忍者ブログ

虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



このブログに画像を送ると小さくなるのは、なんで??とわからない(笑)

基本写真は撮るもの撮られるものも苦手で、また、それを管理するのも苦手。

私の心の中と同じでグチャグチャしてる。 ずっとずっと前から、絵を描きたいのって気持ちがちょこってあって、準備は万端。(笑)

それから4年くらい放置されていた小さなスケッチブックと、パステル、色えんぴつ。 向日葵と、山とこのハートを書いて、また棚の上だった。 昨日、ある本をさがしていたら、発見。

人格の歴史をキルトにしてみようか、ってことで、タイトルも変えてみたんだけどねぇ。。。 本当の私のこころの色はこんなにきれいなピンクじゃないと思うけど、ぐじゃぐじゃの方は結構こんな感じだろうと思う。


すでに縫ってあるので、そういう発想って持っていた人がどこかにいたのかもしれないね。

2学期になってから、修学旅行の関係で、学校に行けない気持ちの方が多くなっている娘。 1週間休ませたので、「そろそろ・・」と荒療治。

適当に卒業するか、やめて高校認定にするか、進学をあきらめるか、覚悟を決めなさいといつもはゆるゆるの私だけれど、少し怒った。

ポロポロ泣くので、なんで泣くわけ?と聞くと、「かーちゃん。どうして怒っているの?」

私は、自分の決めたことにしっかり責任をもたないでずるずるしている最近の君にイライラする。 もう、学校で自分の居場所作れる力は十分あるんだから、自分で作りなさい、逃げていたって解決しないよ。

と、普段あまりしない発破をかけた。 高校で、小学校の時に同じクラスだった人には、「まーさんって、みんなに好かれて楽しい人だったよね」と言われるらしいので、自分で思っているよりも嫌われていないのではないかと、私は思い始めたのだ。

・・・というのも、昨日も午後から出勤していたけど、その間、「まー大丈夫?」というメールが来ていた。

聞くところによると、元友人がまーに話しかけると「その人知ってるの?」と現友人が聴くらしい。

それが気になって話さないようにしているというのだ。 けれど、怪我をした時も、荷物をもってくれたり、一人でファイルを整理しているクラスメイトを見かけるとそれが誰であっても手伝ったりしているのだ。

だから、基本嫌われる要素なんてないんだ!と。 考えすぎて、乖離を起こしている学校生活。

続けるのに意味はあるのかな。 やめていいと言ってるのに、それは首を横に振る。 けど、「具合悪くなったら、早退していい?」と遅刻なのに早退も考えながら、結構複雑な気持ちで見送った。

だいたい、嫌われているのに、クラス委員長をまかせるんだろうか。

興味なし?そこまで人に関心がないのだろうか?
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[3回]

PR
少し函館よりの隣の市で実施された講座。

その中に昔お世話になったというか、手話の指導をした方に再会。
10年くらい立ってるんだけど、あの気遣いはかわらず、楽しい人のまま。

少し痩せたんじゃない?から会話が始まるけど、講座の中では気づいていたけれどあえて触れずに、終わりロビーで少し休憩をしていたら、「お久しぶりですね」って声をかけてくれてた。

そしてハグ。

その後のカラオケサークルのためにお昼を食べるので、ちょっと寄って行ったら?と誘われ、断り切れずにおじゃました。

そこには、市の担当者も同じように、あれも、これも食べなさいと勧められていて同じように「これ以上は怒られます」と言いながら、頂いていた。(笑)

地域に4つの大学があり、合同発表会のための選曲をしていた。演歌だったけど、天童よしみさんの歌。

その後、同じ地域で誕生日が同じ友人というか、やっぱり手話で知り合った人と、先週から会おうってことになっていたので、お茶をした。

いろんな話の中で、「死にたい」って気持ち、わかるよね。ってことになった。(笑)

どんな会話を4時間もしていたのか、想像に任せるけれどそれほど深刻でもなく、dけど、単純な噂話でもなく、それぞれが・・・って、「自殺できる人って、いさぎいいんだよね」って結論に達した。

二人ともクリスチャンなので、「神様が、まぁだだよ」ってこの世で働いておいでねって言ってるってことなんだよね・・・。

その会話と、自分を好きになりなさいとつなげてみたら、神様が私を誕生させて、なにかしらの目的があるとすれば、越えられない試練は与えない。
けど、私は与えられている試練が苦しいと今は感じている。

虐待だったと知らずに生きていた方が楽だったと思う。
それは私が他人の痛みを知らずに、自分だって・・・・って思っていたからで、比較の原理が働いていたし、だれそれよりは、まし・・・って生きて、自分を見つめていない。

私は敵も多いけれど、味方も多い。
それが夫は、強みだよと教えてくれる。

小さい自分に寄り添って8年、まだ足りないかな?って思ったけど、「もういいよ」ってことかもしれないなぁ。

だって小さいkasumiは私の中にいない。(笑)

