虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧
- 2025.03.15 [PR]
- 2009.12.24 診断書のこと
- 2009.12.24 もしもし、Kenちゃん
- 2009.12.24 感情の平板化?
- 2009.12.24 診断書
- 2009.12.23 ラストクリスマス(日本語)
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もしかして、心配してる人がいる?と気がついたので、診断書について言い訳を書くことにしました。
2000年から、心療内科(つまりは精神科)に通っているわけですが、はじめは不眠から始まって、うつの入り口ってことで、抗うつ剤を飲み始めました。
抑うつっていうのは、たとえば「あなたはガンです」といわれると、だれでも気持ちが憂鬱になると思います。
その状態を「抑うつ」というのだそうです。
大切な人が急にいなくなっちゃったとか、一緒に住んでいたわんちゃん、にゃんちゃんが迷子になったりすると、気持が沈む。
これが抑うつです。
その抑うつが長いこと続いてしまい、慢性的になった状態が「うつ」です。
もともと日本人は「うつ傾向」が極端に外国よりも、多いので4人に1人はうつなわけ。
それは文化的なことで、建前と本音を使い分ける人種なので、それは仕方がないことかもしれません。
ただそれがつらいと感じて、通院するか、自分で我慢してしまうかの違い。
そして、生真面目な私は一生懸命うつの勉強をして、半年でよくなるはずのものを3年かけてしまったのです。
その間状態が良くなっても抗うつ剤はいきなりやめると大変なことになるので、症状がなくても薬を飲んで、すこしつづ離して行きました。
薬は、不思議なもので必要がなくなれば、自然といらなくなっていく。
もしかしたら、私は自力で無理をすれば睡眠時間が短くても生きていけるのかもしれない。
けれど、常に「かなしばり」にあっている時間が長いので、熟睡ができません。
それと、導入部分の脳の回路がつながりが悪く睡眠剤だけでも、熟睡できません。
人間は食べること、寝ること、働くことが生きていくために必要で、私の場合働くことはやめることが難しい。
それに加えて、食べる。
これも、1人で放っておくと食べなくなるので、生きていけなくなる。
そして、寝ることが1人では出来ないので、薬を飲む。
睡眠薬を飲むと癖になるとよく言われますが、必要がない時は、飲まなくてもいい状態になるので、(30代の時に経験しています)それは精神薬に対する偏見だとおもいます。
抗うつ剤の時に、自分で無理してやめようとたくらんだりしたおかげで長引いたので、それはやめようと心に決めています。
それでなくても、自分で命を縮めたりしてるので、労らないとね。(笑)
その精神薬は、一般の薬よりもお高いのです。
なので、自立支援法を使って保健所に毎年、薬代や診察料金を30%から5%に変えてもらうために、診断書を毎年書いてもらい保健所に出します。
身体障がいの自立支援とちがうのは、症状が固定されるわけではなく改善されるべきことなので、毎年審査があります。
けどね・・・。
少し症状が軽くなると、あっさり却下されてしまいます。
なので、
どれも似たような症状がダブっているものは、病名を変えたりするわけです。
ちなみに、私は毎年病名が違います。
これは慢性的な疾患がある場合、鍼灸も、治療箇所を変えて申請につかう診断書を出すのと似ています。
整骨院などで、保険をつかう場合も同様です。
私自身は、自分の状態がなぜこんな風なのか?
