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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧

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自分の目で見ていないのに「だれそれがああ言ってたよ」だけで人を判断すること。

先日、間違い電話(しかも2度目)(笑)でもとまーさんのクラスメイトの母から、電話が来た。
間違いついでに話をしてもいいかと聞かれたので、いいよと答えて、約3時間。

夜中になってしまったけれど、延々と話が続く。(笑)

年齢は12歳下で、結構な人生を生きてると思われる。

初めて会話をした時は、ガードが固くて、一緒に役員をするのもなんだかなぁ・・・と思ったのは多分おたがいだろうと思われる。


彼女はけっこう正直でまっすぐな人だから誤解も多いと思うし、母子家庭であることに、自分が負い目を感じていて、だからこそ、ガードも堅い。


お互いの子どもの中学時代を振り返り、あーだ、こーだと3年間同じクラスだった。

PTAの役員を引き受けた時に、kasumiさんと一緒だとたいへんよ~~~~って言ってた3役がいたらしいけれど、大変どころかなんでも自分で決めて、進めていたので、迷惑はかけていないと思う。

だけど「大変よ~~」の言葉の裏には、「自分たちの思う通りにならないのよ」だったり、「自分の子どもの不登校に被害妄想的なのよ」っていう悪意が潜んでいる。

でも、3年になったら、手のひらを返してきた。(笑)

自分の子どももいじめられる側にすぐなるんだって気がついた。

彼女は、それを「態度変わったよね」と笑う。

一年生の時は、たしかに学校中でいじめを隠ぺいしようとしていたから、たしかに私は浮いていた。

けど、大事な娘が心が死ぬと叫んでいるのに、私が浮こうが浮くまいがそんなことは関係ない。


2年になったら、校長がうちの学校にはいじめがありますと宣言したので、わたしは「ほら、あるじゃないの」という気持ちで、役員会で発言していた。

3年になったら、それはますます表面化して学校も大変だった。

1年の時も、2年の時も、一つ上の学年の対応でほったらかしにされた分、本来なら中2くらいではじけるものが、中3になって、しかも後半になってから表面化したから、大変だったろうと思う。

その時期、我が家は完全不登校というか、登校拒否だったので、それには巻き込まれなかったけれど、結構相談の電話が来ていた。

内申書という人質があるので、親も大変なのよね。

公立に通わせることが大切な親にとっては、先生のご機嫌を取らないとね。

だけど、そんな姿を子どもは見たくないだろう。


我が家は「命」さえあればなんとでもなると思っているので、学校に通う通わないは、本人が決めてくれればいいと思っている。

今は、まーさんが目指すもののために、学校に通っているけれど、それがしんどくなったならいつでも休学したり、高校卒業認定でも、通信でも、中退であってもかまわない。

3学期が終われば、1年分の単位はとれるから、そこは頑張ってもらった方がいいけれどね。


けど高校時代にとれる資格は全部取るといって、英検、漢字検定、硬筆書写、無事卒業すれば、もれなく付いてくるヘルパー2級。

あと、パソコンなんたら・・・。
検定料が結構かかるけれど、確実に合格しているし、楽しいみたいだから、それでいいのか。(笑)

この一年、なんとか証という紙が増えた。

噂でなんでも決める人、他人の責任にする人、他人の評価しか眼に入らない人。

かなり苦手です。

私は親として、なんと言われようと娘の命を守りたかった。だから、学校にも役員にもどんなふうに思われても、「いじめによる登校拒否」と言い続けた。

それで、誤ってきた親だっていた。

けど、子どもの方は相変わらずだ。

卒業してからも、「きもい」と耳元ですれ違いざまに言う子どももいる。

もう、同じ学校じゃないから、私も、聴こえてきたら「今、きもいって言われたね」と大きな声で言い返す。

大人げないかもしれないけれど、「あなたのしていることは卑劣なことなんだよ」って伝えたい。

周りがその相手を見つめる。
私も見られる。

けれど、その行為はどうよ?って思うので、一人の人間として伝える。

その歪んだ心をあなたの親は受け止めてくれないの?

