん、どこにいっちゃったの? すぐ帰ってくるねって言ったのにね。どうして待っててくれなかったの?
くろ、ごめんね。階段のドア開けていて。 痛かったよね
ヨモギ。幸せでしたか?
もも 元気? 帰ってきていいんだよ、待ってるね でんで・・・。チリンって戻って来てよ。
なな。長生きしようね。 もうすぐ誕生日だね。いくつになるんだっけ。10歳?
君たちがいないと、さみしいんだよ、かあちゃんだってさ・・・。 かすみ。 名前貸してね。(笑)
ありがと。大好きだよ。私の家族で居てくれてありがとう。
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我が家に最初に家族になったにゃん子は、かすみ。
HPを作るにあたって名前を借りた、家族らしい一番の友人がかすみ。
もちろん、妹も大好きだったから、一緒に暮らしてたよ。
妹は4歳から私と一緒に頑張っていた。
父から守りたいその一心で連れてきた。
いわば、父親から拉致しちゃったんだ。
その妹が一年生になる時に、私が泊まりの時に「一人でいい」と、夜を過ごすことになって、自分も一人で夜を過ごすことはそんなに子どもにとって大変な事態だと、感じてなかったから、(笑)
本人がそう言うんだから・・・みたいな気楽さだった。
もう穴があったら入りたいくらいのこと。
それには娘のまーが学童をやめる時のように、預けていたお家の娘さんやら息子さんから苛められてたと知ったのは、ずっとあとのこと。
かすみはオス猫で、まだ目も開いてなかった。
川に捨てられるところを、引き取った。
妹の遊び相手になったらいいのかな?くらいの気持ちで。
でも、目も開いていないってことは・・・・。まだ母さん猫からおっぱいをもらわないと生きていけないってことで、私はかすみが「ふにゃー」って言うたびに、ミルクを指に浸して、かすみの口元にもっていき毎日、毎日。
生命力の強さってすごい。
そして賢い。
妹が寝るまでは同じベットに添い寝してくれてて、私が寝る時間になると、私の上で寝る。
そして、私のわきの下で、ぐ~っ、ぱ~をくり返し、出ないおっぱいを探る。
何年もずっとそうだった。
かすみと一緒にいられたのは、3年くらいだったけれど、知識がない中で、新鮮なお水を用意していなかったことと、当時のカルカンばかりを食べさせていて尿路結石になって消えていった。
かすみとの同居が始まって何年かあとに「こなつ」ってにゃん子を連れてきた時は、かすみはにゃん子を見たのが初めてで子猫のこなつが近寄るたびに、逃げていた。(笑)
まさに「かすみ」は私をお母さんだと思っていて、自分が猫だなんて思っていかなったと思う。(笑)
その時の逃げ方・・・・・。今思い出しても笑っちゃう。
そのかすみは、私達が落ち込んでいるとそっと膝のうえに来てくれたり、添い寝してくれたり、気ままなんだけれど、人間のことを良く知っている。
かすみと、こなつの子どもが3人生まれた。
ひとりのヨモギは森にもらわれていった。
くろちゃんは、階段から何度か落ちて多分障がいを持った。
その後かすみと同じ時期に側からいなくなった。
しろは、しばらく一緒にいたけれど、突然神隠しのように考えられないことに消えた。
鍵のかかった家から消えた。
こなつは13年生きて、まーが一年生の時に神様のところに出かけた。
まーはこなつが自分の母だと思っている。
私達がにゃん子を神様のところに返す時は、讃美歌の「いつくしみ深き」で送る。
こなつの遺骨は今も私の部屋に置いてある。
それからしばらくはにゃん子がいなかったけれど、やっぱりいないと寂しいからと、以前住んでいたところにもらいに行った。
一人の予定が、2人になった。
ももと、なな。
しばらく二人だった。
そのあと、まーが野良猫「でんで」を連れてきた。
おいで・・っていうと、ついてきたと湯の川から、我が家まで自転車を降りて、横断歩道を渡って・・・。
そのでんでは、生粋の野良だったから、ごみはあさるし、トイレも・・・まったく。
おおきなでんで。
居住権が先にあるももと、ななにはとっても迷惑な話。(笑)
それでも、まーは、でんでを放さない。
そのうち、なながやせてきた。
ももも、弱ってきた。
ご飯が安心して食べられないのと、ストレスだろうと、思う。
だから、でんでは、私の部屋へ。
ももと、ななはまーの部屋へ。
しばらくそれで平和に過ごした。
でも、でんでは野良。
どうやっても外に出ていく。
そして
もも、ななも、外に出るようになってしまった。
帰って来るまで心配で、それまでつけていなかった首輪に鈴をつけて。
ももは、ちゃっかりもので、ご近所にまるで「ここは私のおうち」と言わんばかりに、あちこちでお世話になっていた。
そのうち、戻ってこなくなった。
まーがいうには、ももが必要なおばあちゃんの家にいるんだよ。
しばらくして、でんでが出かける姿が「バイバイ」って言ってるように感じた。
追いかけてもこういう時はつかまらない。
だから。
私は「いつでも戻ってきていいんだからね」
でも、帰ってこない。
今はななだけが、我が家の家族として、ごろ~ん。
MISIAの写真をみると、でんでみたいだな…って思っていた。
大きくて、しましまで。
私はあまり写真を撮らない。 悲しくなるから。 いなくなった時に、もっとこうしておけばよかったと思ってしまうから。
かすみ。ごめんねお水のこと知らなくて。 でもありがと。
こなつ。ごめんね。最後に側にいなくて。
しろちゃん、どこにいっちゃったの? すぐ帰ってくるねって言ったのにね。どうして待っててくれなかったの?
