虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧
- 2025.03.15 [PR]
- 2010.03.29 大切な友達
- 2010.03.28 マーさんひとり旅
- 2010.03.24 クリックすると写真が見える(笑)
- 2010.03.22 虐待を受けたものの、子育ての迷い
- 2010.03.20 いまさらだけど・・・。言葉は丁寧にしよう。
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自信がなくなっているだろうと思い、話をしたいとずっと思っていた人です。
先週メールをしてもそっけなく、もしかしたら、会う事も嫌だといわれるのかもしれないと思っていたのだけれど、思い切って昨日再度メールをしました。
考えを変える気はないから、あっても無駄と返事がきました。
考えを変えてほしいと思っているのではなく、何が起きたのかを知りたい。
また、あらたな相談があるんだと伝えたら、「あってもいいよ」と返事がきました。
人を信じるのはもううんざり・・・。
かいつまむと、こんな印象でした。
今日、飛行機で東京に転勤する私の友人も同様に心配をしていたので、約束の時間より15分ほどあとに電話をしてくれるように頼み、ここでの最後の別れの言葉を交わしました。
いろんなありがとうをもらって、少し顔がほころびました。
この半月の間に起きた経過、今の気持ち、将来のこと、短い時間だったけれど確認できて、良かった。
そして、私とその友人の心のずれは無いこと。
今は、離れているように表向きは見えても、心は想いは一つだと確認した。
私の想いはその友人の生きざまから学んだことでもあり、本当に実現したい事なのだ。
方法論が違ってもいつか必ず、重なるんだと確信しました。
今は、近寄りたくないという気持ちは尊重したいし、私も出来る事は、していくし、私なりの責任を果たしたいと思っています。
それを、「いったい何が起こったの?」と疑問に思っている人のところに届けました。
そしたら、kasumiさんは「いつでも一番苦しい人のそばに寄り添う仕事をしているんだね」って言われました。
本人自覚はないし、そんなに大変なことじゃなくて、普通のこと。
けれど、周りからみると、そう見えるのかもしれない。
けれど、それは私自身がだれかに寄り添ってもらいたかったという気持ちがあるからなんだと思います。
あえてよかった。
本当にそう思います。
悩んでないで動く、これ基本ですね。
そこも、今日あった友人から学んだことの一つです。
そして、「私、この人の友達なんだ」と実感しました。

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夫が単身赴任してから、毎年春には網走まで高速バスを使って堪能しています。
今年は私の妹のところへ、保育係をしてから、夫のところへ。
なので、母の私は一人で何もせず・・・・です。(笑)
今日は総会があったので、時間をそれに使い、あとはなにもぜずストーブのそばで、調べ物を。
まだ、ディスクトップの部屋が寒いので、そちらへは行けず、ノートパソコンで遊んでいます。
映画見てこようかな。
2月は1本も見てないんだよね。
このままだと3月も終わっちゃうし。
天気が良かったら行ってこようかな。ついでに一人カラオケとか。(笑)
声出したいんだけどね。
家ですると近所迷惑だしね。(笑)
外は寒いしね。(笑)
ふと見ると、8万ヒットしてたんだわ。
びっくりだし。
この間6万ヒットって驚いていたばっかりのような・・・。
今のテンプレート、カウンターがよく見えないので気がつかなかった。
さて、今日で禁煙4カ月です。パチパチ。
桜にしているには少し訳があります。
私の大好きな人が桜が好きなのであります。
けれど、北海道を基準にしていると桜が散ってしまうので、早めに桜を意識しています。
それと、私は冬眠したいほど、冬が苦手です。
だから気持ちだけでも春を意識して、今年もなんとか冬を乗り越えたと思いたいのです。
冬は、吹雪の中の小さなkasumiが凍えているので、灯油代が高くなっても、部屋の温度を下げれません。
自分を労わってあげないと、ポロポロ泣けてきちゃうです。
なのに、ご飯食べない自分もいて。(笑)
もう!いったいどうしたいの?
あなたはどうしたいの?
何回も何十回も聞いて聞いて聞いて・・・・・。
それをエンドレスに繰り返す時期です。
でも、昔は寒くなる11月にやっと季節を感じていたので、春と冬を感じられるようになったことは、成長かもしれないのです。
夏・・・・。
わからないうちに、通り過ぎます。
そのうち、スイセンとか芝桜とか、咲いてくるので春はわかると思うんだけれどね。
小さな庭?に意識して毎年お花を植えますが、雑草と間違って抜いちゃう人が基本居るので、いつも、あ~~~~ってなっています。
今年はハーブを植えたいのですが、成功するでしょうか?
ミントでいっぱいにしたいんだけどな。(笑)
かすみ草大作戦も毎年失敗します。(笑)

