虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
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昨日、ねぇねに言われた事。
母の急死を友人に告げた時に、私ッたら、笑顔だったらしい。。。
「かあさん、笑顔でいうことじゃないって他の人は思うからね」と注意を受けました。
確かに・・・・世間ではそうなんだけれども。
夫からも、最近のかあさんは、「かわいい」と思うときが増えたよと言われている。
いろいろと思い出したら、(好きで思い出しているわけじゃないけれども)
我が家が新築になる前はそれでも結構自信があったっす。っていうか、自信のあるものがいくつかある。
それは習っていたオルガンの演奏だったり、健気に保育園に弟を迎えにいっては、そこのピアノを借りて毎日練習していたり、だけど、人前では何も出来ないし・・・・・。
その時期はまだ私が頑張っていたら、それなりに褒めてはくれないけれど、認めてもらえていた時代。
転校生が来て、私よりピアノが上手い人が出来ちゃったら、活躍の場がなくなっちゃった。
それでも、朝会の合奏や合唱も朝早くから練習に行ってたな。
その頃は、自分が演奏したい楽器も譲らないときがあった。
でも、ガッカリしている友人を見るのは辛かったから、その頃から譲ってしまうのが始まったかな。
リコーダーもわりと上手くて、いつもお手本だったりした。けれど、そのリコーダーを隠されてしまうんだよね。
氷点のあの陽子さんの育ての母って、本当によくわかる。
そっくりだもの。
あのテレビも子どもの頃見たことがあるんだけれど、妙になじむと言うか、理解出来ていたというか、原作は大人になってから読んだけれど、本当に懐かしさがにじみ出てくるんだな。(笑)
合唱もけっこう歌ったんだけど、ある日突然失速しちゃうんだ。
完ぺき主義って言うかな。
頑張っている自分を「なにもできないやつ」って☆ミ凸ヽ(^-^) タイコバン!を押してしまう。
それでも、今日は「疲れる」と思うだけで「嫌い!」になっていない。
このまま浮上できると一歩進んだことになると思うけれど。
性虐待なんてどってことない、そう思いたい。
私は傷ついてなんかない。そう願いたい・・・・。
だけど身体はそう言ってくれない。
暴力だって、気がつかない振りをしていたら痛くなんかない。
あのねちっこい手だって、感覚を飛ばしたらどっかにいっちゃう。
あの悪魔のささやきだって聞こえない。
私をおもちゃにしないで。
私をいないものにしたのなら、最後までそのままにしていて。
都合のいい時だけ取り出さないで。
誰かに話をしていいって知らなかった。
助けてっていってもいいって、知らなかった。
痛いよ、とっても痛いよ。
こんなに痛いだなんて知らなかったよ。
エレベーターに男性とふたりきりになれない。
誰かが近づいてくると、ドキッ w(・Θ・;)w!!っとする。
男性臭きらい。大嫌い。
私から音楽を奪ったのは、高校の音楽の先生。
私に近寄らないで、触らないで。先生なんて大嫌い。
怖くて泣いている私に、どうした?って友達は言ってくれたよ、だけどだれにも話せなかった。
たった一人事実を話したけれど、「・・・・」って困っていたよ。
48手なんて中学の時から知っていたよ。
そういう図柄のお財布があったもの。
私の身体でためしていたよね、パパ。
大人とはセックスできなかったんだよね。きっと。
私はいうなり、支配されて見捨てられて、何のために生まれてきたんだって。
消えたい、消えたい、消してしまいたい。こんな私、要らない。
よく思っていたよ。
中学の先輩に、「消えたい」って手紙を書いたら返事が来た。
「友達と笑っているkasumiが好きだ」って、だから一生懸命生きたよ。
消えちゃだめだって言われたから。
だけど、こんな苦しみを背負うために生きてきたのかと思うと、苦しい。
こんなに苦しいなんて、思わなかった。
蘇りたい記憶なんだろうからと思って、受け入れて来たけれど、私壊れちゃうよ。
もう、嫌だ、もう嫌だ。
疲れる、疲れる。
何回壊れたらいいの?