消えてしまったのか、お出かけしたのか、時々声が聞こえてくる「大丈夫だよ」って。

いないのではなくて、意識できないのか、融合なのかな。

わからないけど、とりあえず十分苦しんだんだから、「もういいよ」って自分を解放したらいいのかな。

つらくなったら、「もういいよ」って言葉にだそうか。

鏡、みて練習しようか。
鏡、嫌いだけどね。(笑)

拍手[2回]

まるごと全部の自分を好きになりなさい。

そう言われたけど。

どうしたら、それが出来るのかわからない。

他人にはわかるけれど、自分のことはわからない。

自分のこと、愛しなさいって言われても、「愛」ってなに?


まーさんのこと、大好きだよ。
けど、まーさん大好き!ってみたいに私大好き!って思えない。

人のためには、必死にできることだけど、自分のためにはできないんだもん。
苦しくてたまらないんだもん。

いっぱいいろんなこと、頑張ってるけれど、それは、弱い私を守って、強いふりをして、誰かに認めてもらいたいくて、ただ頑張ってきただけなんだもん。

パンを作るみたいに、粉からいれて、混ぜて膨らませて、形作って、オーブンに入れて、わくわくして。。。

そんな風に、もう一回作り直して。

どうしてイキテイルの?
どうして、死ねないの?

どうして、壊れないの?

どうして。どうして?


・・・・と朝から泣きっぱなしでした。

が・・・。そうだ、大学の評価付けないと・・・と、今日締め切りなので、そっちへ頭をシフトしたら、学生のみなさんが、「楽しい授業をありがとう」ってたくさん書いてくれてて、「あ。。。そうっか。私はまわりに、楽しいをわけてあげられる力があるんだねぇ」と、発見し、「ちょこっと自分が好きになるかも?」と。


毎日の目標。


michieさん、大好きって朝言葉にだしてみようかなぁ。。。

半歩前進。(笑)


相変わらず暑いので、ひと仕事しては横になり、眠くなっては少し寝て、だれが失意の底にいるのだろう・・・とぼんやり一人、一人に聞いてみた。

小さなkasumiは「ううん」
nichieも「おれじゃない」
michieは、「??」

yochieは?って聞いても黙っている。

ああ・・・そうか。

小さなkasumiに寄り添って、母になり、まーさんに寄り添って母を頑張って、社会を渡ってきたのはyochieさんだものね。
それで否定された気持ちが出て、もう頑張れないのって思うんだ。

そうか。

わかったよ。

そうだね、他の人のことはあなたが、まとめてきたんだもんね。
通訳者として、頑張ったのも、ピアノ弾くのに、一生懸命してきたのも、泣いてきたのも、あなただもんね。

そして、その頑張ったあなた自身は自分のこと好きって思っているんだよね。

だけど、あなた自身の記憶は社会人になってからだから、大人のkasumiさんは好きなんだ。

でも、小さいkasumiや、nichieさんに、意地悪されて(自分たちだって大変だったのに・・・)って自己主張された時には、人間関係を壊されたり、嫌な想いをいっぱいしてきた。

なのに、すべてを・・・って言われると、受け入れたくないんだね。

分かったよ。

一番気を使って、一番泣いたのはもしかしたら、大人のkasumiかもしれないんだね。

誰が一番とかじゃなくて、それぞれが大変だったから、それを私に(michie)知ってほしいんだ。


じゃないと、すんなりすべて・・・ってならないんだね。

了解しました。

なにかしよう、yochieさんのために。


それぞれのために、大好きだよ、ありがとう。そう言葉にしてみよう。

・・・・って結論にいたり、間違っているかもしれないけど、実行してみます。










拍手[3回]

今日、長野に住む知り合いが北海道で講演をするのに、函館を候補地に挙げたよと、電話が来た。

厚生労働省の関係の講演会の講師をしているらしく、「職員にはたくさん休んでもらった方が効率があがりますよ」と有給休暇を取らせるように薦めているらしい。

そして、「結構名前で検索すると記事がでてるね」と言われ、「そうなんだよね。本人はあまり検索しないから分からなかったけれど、携帯の番号とかも、分かるんだわ」と新聞って年齢と名前は欠かせないから、仕方がないけど、自分的には一過性のものだと思っていた。

けど、実際検索してみると、結構あるのよね。

そして、一度ネットに上がると消えないんだし・・・・。

今16日までに書かないといけない原稿。
一気に書く気が消えちゃった。(笑)