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私には、何人がリアルな友人で、子どもの私が受けた暴力について語れる時間があります。
それは、電話だったり、直接あえて話が出来たりして、私にもその友人たちにも、貴重な時間だと思う。
今であれば、発見してもらえるような状況だったり、発見されても、その後の対応が間違っていたりで、私たちの感覚というのは、かなりマヒしていると思う。
昨日、電話で話をしてて思ったことは、「一見なんでもないように見える」子ども、たとえば学力が優秀で、真面目に学校生活を過ごしてきた、逆にいうとそうせざるを得ない状況を強いられる
たとえば、100点を取ってこないと、家に入れてもらえないそんな境遇で育った友人。そして、そればねにして、自分の目指した大学に入り、目指した職業を経て、子育てをしている。
初めてであったことは、「子どもをかわいいと思えないの」と目にいっぱい涙をためていた。
うつで、入院したこともあって、とても苦しそうだった。
けれど、実家に子どもを預けると「自分と同じになる」と思い、無理して退院をして、自分のもとに子どもを連れてきた。
私は彼女が好きだ。
一生懸命だし、勉強家だし、とってもかわいいと思う。
母をとても頑張ってこなしながら、仕事もしている。
子どもを突き飛ばす…なんてことをしたことがない人にはわからないと思うけれど、私たちは大好きな自分の子どもに「嫉妬」をする感情がいつも渦巻いていて、それをおさえるのに必死である。
自分とは同じになってほしくない。
それを実現させるのに、すごく必死である。
傍からみたら、「同じなわけじゃない」のに、必死で、自分を責める。
大きな声で話したといっては、落ちこみ、もっと違う方法はなかったのかと自分を責める。
けれど、子どもの一言、一言にも傷つき、また責める。
大人だから、受け止めようと、それも必死になる。
機能不全じゃない家庭がよくわからないから、どれが正しいんだろうと不安だし、人からどう思われているのか?と気になる。
私は私のスタンスで子育てをしているんだからと、誰にも出来ないことをしているという自負はあるものの、いつも迷う。
そのうち自分が自分の中で迷子になる。
これが、誰にも助けてもらえなかった子どもの姿だと思う。
自分が一番ひどい扱いを受けてたなんて思わないけれど、水面下でもがいていた子どもの苦しさ、やっとの思いで生き延びてきた子どもの苦しさ、それを誰が受け止めないでいられるのだろうと考えた時に、自分しかいない現実が苦しい。
自分を育てることと、自分の娘を育ていることを同時進行していかなければならない、その苦しさは、きっとその立場で考える人にしかわからない。
私は子どもの時から、母親であった。
母親の役割をしてもらっていないのに、母業をしている。
それは今でも変わらない。
よくわからないまま、親になるってとても大変なこと。
きっと、一般的な人はこんなことで悩まないだろう。
けど、私は苦しい。
取るに足りない母であることがとても苦しい。
そのわりにはまーさんはたくましく育っていると思うけど、やっぱり「ごめんね」と思うのだ。
誰しも迷いながらの子育てであるとは思うけれど、私にはいつまでたっても安心がないまま時間が過ぎる。

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ついさっきまで、活動の古さでいうと、一番という団体の活動報告のことでメールでやり取りをしていた。
なんか。。。私できることをたくさんしたのに責められてるの?という気持ちになって、「どうしてそうなってるんだろう?」と確認をしてみた。
できるだけ丁寧に。
相手がぶっきらぼうなので、同じペースで返すととんでもないことになるんだろうなぁ。。。と思いながら、丁寧に丁寧に、文末には、ありがとうとつけて、何度か往復をしてた。
つまりは、忙しいkasumiに自分たちがまかせっきりにしてしまった結果、いろいろ他団体にも迷惑をかけて反省しているという意味だったようで。。。
だれがそう思っているとか、誰が考えたとか主語がない文章のやり取りでとても疲れたけど、あきらめないでよかったのかもしれないなと、思った。
このまま総会にでていたら、もめてしまうかもしれないなぁ。。。と不安だったんだよね。
だって、部長なのに知らないことがあるって・・・・。
忙しいkasumiだから・・・って割と勝手に使われることが多いのだけれど、忙しいから駄目とか、忙しいからできないということって、稀なんだよね。
出来ないことは引き受けないし、断るしね。携帯だって、できるだけ出てるしね。
だめな時は、あとでかけなおすとかしているんだけれどな。
私のことなのに、他人がたぶん~だろうときめつけられてことが運ぶのって他の人は嫌じゃないのかな。
私は「私のことは、私に聞いてほしい」って思うけれどね。
暗い一日だったけれど、あきらめなかったことですこしすっきりした。
外は嵐。
こんな日は、電線が鳴る音が怖くて、眠れなかった。
風で音がするんだよって誰かが説明してくれたら、怖いって思わなかったかもしれないのに。
説明とか、確認って大切だよね。
気をつけられる人になりたいものです。
今までも意識していたけれど、怒りが先にでると配慮のない言葉を使ってしまうので、言葉は丁寧に使いましょう。(笑)

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