小さいkasumi、もういいよ、NO!って言おうね。
私が受け入れるから痛いのが消えないんだ。ごめんね。
やっと解放されたんだから、笑っていいよ。
だめだって思われても「私の気持ち」なんだもの。
知らない振りをしてた母。私を悪者にする父。
もういいよ。小さいkasumi、頑張るのやめよう。
いやだって叫ぼう、逃げよう。
だれか気がついてって叫ぼう。
ごめん、大人の振りして。
ごめん、痛いって思ってなくて。
ごめん、守ってもらって。
やっと棘が見つかった。
やっと、棘が消える。
ありがとう、小さいkasumi。
人前では気をつけるけれど、嬉しいと思った私の気持ち、大事にしようね。
ずっとずっと一人だったんだもんね。
もう、いいよ、我慢しないで。助けに行けないでごめん。嫌なところから逃げよう。
夫が母の葬式に参列してる。
母が生んだ子どもは、私と弟の二人。
だけど、現在の彼女の家族は別な家。
いつのまにか、2男1女をもうけた話になっていた。
再婚先の連れ子さんは私より二つ年上で奥さんが私の同級生の妹で一つ下。
もちろん、その親御さんは二度とその土地に行くことをしたくない地域の出身者。
弟はその土地でいま、奥さんと娘の三人で暮らしている。
私はその生まれ育った土地には住みたいとも戻りたいとも思ったことはない。
T市でさえ一人では歩けないだろうと思う。
こういう経歴を語るときに男の子が何人で女の子が何人ってなんでこだわるんだろうと、不思議に思う。
再婚先の母の家族は私たちよりも長いつきあいである。
いまさら・・・・。
実子は私たちだけれど、長いこと一緒にいたのは違う家族なんだから、そちらを大切にしてもらったらいいのになぁ・・・。
弟は形から入る人なので、花輪、果物を送っていたという。
苗字が違うんだから、相手も困るってことには、気がつかないみたい。
母の実家の人たちは、「なんでkasumiは来ないんだ?」と言っていたらしいけれど、「うつ」で調子が悪いってことにしてもらった。
実際、現場に行ったらきっと調子が悪くなって、「悲しんでいる娘」になってしまうから、それも嫌なんだ。
普段の人付き合いは苦手な夫だけれど、こう言う時は「うまい」と思うような技がある。
彼は弟が「切れない」ように側についていてあげるんだと、言っていた。
地元の人は何でもいろいろ知っているから、お酒が入ってトラブルにならないようにと、祈るしかない。
だけど、だれも何も知らないんだ・・・って改めて思った。
ちなみに母はトイレからでて倒れ、頭を打ったらしく、救急車で運ばれてそのまま意識を取り戻すことなく亡くなったようです。
今日は彼女の誕生日です。
町内会の人たちが集まってくれたらしいです。
世間では親の死は悲しいものと相場は決まっているのかもしれないけれど、私のように「やっと解放された」と言う気持ちでその日を迎える娘や息子がいるのも事実です。
出来れば、「お母さん・・」って泣いて泣き崩れるそんな普通の人でありたかったけれど、そのような気持ちには、まったくと言っていいくらいなれません。
親のために嘘を突き通す子どもは少ない方がいい。
実の親子なのに・・・と私たちを非難する前に、実の親子なのに親でなかった、親になりきれなかった側の問題として、考えて欲しいのです。
大人だから、親だから、子どもなのに子どものくせにと権力で支配しようとするのは、もうたくさんです。
一言「kasumiちゃんごめんね」って一度言ってくれたら、私は「もういいよ」って言えたと思います。
だって小さいkasumiは本当に優しい子どもだったのだから。
どんな事されたって、何を言われたってじっと耐えていたんだから。
それなのに、消えてしまった。
何も言わないで、行ってしまった。
再婚もそう。
父も母も私たちにはしばらく内緒だった。
大人は勝手だった。
何も知らないのに、私たち家族を責めないで。
形だけの家族なんていらない、大嫌い。
大人なんて大嫌い。
マジで、具合悪くなりそう・・・。( ̄o ̄;)ボソッ
頭イタイッテェ σ(TεT;)・・・。何人も一辺に会話しないで。。。。気持ちはわかるけれど、苦しいです。
先ほど弟からの電話で母が亡くなったことを知りました。
夕方5時40分くらいだそうです。
糖尿病を長い事患っているのに節制の出来ない人でした。祖母もそう言う人でしたし、祖父母と同年年齢まで生きて来れたのは七不思議でもあります。
父の不健康が先かな?と思っていたので、あら・・・?って感じもしないわけではありません。
夫が風邪でダウンしているのですが、夕方誰かが家にいて立ってたそうです。私もねぇねも出かけていました。
夫はそういうものは感じない人なので、「へえ?」だけれど、もしかしたらきていたのかもしれません。
最後にあったのはいつなのかも私は覚えていません。
葬儀には行かないと思うと、弟に告げました。なんで?とは言わずに「うん」と言ってくれたのでそれなりに対応をしてくれるかもしれないと思います。
2年ばかり、着信拒否をしていたので声を聞いたのは、私の誕生日の2日前。
そして、最後の手紙は、「親子だから何でも言いやすいと思っているのでしょうが、もう少し穏やかに話をしたいものです」そう書いてあった。
私は47年近く心の中にしまっておいた言葉を伝えて見たけれど、暖簾に腕押しだった。
だけど、着信拒否のまま死なれたら「私が悪かった」と思わされてしまったかもしれない。そう言う意味では「私の思い」を伝えられるチャンスがあって良かった。
穏やかに話たいのは私の方だった。
一度でいいから「ごめん」を聞きたかった。
あなたも大変だったねと言ってあげられなかったけれど、こんなもんかもしれないね。
戸籍上は、再婚もしているし、私たち兄弟は遺族にもならない。
小さいkasumiはわかっていたのかもしれない、もう2度とあうことはないんだって。
だから、あんなに泣いたのかな?
