虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧
- 2025.03.16 [PR]
- 2009.09.25 つなげられる命であれば・・・。
- 2009.09.25 本日の歌(笑) はじまりはいつも雨
- 2009.09.24 クリスマスディが・・・。d(゜-^*) ナイス♪になって欲しい私
- 2009.09.24 だれか言ってくれないかな?(笑)
- 2009.09.24 翳りゆく部屋 小学生だった・・・。
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りぼんの記事を読んで思ったことをつらつらと、書きたい気持ち。
なので、トラックバックします。
普段は特別お断りをしていないけれど・・・・。(笑)
臓器移植には、賛否両論がさまざまな形であって、最近ではアメリカも日本人はお断り・・・というか、大金を払ってくるよいお客様みたいな仕組みを自国の患者を救うべきという国民の反発もあって、日本人の受け入れが厳しくなった。
アメリカは、国民健康保険のような医療システムがないので、お金持ちは医療にかかれるけれど、貧困生活を強いられている人たちは、簡単な病気ですら治療にはいたらない。
戦争経験があり重度のPTSDにかかった帰還兵士の人たちは、その恐怖に怯えドラックへと依存し、人として生きられない。
命をかけて戦ったのに、人を何人、いや何万たぶん数え切れないほどの殺人を麻痺した脳の感覚でその時期を過ごしてきた人たちであっても、治療の保障はない国アメリカ。
日本は、移植の技術がない国ではなくて、非血縁者の18歳未満つまり児童の移植を禁じている。
移植することで助かる命であるのに、禁じている。
それについて、言及しているのは、クライエントをもつ家族しかしない。周りの人は「あっしには、かかわりのないことでござんす」と語らない。
私の母の再婚先の息子(血はつながって居なく、私を無理やり結婚させようとたくらんでいたけれど)の2番目の娘は、京都で母親から生肝移植で生き延びた。
3歳くらいでも、歩行器に入ってやっと歩けるくらいにまで快復したけれど、父親の居眠り運転で、事故にあい車の外に放り出され、亡くなった。
このことを聴いた時に、「私の母がきっと、せっかく移植しても意味がない」と言うだろうな・・・と無駄なことだったと言葉にするだろうと思ったことがある。
それ以前に、「うちな肝臓が悪い人はいない」と不規則な生活を強いられて肝炎になったじゃないか・・・と聴きながら思った。
なんでもかんでも家のせいにしたり、相手のせいにしたりするのには、本当辟易する。
まさか、そんなこと奥さんに言ってないよね?と釘をさしたこともある。
奥さんは私の中学校の時の同級生が兄でもあり、高校は違ったけれど、農業科のある短大で、私はそのの付設専門学校に通っていた。
病気っていうのは、血筋がどうの、お先祖様がどうのっていうのは、くだらないと思う。もし私が死んでも、だれもお墓に来なくたって、自分の生き方を知っている人をたたったり、恨んだりしないと思うし、それよりも、いつでも「大丈夫」ってささやいていていたい。それこそ千の風だ。
宗太郎くんのお母さんは、自分の子どもの命の尊さ、重み、そして人生の幕引きをしっかりできたことを誇りに思うだろう。
生きていることだけが大切なのではなくて、どんな人に関わり、どんな風に生きたのか。
どんな人生を送れたのか?
何歳まで生きたのか?ではなく、どうな人生だったのか?が私は大切なことなのではないかと死生観を考える。
人のお金を当てにしてまで・・・などど思う人は、もしそういう場面に自分が直面したらきっとわかるだろう。
治療にはお金が莫大にかかるのである。
私はほんの少し持っているお金を分け合うことで、誰かの命が救われるのであれば募金するだろう。
もちろん、日本の法律がかわって児童同士の移植が可能になることも大切なことでもある。
お情け頂戴の国日本の割には、他人の命には無頓着。(笑)
わずか9歳でも、「ありがとう」と伝えていけるなんて。
そんな力を持ってるなんて。
たくさんの愛を感じて生きているんだと思うと、すごいと思う。
大好きな三浦綾子さんが難病を抱え、癌とも戦いの日々で「神様はわたくしを特別扱いしてくださる、たくさんの病気を私に与え、神様と向き合うチャンスを下さる」と話していた。
私はまだまだそんな領域にはいる信者ではないけれど、苦しみと同じ位幸せの数があるという。だとすれば、「短い命だったけれど、満ち足りた愛の中で生きていた」ということに宗太郎くんはなるのかもしれない。
生きるのにお金のあるなしで、道が分かれてしまうのはとても切ない。
日本は自国でなんとかできる食料も医療も、アメリカのいうとおり・・・と指きりげんまんを堅く守りすぎて、米を作るのをやめさせ、規制をかけ、水田農家を思い切り兼業農家にさせてしまった。
