虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧
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少しオシャレなお蕎麦屋さんを発見
根菜の揚げ出しとセイロとかきの炊いたもの。
私にしては上出来。
お店もいい雰囲気でした。こうして自分の身体を考えて食を選べるのも成長。
帰りに蕎麦茶をいただいて実はこれ好きです。
好きなものを思い出せるのはなかなかよいことかな?
明日、明後日は研修なので余計なことは考えなくて済むと思う。
ところで歩いていると好青年二人組にアンケートを…と頼まれ「平和と愛について」という項目に答えてほしいと頼まれこの笑顔でなにを勧誘するのだろうと興味もあったので答えてみました。(笑)
結果統一教会だったんだけど(笑)
「歩いてすぐのところに教会があるのでそこでお茶でも…」
と誘われましたがにっこり笑ってお断り。
自分の心に聞いて…と何度も言われ「no!」だってと何度も断り「あなたには天国にいって欲しいんです」というので「天国じゃなくても構わないの。これ以上の苦しみはもうないって思うから。そこまで神様も意地悪じゃないでしょと思って生きてるから。」
そこまで言うと「いつか祝福を受けてくださいね。」とあまりにも真剣に言うので「ありがとう」とその場を離れました。
必死なところは可愛いなぁと思っても…。好きじゃないのよ。(笑)

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根菜の揚げ出しとセイロとかきの炊いたもの。
私にしては上出来。
お店もいい雰囲気でした。こうして自分の身体を考えて食を選べるのも成長。
帰りに蕎麦茶をいただいて実はこれ好きです。
好きなものを思い出せるのはなかなかよいことかな?
明日、明後日は研修なので余計なことは考えなくて済むと思う。
ところで歩いていると好青年二人組にアンケートを…と頼まれ「平和と愛について」という項目に答えてほしいと頼まれこの笑顔でなにを勧誘するのだろうと興味もあったので答えてみました。(笑)
結果統一教会だったんだけど(笑)
「歩いてすぐのところに教会があるのでそこでお茶でも…」
と誘われましたがにっこり笑ってお断り。
自分の心に聞いて…と何度も言われ「no!」だってと何度も断り「あなたには天国にいって欲しいんです」というので「天国じゃなくても構わないの。これ以上の苦しみはもうないって思うから。そこまで神様も意地悪じゃないでしょと思って生きてるから。」
そこまで言うと「いつか祝福を受けてくださいね。」とあまりにも真剣に言うので「ありがとう」とその場を離れました。
必死なところは可愛いなぁと思っても…。好きじゃないのよ。(笑)

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研修を受けるために千葉にきています。
思ったよりも寒くて1時間早くお部屋に入れてもらいました。
CAPスペシャリストがさらにスペシャルニ-ズといって特別支援校などでCAPができるための勉強です。
もともと私は障がい児への関わりを持ちたくで保育士の資格を取ったわけで今回の資格をいつ活かせるかはわからないのだけれど今年は行こう!!となり来ています。
1時からホテルにいていつもは見ないオリンピックを見てスケートを見てました。
どんなに練習しててもアクシデントはあって当たり前なのかなぁ?
私はあまり自分自身のことで悔しい(>3<)と思っても行動に移すことはなくどうせ…とかやっぱり…とかすぐ思ってしまう。
そして自分が悪かったから起こったことなんだな…と自分責める。
最近は自分のせいじゃないと思えることや思ってもいいことを知ってこれ以上自分を他人からも自分からも傷つけられることは避けることができることを知り実践している。
最近の私は左手で箸を持ちたがったり字を書きたがる。
ご飯はなんとか食べれるけど字はうまく書けない。
でもそうしたいらしいのでそれも努力してみている。(笑)
左利きの自分に戻りたいのかな?
さて夕ご飯はどうしようか?