私は、春に「温泉にでも連れて行って話を聞いてあげようかな?」なんて甘っちょろいことを考えていた。
だけど、きっとその気持ちを持つことも後悔してしまうと思ってだれにもその話はしなかった。
外出もままならないその母だった・・・。
祖父母もそうだったけれど、食べたいものを食べ、飲みたい物を飲み、自由気ままに生きてきて、それでぽっくりいけるんだから、本当にラッキーな人たちだ。
こんな言い方冷たいようだけれど、最後の子孝行してくれてありがとう。
葬儀にでると、自分を責めてしまいそうだからやっぱり行かないよ。
バイバイ、ママ。今度はもし人間に生まれたら、愛をもらってください。お金じゃなくて「愛」だよ。
あまりにも父親の話し方と似ていてびっくりした。
私の家族だった人は父、母。私、弟。異母姉妹の妹。その妹の異父姉妹の姉、そしてその母。
私が子どもの頃家族だと思っていた人たちとやっと話し終えた。
一番すっきりしていないのは弟との会話。
「お姉ちゃんはいいよね」って聞こえてくる。
だけど、あなたは真実を知らない。
それがわかっただけでもいいのかな?
人のことなんて心配している状況じゃないよね。
だけど、あの話し方。あの感覚・・・。
あまりにも似ていて怖かった。
もし、4ヶ月の赤ちゃんがもう少し成長して、自分の意志を持ってもあなたは暴力を出さないで「かわいい」と思えるんだろうか?
そんな不安を持ったけれど、言えなかった。
あなたも望まれて生まれてきたんだよ。
知ってる?
傷ついた少女がいたよって。
私は「?」だった。
何人かのインナーチャイルドと、大人の私がいると言うのは何となく知っている。
家族も別なかあちゃんが「はいはい」って返事をしてたんじゃないの?と言うこともたびたびあるから。
昨日CAPのワークで午前が子ども(1年生)で午後が大人だった。
打ち合わせでは、私が二つワークをすることになっていたのに、進行しながら役割が変わっていた。
聞き違いだろうかと思って逆のパターンじゃないからいいか・・と思っていた。
ご飯を食べて、午後の確認をしてスピーカーの話を聞いていたら「さわさわ」する。
なんとなく、どこかへ連れて行かれそうになるから、意識して自分のままでいるように努力する。
子どもワークの紹介が終わって、自信のなかったところがやっぱり引っかかった。
それでも、メンバーはなにもいわない。
私を責めない。
そして、帰り道ニャンコにあった。
セブンイレブンの前で「なでてよ」とゴロンする。
傷だらけだった。耳も目も傷だらけ。
少し太っていたから、ご飯は食べられるんだね。
ずっとなでてよって。
そしたら、ふっと来た。
小さいお姉ちゃんくらいの女の子が。
傷だらけで、怒っている風でもなく、泣いている風でもなく。
我慢しているのでもなく。
ふっと見えて消えた。
お姉ちゃんに統合したの?
お姉ちゃんの傷を見せてくれたの?
ボロボロだったよね。
あのニャンコは、私なの?
信じられると思ったら、とっても無防備になるよね。
だけど、あるいてくる人には一度威嚇する。(笑)
敵じゃないってわかったら、ゴロン・・・・って。