くろ、ごめんね。階段のドア開けていて。 痛かったよね
ヨモギ。幸せでしたか?
もも 元気? 帰ってきていいんだよ、待ってるね でんで・・・。チリンって戻って来てよ。
なな。長生きしようね。 もうすぐ誕生日だね。いくつになるんだっけ。10歳?
君たちがいないと、さみしいんだよ、かあちゃんだってさ・・・。 かすみ。 名前貸してね。(笑)
ありがと。大好きだよ。私の家族で居てくれてありがとう。
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通院も徒歩で行けて、あちこちで氷を割っている。
年配の方も、赤ちゃんを抱っこひもで抱きながら・・・。
我が家は、一度には出来ない私なので毎日すこしずつ削っております。
少しアスファルトが出てきました。
朝日しか照らない玄関なので、すぐ日陰になっちゃいます。
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年配の方も、赤ちゃんを抱っこひもで抱きながら・・・。
我が家は、一度には出来ない私なので毎日すこしずつ削っております。
少しアスファルトが出てきました。
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青空駐車場の雪が溶けて来てここ2~3日、車を出すのに難儀な状況だった。
昨日も、さて・・・と思ったけれど、共有の敷地が雪で車が埋まるという現象がでて、
午前中はなんとか車を出したのだけれど、午後は無理だな・・・と
(さらに溶けるから)電車であうん堂まで出かけた。
久しぶりの電車で駅で降りようか、松風町にしようかとか、どの道路だっけ?と
うろうろしていたら「迷子?」と声をかける人がいた。
あれ?? タッカじゃないか。
今日午後から、排雪車の音がして道路?とか思って外を見たら、我が家の駐車場だった。
うちの車があることが邪魔になるのかな?と思い車を出して、
しばし・・・ながめていた。
あっという間ではないけれど氷の塊がどんどん平らになっていく。
これで出入りが楽になるのね。
2月に課せられていた2つの宿題も無事終わり、背伸びをしたいところだけれど、左が伸びきれない・・・・。
だいぶあがるようになったし、痛みを減っては来ているんだけれど、
昨日は痛み止めの時間と、薬を調整して、ひざかけ、靴、いろんなものを
持ちこんでのあうん堂でした。
集中している時は、痛みを感じないけれど終わった~~~と思ったら、
じわ~~と痛みが・・・。
それでも今日は朝楽だった。 おそるおそるだけど、伸びをしながら起きたのだった。(笑)
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昨日も、さて・・・と思ったけれど、共有の敷地が雪で車が埋まるという現象がでて、
午前中はなんとか車を出したのだけれど、午後は無理だな・・・と
(さらに溶けるから)電車であうん堂まで出かけた。
久しぶりの電車で駅で降りようか、松風町にしようかとか、どの道路だっけ?と
うろうろしていたら「迷子?」と声をかける人がいた。
あれ?? タッカじゃないか。
今日午後から、排雪車の音がして道路?とか思って外を見たら、我が家の駐車場だった。
うちの車があることが邪魔になるのかな?と思い車を出して、
しばし・・・ながめていた。
あっという間ではないけれど氷の塊がどんどん平らになっていく。
これで出入りが楽になるのね。
2月に課せられていた2つの宿題も無事終わり、背伸びをしたいところだけれど、左が伸びきれない・・・・。
だいぶあがるようになったし、痛みを減っては来ているんだけれど、
昨日は痛み止めの時間と、薬を調整して、ひざかけ、靴、いろんなものを
持ちこんでのあうん堂でした。
集中している時は、痛みを感じないけれど終わった~~~と思ったら、
じわ~~と痛みが・・・。
それでも今日は朝楽だった。 おそるおそるだけど、伸びをしながら起きたのだった。(笑)
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ユニバーサルホームを作る函館の会でこの1か月で集めた署名3111筆をもって、理事たちで、市長と懇談してきた。
15分と言っていたけれど20分は話せたかな。
昔の職場で知り合いも多いので、ロビーで待っている時も、会釈ばっかりしてた。ふう~~
そして、通院して、夜は手話講座。
ろう者の本音が聴けて、おもしろい。
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15分と言っていたけれど20分は話せたかな。
昔の職場で知り合いも多いので、ロビーで待っている時も、会釈ばっかりしてた。ふう~~
そして、通院して、夜は手話講座。
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