それを知って、とても楽になりました。
PTSDはあるので、フラッシュバックもあるけれど、次は「いらない」と打ち返すつもりでいます。
それは森田ゆりさんの「癒しのエンパワメント」に書いてあるように記憶がよみがえった時に、自分だけがカギを持っていてあけたりしめたりできる箱を持っているから。
開けたいときに開け、開けたくなければ開けない自分の記憶の箱。
今まで、自分の過去に向き合うために、よみがえった記憶は大切に向き合ってきたし、嘆いてもきたけれど、すべてを思い出さなくてもいいのではないか?そんな気持ちに今はなっています。
それは、祖母が亡くなった時に、「過去を切り取って…嘆くのはやめよう」という友人の言葉で「あれ?」って思ったことと、もう長いこと向き合ったし・・・という気持にもなれたので、したいようにすることに決めました。
嫌なものはいやって思う。
泣いてもいいよ。
我慢してみてもいいよ。
自分でしたいようにしてていいよと、自分を許容することにしたら、とても気持ちがいいのです。
食べないで、いるとやせてしまうし、寝ないでいると倒れるだろうし、そうなると働く(お金に関係なく)ことができなくなるので、薬は飲む。(笑)
感情もない人だったのが、少しわかるようになったこと。
それがDrからみると、感情がないように見えるだけ。
もともと、感情がない人だからね。
怒れば怒るほど冷静になってしまう。
それが、外に出せるのは私にとっては進歩。(笑)
だから大丈夫。
ただ、診断書みて「こんなふうに書かないと、だめなんだ・・・」って驚いたわけです。
年々良くなっているのに、あっちこっちに病名が変わる。
わかっていることだったけれど、理不尽な気持ちになったのです。
かといって、30%を年間支払うのも、今の家庭の事情では無理なので(笑)
これも一つの差別かしら?とも思う。
母に似ているといわれ続けた私は、私もうつになって人間失格になるのだと思い込んでいました。
けど、実際うつになってみたら、それを受容するのは半年時間が必要でした。
そして、今は「だから?」って思うし、あえて使うけれど父の言っていた「きちがい」ではないと思うし。
私は父よりも、一般的な人に近いし、虐待を正当化なんてしない。
眠れない以外は心配することないので、心配してくれた人には、ありがとう。
心配されることも、嫌じゃなくなったよ。(笑)
まえはうっとおしいって思ってた。その頃の人たち、ごめんなさい。<m(__)m>
ただ、言葉も最低6通りは考えてしまうのは、人数分だから仕方がないかな・・・。
くよくよしているわけじゃないけど、まわりからはくよくよしていると思われやすいのは、多重だからなんじゃないかな・・・と、自己診断。

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クリスマス、はしょってごめんね。
今年はいつもより、早く帰ってくるから一緒に買い物なんぞ行こうかな?なんて珍しいことを考えていて、送らなかったよ。
本当に「生きていてくれてありがとう」とあなたの記事を読んで思うね。
まーさんには、「離婚はありえない」とよく言われるけれど、25年間よく耐えていただいて・・・って本当に思う。
こんなはちゃめちゃな人生を背負って生きている私を放り出さず、時には頼りにもしてくれて、支えられてばかりの困ったチャンにもしないで、丁寧に付き合ってくれてありがとう。
サンタの登場も1号2号と、まーさんの3号サンタも無事到着したよ。
我が家は大人にもサンタがくるっていつから決めたんだっけ?
きっと、私もあなたも、子どものころに来てほしかったサンタさんが今来ているんだろうと思うよね。
私もプレゼント好きだよ。
けど、いつもあなたの期待する喜び方ができなくて、悲しい顔してたよね。
タイミングが悪いとか…(笑)
金の時計と、くしだっけ?
あんな感じでいつもずれてて・・・。
それぞれに想いやっていたはずなのに、「あれ??」みたいな感じが多かったね。
はちゃめちゃでも、尊重してもらってサンキュー。
私の居場所を残しておいてくれて、ありがとう。
私を一人にしないでくれてありがとう。
あてはまるのかな???