1 食べない
2 コンビニ
3 どこかで食べる
4 なにかを持ち込みカラオケにこもる
さてどれでしょう(笑)
思ったよりも寒くて1時間早くお部屋に入れてもらいました。
CAPスペシャリストがさらにスペシャルニ-ズといって特別支援校などでCAPができるための勉強です。
もともと私は障がい児への関わりを持ちたくで保育士の資格を取ったわけで今回の資格をいつ活かせるかはわからないのだけれど今年は行こう!!となり来ています。
1時からホテルにいていつもは見ないオリンピックを見てスケートを見てました。
どんなに練習しててもアクシデントはあって当たり前なのかなぁ?
私はあまり自分自身のことで悔しい(>3<)と思っても行動に移すことはなくどうせ…とかやっぱり…とかすぐ思ってしまう。
そして自分が悪かったから起こったことなんだな…と自分責める。
最近は自分のせいじゃないと思えることや思ってもいいことを知ってこれ以上自分を他人からも自分からも傷つけられることは避けることができることを知り実践している。
最近の私は左手で箸を持ちたがったり字を書きたがる。
ご飯はなんとか食べれるけど字はうまく書けない。
でもそうしたいらしいのでそれも努力してみている。(笑)
左利きの自分に戻りたいのかな?
さて夕ご飯はどうしようか?
1 食べない
2 コンビニ
3 どこかで食べる
4 なにかを持ち込みカラオケにこもる
さてどれでしょう(笑)
いろんなブログを拝見すると、「自分誰?」とか、「自分なに?」とか彷徨っている若い人が多いんだなぁ。。。。と感じる。
多分私が今20代なら、同じように悩むのかもしれないけれど、その倍をいきてしまったから、私の場合「多重」であることが分かってとてもすっきりした。
悩まないのか?と言われれば、考えることもあるけれど、周りにもそれを分かっていて関わってくれる家族や、友人、仲間がいることで子どもになってしまったら「母さん!」と叫んでもらうことで戻してもらうとか、過去に浸りすぎたら、「kasumiさん。kasumiさん、過去があって今のkasumiなんだよ」と何度も何度もつぶやいてくれる人がいたり、「それこそ冒険じゃん」と笑う仲間、誰にも体験できないことをやってのけてるだけですごいじゃんと、私がその世の中に存在することを否定しない人たちがたくさんいる。
私は今のままでもいいかなと思うのだけれど、どうしても埼玉の先生のところに行きたいと願っている人格がいて、金曜日から出かける千葉での研修の後その先生のところにセッションを受けに行く。
バラバラになるかもしれないし、どうなるかわからない。
けれど、嫌だという人と、行きたいという人がいて、今は「行ける」ことで安心感を持っている人が多いので、その後どうするかはまたあとで決める。
私自身では聴けない心の叫びを聴いてくれるかもしれない。
過去に浸るのではなくて、過去に区切りをつけたい。
自分的にはもうすでに区切りをつけた気持ちになっているのだけれど。
ときどきその世界に入り込んでしまい、抜けられない。
その時には、誰かに聴いてもらわなければ、苦しくてたまらないのだ。
けれど、その手の話は誰にでも出来るものではないし、昔はブログで書いていたけれど、ただ嘆きたいだけ、語りたいだけ、それなのに、優しい手が差し伸べられる。
それはあまり好きじゃない。
相談をしているのではなくて、ただ聴いてほしいのだ。
私の心から吐きだしてしまいたいだけなのに、多くの人はこうしたらいいんじゃない?とアドバイスをしてくれる。
けれど、それはすでに自分でしているのだ。
そっか・・・と聴いてくれる人って意外に少ない。
そうなると、明るく楽しいkasumiにならなければとサービス精神旺盛なkasumiさんが出てきてしまうので、「私のために暗い気持ちにさせてごめんね」と、聴き手を励ましてしまうのだ。(笑)
それはとても疲れる。
多重にならなければ、とっくに死んでいただろう出来事に耐えるというか、生き続けるために解離から、人格へと発展していった私の脳。
今は命を奪われるような悲しいことも、危険なこともないし、すでに大人として生きているわけだから、その危険も回避できる力を備えている。