悲しいね。

そんな想いを大人になっても整理出来ない人が噂先行だったり、思い込みだったり、だれそれが・・・だけで人を判断する。

私は誰が何をいっても、自分が被害にあわない限り、受け入れる。
でも、被害を受けていると感じたら、自分を守る体制はとるけど、最初は拒否はしない。

けど、何度も伝えても無駄だと思ったら、無視している。

見ない、聴かない。

けど、それも
よっぽどの時。(笑)

無視されるのが一番きついと知っている私だからね。

自分をコントロールできないのに、他人をコントロールしようとする人も苦手だな。
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2年前のユニバーサル上映で「美式天然」という北海道出身の坪川監督の映画を上映した。

其の映画は、長万部が舞台で製作時間が9年。

うつくしき天然のいう曲は、昔は音楽の教科書に載っていたくらいの曲。

私たちは「チンドン屋」さんが演奏していると思っているその曲の歌詞はとてもとても美しい歌詞だった。


自然を大切にして、あるがままの山や川、滝をイメージできる歌詞。

その坪川監督が、舞台でアコーディオンを弾いて、それを私たちはミュージック・サインで表現した。


何度も何度も歌詞がないけれど、そのうつくしき天然が映画の中で流れてくる。

歌詞も1番からたしか4番まであって、長い。

それでも、歌は聞こえてこないけれど、私にはその山や川、滝を体で感じている人間が見えてきたので、その歌詞を表現した。

アンケートの中には歌っていないのになぜ表現をするのか?という言葉もあったけれど、私たちのパフォーマンスを見て、感動した、感動が増したという回答もあって、動くことが無駄ではないことを知った。

悩みに悩んで、表現してみようと思ってしたことだったから、いろんな角度でみてもらうことはとても大切だと思っている。

その坪川監督が、舞台あいさつの時に「次の映画が出来た」と言っていて、その年のイルミナシオン映画祭で
上映されたけれど見に行くことが出来なかった。

いつかはみたいと思っていた映画だったので、今日は映画と演奏の二つを堪能できてうれしかった。

3時間近く、演奏してくれたけれど、どの人も笑顔が絶えなかった。

ずっと、楽しい時間でいられた。

思わず、CDも買った。(笑)

映画の「アリア」にでてくるピアノは坪川監督が弾いていたそうだ。

こういう演奏を聴くと、もっとピアノ弾けるようになりたいと欲がでてくる。

気持ちだけだっていいよね。(笑)

あんな風に弾いてみたい。

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昨日まーさんの通院日でした。

最近母の私は診察室にずっと入っていなかったので、気になることを確認しました。

以前のように激しい人格交代は2009年の春くらいからはあまりないと自分では思っていますが、娘からみるとひそかに昨日は違うかーちゃんだったよと、言われる時があります。

その時に、根ほり葉ほり様子を聴くとまーさんは「いちいち覚えてない」ということがあるので、それを確認することはだめでしょうか?と主治医の確認を取りました。


確かに、会話の中身を覚えていないことは結構あるのだけれどそれって、単にボケているのか、本当に人格交代があるのか、人格が交代されないとならない事態だったのか?というあたりはあまりわかりません。


Drの話によると、「嫌なことを感じないようにする習慣」を持っている時間が長すぎて、今はそのアイテムを使う必要はないのに、回路がつながってしまって人格交代がされてしまうというのは、よくあることらしいのです。

なので、自分に「怖いことはもうないんだよ」といつも私がちいさなkasumiに伝えている方法は的確なんだなとわかりました。

それと、ど~~んと子どもの時のような気持ちになってしまいそうな時に、「kasumi」(本名もしくはかあちゃん)と呼んでもらって解離しそうになる私の脳の回路のスイッチを切ってもらうことは有効らしい。


それとトラウマ(PTSD)についても、消えないけれど薄くなっていくという感覚でいいのか?という質問には、「忘れる必要はないし、けれども、その悲しみの中に入っていく必要もない、それと無視するという選択肢ももってもいいかもしれない」というおアドバイスでした。

意識するとどうしてもそれにエネルギーを取られるので、スルーすることもできるときっと楽になれるわよ・・・。


私の中の小さなkasumiが小さいタッカとずっと遊んでいて帰ってこないと思っていたのは、私の中にいなくなったのではなくて、意識しなくても、私の中にいるということなのかもしれない。


今までは「小さなkasumiはどうしたいの?」と意識して話をしたり、お菓子を食べたり、あなたのしたかったことはなに?と常に「あなたはどうしたいの?」と尋ねてきた。