字数も少ないから、書くことも絞らないといけないんだけれど、誰に渡そう・・・リレートークみたいなものだから、渡してもいい人・・・って、いたかな。

ネットは情報の垂れ流し的なものだから(汚い言葉でごめんなさい)気をつけないとね。

・・・といっても新聞に載ったものは仕方がないんだけど・・・・。

写真・・・。さがさないとなぁ・・・。
一緒に写ってる人に許可取った方がいいかなぁ・・・・。

あまり身内じゃないからなぁ・・・・。

去年の旭山動物園の写真使いたいんだけれど。。。

いいよって言ってもらえるかな。

なんか、憂鬱になってきたので、寝ます。
明日、9時半から「老人大学」の講師してきます。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[0回]

苦手なこと、言われて嫌なこと、されて嫌なことに、嫌だって思っていいと知って、楽になった。

そして、「やめて!」って言ってもいいって知って楽になった。

アサーティブな考え方をできると、引き分けることもできるって知った。
でも、アサーティブじゃない自分を選んでもいい事も知った。

私は・・って主語につけることで、感情的にならないことも出来るって知った。

実践した。

今は、昔ほどイラついて人に攻撃したりしなくなった。(と、思う)
受け入れる幅も広くなった。

けど、もっと・・・・って言われると、「出来ない」「したくない」って気持ちがわいてくる。

もう努力するの疲れたし、もういいよ・・・・。

もう私は、私のままでいいよって。

なんでかっていうと、結構エネルギー使うの。
人に合わせるって大変なの。

多分人格の数の分だけエネルギー使うんだと思う。

見かけ一人だけど、いろいろ頭使うの。

まわりの空気読んで、いろいろ大変なの。私なりにね。

他の人とは比べてはいけないと思うけど、結構大変なの。

だから、考えすぎて、眠れないの。

頑張ったけど、万人にはいい人って思われなくていいの。

本当は優しいってよく若い時から言われていたけど、その通りだから、それでいいじゃんと、思う。

なんで、隠さないといけないのかわからない。

私は自分を晒して、虐待って受けたら大変なんだよ、だからやめてほしいの。
止めてほしいの。

そう言いたいだけなんだよ。

それが、先に生まれた人としての責任だと思うの。

だって、私より先に生まれた人たちは、カミングアウトしないで、連鎖をしている。
止めてくれなかったから、私にまで来てしまった。

性虐待だって親戚の中だけでも、私と同じ被害にあってる人は、数人いるんだよ。親族の中だけで複数の人が同じ経験をしてるんだよ。

それって、被害にふたをしてきたから、連鎖してるし、加害を止められなかったんだと私は思う。

だから、私は「多重」って、表に出すって決めたんだ。

だって、真実だしたくさんの人がそれで苦しいんだもん。

やめて!って、苦しいのは被害者なんだからやめてって、言いたいだけ。

私は人格がひとりだった記憶はないんだもん。
一人の人の感覚なんてわからない。

他の障がいは、認めてもらえるのに、なんで?

性虐待を受けた人は、結婚しないとか、子どもを産まないとか、一人がいいって思う人が多いんだよ。
自分は汚いから、汚れているからって。

私だって、若い時にそれがわかっていたら、結婚しなかったと思う。

けど、人格がわかれていたから、結婚できちゃったし、子どもも、生めたし、子育てもしてる。

けど、苦しいし、大変だよ。

けど、親としてできること頑張ってたら、助けてくれる人が増えたし、喜びも増えたんだよ。

だから、若い人には楽しい30代を過ごしてほしいの。

死なないで良かったと思うから、生きていてって思うの。

つらい経験した分幸せになろうねって思うの。

そのためには、少しなみ風が立ってもいいの。私は私だから。

それが私の生きてきた証なんだから、いいの。

ごまかして生きるのは、もういや。
自分に嘘をつくのも嫌。

隠して生きるのももうたくさん。

・・・・・と感じたのでした。

最近記事を書いている途中で人格交代が起きています。なので、文章の書き方が変わったりしてると思います。

けど、これが私なんです。
リアルな社会では、そう簡単に交代したり、他人にわかるような事は少ないのですが、家族には気がゆるむのでばればれです。

プンプン怒っているのは、最近は主人格です。

なんで??って、それぞれの人格が見つかった時と同じように、怒っています。
でもその裏側には悲しみが、嘆きがたくさん詰まっています。
それを吐き出さないことには、次へ進めません。

そして、いちいち他人の言葉に傷つきながら、「意味がちがったんだ」と気づき立ちあがります。
その繰り返しで私は変化をして行くのです。

しばらくは、「納得できない」と怒りながら、その言葉にどんな意味があるのかを深く考えて、考えて、疲れ果てて眠ります。
そして、目覚めると、「そっか、気にしなくてもいいんだった」と気にならなくなります。
これは、スパンが短くなったけれど、作業としては変わりません。

今は2日くらいでそれができるので、楽ですが、昔は1カ月くらいもぐらのように潜ってしまいました。

けど、けど、立ちあがるのは確かです。

したいことが、まだあるからです。

生きていて、しなければならないと思う事があるから、混乱しながら、歩くんです。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[0回]

   
Copyright ©  -- 虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by Crambon / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]