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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧

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 kasumiさんお久しぶりですが・・・。お変わりございませんか?
朝夕めっきり寒くなり、冬も近づいてきそうな日々です。ご無沙汰しておりますが、内心はどうしていらっしゃるか?と案じ続けておりました。

今朝の新聞で娘さんの写真が出ていました。
すいぶんと大人になったことに驚いております。

一度しか見ていませんでしたので、新聞の写真を見た時はkasumiさんの娘さんとは思っていませんでした。
記事を読んでいるうちに、わかりました。
コミュニュティ賞を受けたとのこと。

以前kasumiさんが受けたようなことがあったのを思い出します。
(多分社協の表彰のこと)

すばらしい親子と心から尊敬しています。

本当におめでとうございます。
どうぞお身体に気をつけて、活躍の程を心から祈ります。
kasumiさんたち一家のような方がこの街にいらっしゃることを思えば、私たちは幸せです。心からお礼を申し上げます。
私は、すっかり老女になり筆不精になり書くのが苦手ですが、気持ちをして書きました。
本当におめでとうございます。


この方は、途中で聞こえなくなった人で、よく手話で歌を表現すると、とても褒めてくれ、特に夫の表現はべたぼれです。

聴こえていたころの記憶が蘇ると、いつも喜んでくれます。


私たちがすばらしいのではなく、その私たちを育ててくれた聴こえない人たちがすばらしいのです。
手話にその力があるのだと私は思うのです。

私たち親子が表現する手話が人の心を動かすことがあったならば、それはろう者の力であると私は思っています。


ろう者の使う手話がすばらしいのです。

通訳者を育てようという心、想いがすばらしいのだと、私は思います。


私は2度ろう者から、「kasumi死んじゃうぞ」って思われてるような状況に陥ったので、本当に心から心配されています。
頑張りすぎるな、走りすぎるなと、いつも言われます。
先日は、「それを言うとお前が嫌われるだろう」と真剣に怒ってくれた。
でも、それをしないから、伝わらないんだよ、そんなの変ジャン、何のための通訳者なの?と、久しぶりに本気モードで語りました。

そのあと、(゜ー゜)ニヤリと笑ってしましました。

わかりあえるってすごいことです。
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 祖母がなくなったという連絡後、私は「子ども」の私になり、また世間体が大切な私自身と戦い、超「あんただれ?」の世界で数日を過ごした。


言いようのない、言葉にならない想い。

いったいなに?

12月1日の夕方、妹からの電話。

直接私に
親戚から電話が来ているのかもしれないけれど、嫌な感じのする電話番号には反応しない。
妹から、「おばあちゃん、亡くなったって」今日夜お通夜らしいよ。

お姉ちゃん、どうする?

「いかない。」
今日も、明日もはずせない用事があるから、行かない。
あの親戚の中にいたら、私が壊れる。
それをまーさんにはこれ以上見せたくない。

102歳。
私は父の方が先に逝くのではないかと思っていたくらいなので、順番どおりでよかったね・・・と、思った。
それと、おいしいご飯はつくってもらっていたこともあるので、それには感謝。
けど、母の悪口全開で、「kasumiは母親にそっくり」と言われ続けた私の気持ちは、大好きなおばあちゃんではないので、それは「嫌だったよ」と伝える。

この日はライブだった。
ありがとうにありがとう。

しっかり伝えたいそう思って、踏ん張った。

りぼんが伝えたい届けたい想いを聞いていたので、その想いプラス、手話でさらに届くように、そう思って表現した。

その夜、子どもの私はギャンギャン泣いた。

なぜ私の居場所がなかったのか。
なぜ、私が我慢していたのか。

どうして、一般の人のように葬儀に参加できないのか?
なんで、私には「普通」がないのか?

悔しさと、悲しさと、なんで??がたくさんあふれた。


去年の今頃から、時々主人格になると、過呼吸を起こす勢いで感情があふれる。
そしてギャンギャン泣く。


そこに大人の私はいない。そして、自傷に走る。
頭をガンガンぶつけたり、(あとで痛いんだよ(笑))
ボールペンで穴を開けたり・・・。(笑)

この時は「本名を呼んでもらって戻してもらった」

kasumiさん、過去を切り取って嘆くのはもうやめよう。
過去があって、嘆きがあって、悲しみがあって、その過去は消えない。
もがきながら、生きてきて今のkasumiがある。
それはとても強いし、大きい。
だから、もう嘆くのはやめよう。
4人目に出てきて・・・って頼もう。
変わってって言おう。



記憶があいまいなので、よく覚えていないけれど、ぼんやり残っている言葉。

頭の中で、「わかってるよ、それは、過去が消えないのも、その過去があって今の自分があることも、わかってるよ。けど、泣きたいんだもん」ってだれかが反論していた。

でも、本名で「それは違うよ」って何度も言ってもらっているうちに、大人のkasumiになった。

そして、なんで泣いてたんだろう・・・・みたいな気持ちで、いつもの私に戻る。

疲れる。


記憶が飛ぶ。
その度に疲れる。

そんな時、kasumiちゃんかわいそうって、自分で思う。



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自分の嫌いな父にそっくりなところ。

母の私をなじる言葉。


それが私の中に見える度に「自分が嫌い」になる。


特に他人にむけてしまうこと。

1番されて嫌だったことをしてしまう。

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 11月29日にあぶあぶあの奇跡を上映し、ミュージカルチームのラブの皆さんをお迎えし、ユニバーサルライブを演奏し、そして、また映画にと、忙しい走ってばっかりの私でしたが、一日中が幸せで、次の日も幸せでした。

ラブの皆さんを空港まで送り、ガラスごしに手と手を合わせ、またね、またあおうねと、誓いあって。

言葉はなくても、お互いに大切な存在だよねと、わかりあえたそんな瞬間を経験しました。


手話のわかるTさんには、「お姉さん手話うまいなぁ~~」と関西弁で褒められ、「手話柔らかくて大きくて素敵や」とまた褒められ、私も娘の超ご機嫌でした。


その手話で、娘はTさんから、「ずっと友達」を伝えてもらい、きっと一生つづく友情が芽生えた瞬間をみました。

ガラスは、熱をもたないけれど、重ねている手とては、ぬくもりが本当にあるように感じ、とてもとても、すごい力でした。

会えてよかった。


いつかは・・・と思っていたけれど、こんなに早く会えるとは思わなかったので、とてもブラボー!!。全国を旅しているので、手話の歌ははじめてやないんやけどな。なんていうか、やわらかくて暖かい感じがしたわ~~と、同行している母さんたちにもいわれ、「そうなんか~~」とちょっぴしうれしかった。私たちが目指しているものは、暖かいんだ・・・。(笑)すごくすごくうれしい時をすごしました。





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おばあちゃん、天国に向かっていますか?


私ね。実家に帰ると私が死んでしまうと感じるので近寄らない選択肢を使うね。

あなたが102歳まで生きていてあなたが生まれたからこそ私も今ここで生きていることにありがとう。


でも毒だらけの親戚の中には行けない。


苦しくなるだけだから。それはごめんね。

回りと仲良くしなさいって沢山言われたけど誰とでもは自分に嘘をついているみたいで嫌だからしないよ。


認知症になってからは私と同じ感覚で生きてたね。

側にいる時はkasumiって探してくれたね。ありがとう。そしてバイバイ。


おじいちゃんに会ったら助けてくれてありがとうってつたえてね
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