けれど、2009年のりぼんとの出会いから、ピアノ、歌、小さなkasumiが奪われた音楽をほんの少しだけれど、取り返そうと周りの力も借りて、歌ったり、弾いたりしている。

大人の私はつい「私ごときが・・・」とマイナスの方へ言葉が出てしまう。

それでも、年末にとった練習の時のMDよりも、今ははるかに声も出ているし、ピアノも下手は下手なりに、まとまってきてると自分が思う。

それを知っているSくんは、一昨日生の演奏を聴いて練習にも来てくれて、「kasumiさん、MDの時とは、全然違いますよ、あとはどれだけ練習するかですよ」と励ましてくれる。

それは「努力してるのがわかります」という言葉だろうし、もう少ししたら吹奏楽団の人たちの前で歌うこともしなければならないし、当然30日に自分の持っている力を100%出す自分を作ることもしなければならないと思っている。

今は自分自身の声がしっかり出ているか出ていないかしかわからない。

なんとかタッかの歌に乗っかること、リズムがずれないことそれだけに集中して一回うたうごとに、息が上がる。

半分は楽しく、半分は悔しい。(笑)

小さなkasumiは、「私がしたいこと」には~い!と手を挙げた。

それには、うまい下手は関係なくて、「~してみたい」「~になってみたい」夢だったんだと思う。

そのしてみたいことを実現しているタッカがいて、そのタッカが迷っているちいさなkasumiを見つけ、声をかけた。

そして「行こう!」と手をつないで話をしている。
手をつないでいるのはちいさいタッカ。
それってこうなんだよとか、へえ~~~とか。

小さなkasumiのしたいことを真剣に聴いてくれる人は誰もいなくて、でも必死に聴いてくれて、それを実現しようと大人の私を説得して「わかった」と言えるようにしてくれる。それは大人のタッカ。

また、「・・・」となる自分が消えたわけじゃないけれど、本当に「わたげ」を聴いて感動してくれたSくんのおかげで「スコア」として、形に残り、アンサンブルとして、一緒に演奏してくれる。

こういう状態って、人生の中でそうそう沢山あることじゃないよね。

怒り担当の男の子も最近出てこない。
怒りがないわけじゃないけれど、怒りの出し方が変化した。

以前は何番目の私ってわかったんだけれど、最近その境界線がぼんやりしてきてあまりはっきり何番目・・・・ってわからない。

通訳出来る人は4番目から6番目だけれど、なんとなくその分かれ目がはっきりしないし、その役割も分担されていないように感じる。

人格交代をしなくてもいい時間が増えたからなのかな。

もしかしたら、多重を意識しなくてもいいのかもしれない。

一番自信のない私。
それが主人格。

けど、努力すればなんとかなるかな??って思い始めたら、それもあまり気にならなくなった。

それとも新しいことがすでに始まっていて、それをなんとか形にしようって6人が会議してくれているのかな?
無意識に、楽しく過ごそうって決めてくれたのかな?

死にたい、消えたい、死んじゃいたいそう思って生きていた私ではあるけれど、生きているし、そろそろ自分のためだけに楽しいこともしていいもかもしれない。

自分のためにする楽しいことは、結果だれかのための楽しいことに絶対つながっているとは思うけれど、出発点が私からでもいいかな?と思い始めた。


今までは、出発点が「だれかが幸せになりますように」で、その結果自分も楽しかったり、うれしかったり、結果オーライだった。

周りから見たら、それはどっちも「すごい」ことを成し遂げているのだから、出発点はどっちからでも「すごい」ことになっていると思う。


年が明けてから「わたげ」の練習は時間が短くてもできるだけしている。
ときどきタッカが「kasumiさん、すごいわ」というのだけれど「??」となる私。
なにが??と聞いても具体的には言ってくれない。

そして、私は午前中発声練習をじっくり2時間かけてしているので、そりゃ・・・って思うから、「だって、練習してるもん」とありがとうの言葉に出来ず(笑)褒めてくれているんだろうとは思うけれど、「褒めてくれてありがとう」って言えない。

たぶん・・・・30日が過ぎて、自分と助けてくれる人の力を信じて歌って弾いて、終わったらじわじわと出てくる感情。

だってね。。。

楽しいことの後に、怖いことがあるかもしれないんだよ。
だから、あまり喜ぶと危険かも?って防御しているんだ。わたし・・・。(笑)


