虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/01/24 (Fri)
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- 2009/10/28 (Wed)
kasumiの恋の仕方2
中三の時に、街の土地計画で自分の家が道路になることになって、新しく家が立ちました。そして、その年の春に父は再婚したので、セックスそのものは、中断。
けれど、一緒にお風呂に入ることは強制だったので、体を触られることは、妻がいるにも関わらず、続いていました。
今冷静に考えると、それを見ていた継母の嫉妬心はそうとうなものだった。
そして、自分の子どもには、それをされないように必死だったと思う。
娘じゃなくて、おんなだったわけ。
普通ありえないけどね。
短い間だったけれど、引越しをして、そこはそのKさんが乗っているであろう、列車が毎日通る場所でした。
乗っているかどうかなんてわからないけれど、毎日時間になると、その列車を見送る生活が始まって、まだ手紙ももらっていた。
Kさんは、多分そのことを知っていたと思うけれど、やめてとも、知ってるよとも言わずに、受験だねとか、高校の引越しがあって大変なんだよっとか。
学校祭があるから、友達と一緒に来たらいいよとか。
かといって、その場であっても会話するわけでもなく・・・。
無事、汽車通のできるようになったkasumiは、ある時T市で、ばったりKさんに会いました。
本屋さんだったと思うけれど、だれも知っている人がいなかったので、「何時で帰るの?」と聞きました。
春野球の時期だったので、「何時で帰るよ」「帰ったら野球みるの?」くらい。
同じ車両に乗っていても、そばにいけるわけでもなく。(笑)
でも、駅について、ふっと振り返ると視線があるので、笑う。
手を振るわけでもなく、見つめている時間は数秒。
そんな恋だった。
秋に、工専の学校祭に合唱部が呼ばれたあと、同級生だった友達から、「kasumiとつきあいたいって友達が言ってる」と何度か言われて、「私、大好きな先輩がいるから、付き合えないよ」と断った。
それでも、「友達でもいいっていってるから、頼むよ」と断れず、手紙とか、電話とか、たまに待ち合わせして、喫茶店にはいるとか。
正直、とても純粋な人だったので、どうしていいかわからなかった。
家にも呼ばれ、これもまた暖かい家庭で。
一緒に部屋にいても、会話もせず、ユーミンの「少しだけ片想い」を聞き、これっていつも僕なんだよね・・・と。
え?
そうなの?
つまりは、心を開いてくれないとNさんは言っていたのだろうと思う。
彼も、やっぱり汽車通だったけど、同じ車両には乗らないでと言っていたから、時間を作って、ライブに行ったした。
w(゜o゜)w オオー! ライブに行ったことあるじゃん。私。(笑)
そのころは、ディープパープルとかクイーンとか、キッスだったかな?コピーバンドの演奏だったと思う。
けど、楽しくないんだな。
会話ができないから。
そんな私を見て、「一緒に歩いているのをみたよ。楽しそうだった。よかったね」とKさんから手紙をもらってしまった時は、「よくないんだけどな」と。
それでも、Kさんとの手紙のやり取りは頻繁ではないけれど続いていて、彼は兄みたいに思ってくれていたんだろう。
私は、自分のことを知らない人に好きだって言われても困っていたし、どうしていいかわからなかった。
この彼は成人してから、「結婚したい」って言ってきて、「そんな私のことをよく知らないのに、どうしてそう思うの?」と聞くと、「kasumiはいつも、僕の心をもてあそぶ」と返され、そうなんだ・・・って思った。
もちろんそんな気持ちがあったわけでもなく・・・・。
実はこの彼は血はつながっていなけれど、祖父の実家と縁がある人だった。
おじいちゃんは、それでよくその家の悪口を言っていたから、あまりつきあっちゃいけないんだろうな・・と思っていて、社会人になってからも、手紙のやり取りはしていたけれど、断るすべを持たない私の失敗だったな。
傷つけるなんて、思っていなかった。
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