昔はそうだったかもしれないけどなぁ。。。
感情の平板化
喜怒哀楽などの感情の変化が少なくなることをいいます。また、他の人の感情に共感する、ということも少なくなります。
感情の変化とは、何もない状態から、例えば楽しいと感じるまでの移り変わりを指します。きっかけとなる出来事(刺激)の大きさとは関係ないので、ちょっとしたことでは楽しくないけれど、大きなイベントがあれば楽しい、ということを指すものではありません。
例えば
● 今までは羊羹を食べるととても喜んだのに、今はあまり喜ばなくなってしまった
● 今までは工事の騒音に対して「うるさい」と怒ってブツブツ文句を言っていたのに、
今は何も言わず、「工事の音うるさくないですか?」
と聞いても興味なさそうな様子をしている
● 昔からの知り合いの訃報を聞いても、「ああ、そう」といった感じで
悲しみや残念に思うよう
な反応がなくなってしまった
● 以前は音楽を聴くのも歌うのも大好きで楽しそうだったのに、
今は好きだった曲を流しても、一緒に歌っても楽しそうではない
● 今まではよく人の話を聞いてもらい泣きしていたのに、
今は心を動かされなくなってしまったようだ
などということがあります。
ただし、他に別の原因があって、そのために今まで感じられていたことに気付きにくくなっていることもあるので注意が必要です。
例えば
● 味覚の変化があって、今まで好きだったものが美味しいと感じられない
● 耳が遠くなったため、音が聞こえづらい
● 昔からの知り合いの名前を聞いても誰だか分からない
● 入れ歯が合わなくなって歌うのが苦痛
● 長い話をされるとなかなか内容を理解しにくい
などということも考えられます。
ひとつの事柄だけを捉えるのではなく、全体的に感情の平板化の傾向があるかどうか、といった見方が必要であると同時に、何か身体に変調はないかどうかを探ってみることも大切です。
でも、人って素晴らしいなぁと思うのは、人の気持ちを推測することができることです。以前のその人を知っていればそれに準じて、また、知らなければ「自分ならこう感じるだろう」と考えられます。感じ方は人それぞれなので、もしかしたら間違っているかもしれないけれど、同じ間違ったことをしてしまっても、「自分なら嬉しい」と思ってされたことと、「よく分からないけど皆やってるから」と思ってされたことでは、随分差があるように思います。

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去年は統合失調系うつでした。
自立支援の制度を受けるための診断書なんだけれど・・・・。
主たる精神障害 病名 うつ病
(うつ傾向にはあるけれど、鬱じゃないと思う私)
現在の病状
1)うつ状態:精神運動抑制(これってなんだろう?)抑うつ気分(これはある)、焦燥(あせるとかパニくるってことか?)
5)統合失調等残遺状態:(これってなんだろう?)自閉、感情の平板化、意欲減退
統合失調症になった記憶も言われた記憶もないんだけど、まぁ・・・似ている症状はあってね。。。でも、Drは過去は関係ないって人だからね、PTSDは考えてくれないのよね。
具体的な程度、症状等
気力の減退、自閉、不安、イライラ、憂うつ気分等が混在する。
うつに関する薬は飲んでないんだけどなぁ…。
・・・と小さいことにこだわってはいけないそうで・・・。(笑)
つまりは、眠れる薬をもらうには、仕方がないことなんです。
けど、本当に激うつの時は、しんどかったので、日常生活を円滑にするためにはこれしか方法がないし、このDrからは「解離性人格障害」とはたぶん診断されないと思われます。
そして、自分自身は最近困っていないので、話をしていないことも要因の一つになるのかもしれない。
そもそも、Drに自分をどうにかしてもらえるなんて思っていないし、ロールシャッハででた多重性がわかっても、それをどうにかしようとは、Drは思っていないようだし。
小さいところで解離したり、入れ替わったりはしてることは伝えているんだけれど、脳波の乱れってことで.....。
来年はどうなるでしょうか?(笑)

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Last Crisrtmas 今はまだ思い出になんてできないよ
でも愛はもうここにはいない This year
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出会って気がついたよ
本当は僕もさみしがり屋だと
ねぇ 君、覚えているかい?
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思えば僕は君にはたぶん重すぎだよね
わかったふりの強がり張り裂 けそうなMy beating
Last Crisrtmas 今はまだ思い出になんてならないよ
でも愛は ここにはいない This year
Last Crisrtmas ふたりなら願いはかなうと信じてた
まだ越えられない 君はいまでもSpecile
oh oh .. baby
悲しみも切なさも僕たちが生きている証
失ってみて初めて知った大切なもの 大切な人
もうあの頃には戻れない 君の微笑みは戻らない(Snow me smille)
oh oh .. この胸は痛みを覚えている
Last Crisrtmas 今はまだ思い出になんてできないよ
でも愛はもうここにはいない This year
Last Crisrtmas ふたりなら願いはかなうと信じてた
まだ越えられない 君はいまでもSpecile
もうあの頃には戻れない 君の微笑みは戻らない(May be here year)
だけど 君はいまでもSpecile ・・・

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ってことらしい。