でも褒めてもらうことはうれしいから、褒めて。

けど、うれしくても「なにが?」ってきっと言い続けるよ。(笑)


よくわからない、自分の独り言です。


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我が家は築25年が過ぎている一軒家だから、とても寒い。

当時の作り方なんだろうけれど、柱が少なくて、窓が大きい。
だから、冬向きじゃない。

台所は経つのも嫌なくらい寒いのだ。
それでなくても、嫌なんだ。私・・・・。

わりと便利なもの食洗機もあるのに、使わないというか忘れてしまっていたり、食べるものを作る発想にならない私がいて、主婦とはあまり言えないかもしれない。アハハ(T_T)

夫が昨日、ホーマックに連れて行ってくれてその隙間風をふさいでくれたり、空気の循環を良くするのに、卓上の小さなサーキュレーターを買ってくれた。

実は天井に一台付いていて、団地に住んでいた時は、すぐれものと思っていたんだけれど、今の家に来てからは暖かいエアーカーテンにはあまりならず、ひろいこともあるのと、寒すぎる家なので効果がない・・・。


けど、今日それを冷蔵庫の上に置いて空気を上向きに流れるように設置したら、外から帰ってきたときの温度が違う!!って発見。

電気代いくらになるかな。
けど寒いよりはいいかもしれない。

寒いの嫌いな私。

けど一杯着ると肩こるし、いつもホッカイロがないと生きていけない。
今年は靴下持参して、いつでも・・・・って毛糸の靴下。

なんといっても、この時期風邪をひくと大変なことになるので、もう見かけより、体を大事にしないとって。

それでもやっと手袋とか、マフラーとか外でも使うようになって成長してきました。

寒いの駄目なのに、使えなかったんだよ。なんでだろうね。

なくしたらどうしようとか、いろんなこと考えすぎて使えないってなってたし。(笑)


さて・・・。
明日はまーさんがFMいるかに出演します。朝の番組ですが・・・。


早く起きて化粧しないとね。(笑)

別にしなくてもいいかもしれないけど、朝は血の気がないので、健康的には見えないので、色付けて外にでます。

山形さんの番組で、以前私もお世話になりました。

リクエストできる曲1つ持っていくのですが、綾香の「みんな空の下」と、授賞式の時に聴こえない人はいないし、受け入れられなかったらどうしようって、悩んだときに「一人でも感動したり、いいねって思ってくれる人がいるだけでもいいんだよ。勇気だしなよ」って励ましてくれた先輩がまーさんのためにかけてくれた曲。

どっちになるでしょう。
スタジオについたら決めるらしいです。


 

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このブログにするまえに、HPで虐待のことを発信していた。

けれど、タグ打ちや更新することに限界を感じて、ブログにお引っ越しをした。

HP時代には、カテゴリー別にオルゴールを付けていて、訪問していただいた方々からは、割と好評だった。

けどブログになってからは、張り付けの方法や張り付けられるのどうかもわからないままになっていて、それを得意とする私と、そうじゃない私がいるので、なんていうか「ま・・・いいか」と思って過ごしていた。


YouTube も、最近張り付けられるようになったので、割と聴きたいと思った瞬間に探して、エンドレスにパソコンで音楽を聴いていることも増えてきた。

朝、記事を書こうと思い、パソコンを開いてなんか音がしてるなぁ・・・と思いつつも、ぼ~~~っとしていた。

いつまでたっても、鳴りやまないピアノ。

なんだろうなぁ・・・・と思って自分のブログを見たら、「着メロ」が張り付いている。(笑)

だれがしたんだろう・・って多分私だと思われるんだけれど、まったくもって記憶がない。

そのサイトにも行ってみたけれど、今曲を取りかえるのはどうするの?と見てみたけれど、わからない。(大爆笑)

よく見たらYouTube 経由で出来たみたいなので、しばらくこのままにしておきます。

うるさいと感じる方、もしくはベタベタ張り付けている私の好きだった・好きな音楽を聴きたい方は、大変お手数ですが、一度「★ Didier Merah『Remember Forever』ブログパーツ」 のスイッチを切ってください。

切り方は、MDプレイヤーなどと同じです。=のマークが縦になってるところをポチしてください。<m(__)m>


いつしたのかも記憶にないので、多分パソコン好きの私がちょこっと出て何かをしていたのだと思われます。

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