経験で培ったものもあれば、学んだもの、いろいろある。
けれど、習慣でスイッチが入ってしまうことも多く、危険じゃないのに人格交代が起きたり、心が痛いと感じるとこもってしまう、そしてこもりすぎて小さなkasumiになったり、さらにもっと小さい年齢の私になっていることもある。
自分でそれを入れ替えることもできるのだけれど、自然になってしまっている時は、記憶が途切れる。
そこを寝るとか、声をかけて我に戻してもらうとか、仕事モードに入るとか、きっかけを作らないとどこかに行ってしまったままになるのだ。
(笑)

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多分私が今20代なら、同じように悩むのかもしれないけれど、その倍をいきてしまったから、私の場合「多重」であることが分かってとてもすっきりした。
悩まないのか?と言われれば、考えることもあるけれど、周りにもそれを分かっていて関わってくれる家族や、友人、仲間がいることで子どもになってしまったら「母さん!」と叫んでもらうことで戻してもらうとか、過去に浸りすぎたら、「kasumiさん。kasumiさん、過去があって今のkasumiなんだよ」と何度も何度もつぶやいてくれる人がいたり、「それこそ冒険じゃん」と笑う仲間、誰にも体験できないことをやってのけてるだけですごいじゃんと、私がその世の中に存在することを否定しない人たちがたくさんいる。
私は今のままでもいいかなと思うのだけれど、どうしても埼玉の先生のところに行きたいと願っている人格がいて、金曜日から出かける千葉での研修の後その先生のところにセッションを受けに行く。
バラバラになるかもしれないし、どうなるかわからない。
けれど、嫌だという人と、行きたいという人がいて、今は「行ける」ことで安心感を持っている人が多いので、その後どうするかはまたあとで決める。
私自身では聴けない心の叫びを聴いてくれるかもしれない。
過去に浸るのではなくて、過去に区切りをつけたい。
自分的にはもうすでに区切りをつけた気持ちになっているのだけれど。
ときどきその世界に入り込んでしまい、抜けられない。
その時には、誰かに聴いてもらわなければ、苦しくてたまらないのだ。
けれど、その手の話は誰にでも出来るものではないし、昔はブログで書いていたけれど、ただ嘆きたいだけ、語りたいだけ、それなのに、優しい手が差し伸べられる。
それはあまり好きじゃない。
相談をしているのではなくて、ただ聴いてほしいのだ。
私の心から吐きだしてしまいたいだけなのに、多くの人はこうしたらいいんじゃない?とアドバイスをしてくれる。
けれど、それはすでに自分でしているのだ。
そっか・・・と聴いてくれる人って意外に少ない。
そうなると、明るく楽しいkasumiにならなければとサービス精神旺盛なkasumiさんが出てきてしまうので、「私のために暗い気持ちにさせてごめんね」と、聴き手を励ましてしまうのだ。(笑)
それはとても疲れる。
多重にならなければ、とっくに死んでいただろう出来事に耐えるというか、生き続けるために解離から、人格へと発展していった私の脳。
今は命を奪われるような悲しいことも、危険なこともないし、すでに大人として生きているわけだから、その危険も回避できる力を備えている。
経験で培ったものもあれば、学んだもの、いろいろある。
けれど、習慣でスイッチが入ってしまうことも多く、危険じゃないのに人格交代が起きたり、心が痛いと感じるとこもってしまう、そしてこもりすぎて小さなkasumiになったり、さらにもっと小さい年齢の私になっていることもある。
自分でそれを入れ替えることもできるのだけれど、自然になってしまっている時は、記憶が途切れる。
そこを寝るとか、声をかけて我に戻してもらうとか、仕事モードに入るとか、きっかけを作らないとどこかに行ってしまったままになるのだ。
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