ハウスで花を作ったり、メロンを作ったりしなければならなく、本来ならお休みできる冬にも体を心ボロボロにしながら、離農も考えながら生きている友達が私にはたくさんいる。
食料にしても、医療にしても自国で力があるのにそれを押さえ、「NO!」といえない国を放置してきた私たちにも責任はあるけれど、核は消えて欲しいし、軍隊もなくなって欲しい。
話し合いって方法を持っている人間なのだから、時間をかけてでも語り、そしてお互いを尊重しあえる国の代表であって欲しい。
鳩山さんはあまり好きじゃないけれどね。
命あっての人生だから・・・。
私は戦争の責任って、子どもの人生に深く関わっていると思う。
育ったように子どもを育てる。
団塊の世代のジュニアが今、親なんだよね。
そして虐待が増えているように思うのは、無関心だから。
成績さえよければ、なんとでもなるそんな時代じゃないのに、教育競争を強いられる。
コントロールされてきた人間がコントロールしようとして、失敗すると他人のせいにする。
しつけに体罰は必要だという人、親にならないでください。
どんな子どもであっても、あるがままに受け入れることに努力ができる人だけ親になってほしい。
宗太郎くんのお母さんの経験はこれから先の道しるべになると私は思う。
愛がいっぱいで正直「いいなぁ・・・」と思う記事でした。

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なので、トラックバックします。
普段は特別お断りをしていないけれど・・・・。(笑)
臓器移植には、賛否両論がさまざまな形であって、最近ではアメリカも日本人はお断り・・・というか、大金を払ってくるよいお客様みたいな仕組みを自国の患者を救うべきという国民の反発もあって、日本人の受け入れが厳しくなった。
アメリカは、国民健康保険のような医療システムがないので、お金持ちは医療にかかれるけれど、貧困生活を強いられている人たちは、簡単な病気ですら治療にはいたらない。
戦争経験があり重度のPTSDにかかった帰還兵士の人たちは、その恐怖に怯えドラックへと依存し、人として生きられない。
命をかけて戦ったのに、人を何人、いや何万たぶん数え切れないほどの殺人を麻痺した脳の感覚でその時期を過ごしてきた人たちであっても、治療の保障はない国アメリカ。
日本は、移植の技術がない国ではなくて、非血縁者の18歳未満つまり児童の移植を禁じている。
移植することで助かる命であるのに、禁じている。
それについて、言及しているのは、クライエントをもつ家族しかしない。周りの人は「あっしには、かかわりのないことでござんす」と語らない。
私の母の再婚先の息子(血はつながって居なく、私を無理やり結婚させようとたくらんでいたけれど)の2番目の娘は、京都で母親から生肝移植で生き延びた。
3歳くらいでも、歩行器に入ってやっと歩けるくらいにまで快復したけれど、父親の居眠り運転で、事故にあい車の外に放り出され、亡くなった。
このことを聴いた時に、「私の母がきっと、せっかく移植しても意味がない」と言うだろうな・・・と無駄なことだったと言葉にするだろうと思ったことがある。
それ以前に、「うちな肝臓が悪い人はいない」と不規則な生活を強いられて肝炎になったじゃないか・・・と聴きながら思った。
なんでもかんでも家のせいにしたり、相手のせいにしたりするのには、本当辟易する。
まさか、そんなこと奥さんに言ってないよね?と釘をさしたこともある。
奥さんは私の中学校の時の同級生が兄でもあり、高校は違ったけれど、農業科のある短大で、私はそのの付設専門学校に通っていた。
病気っていうのは、血筋がどうの、お先祖様がどうのっていうのは、くだらないと思う。もし私が死んでも、だれもお墓に来なくたって、自分の生き方を知っている人をたたったり、恨んだりしないと思うし、それよりも、いつでも「大丈夫」ってささやいていていたい。それこそ千の風だ。
宗太郎くんのお母さんは、自分の子どもの命の尊さ、重み、そして人生の幕引きをしっかりできたことを誇りに思うだろう。
生きていることだけが大切なのではなくて、どんな人に関わり、どんな風に生きたのか。
どんな人生を送れたのか?
何歳まで生きたのか?ではなく、どうな人生だったのか?が私は大切なことなのではないかと死生観を考える。
人のお金を当てにしてまで・・・などど思う人は、もしそういう場面に自分が直面したらきっとわかるだろう。
治療にはお金が莫大にかかるのである。
私はほんの少し持っているお金を分け合うことで、誰かの命が救われるのであれば募金するだろう。
もちろん、日本の法律がかわって児童同士の移植が可能になることも大切なことでもある。
お情け頂戴の国日本の割には、他人の命には無頓着。(笑)
わずか9歳でも、「ありがとう」と伝えていけるなんて。
そんな力を持ってるなんて。
たくさんの愛を感じて生きているんだと思うと、すごいと思う。
大好きな三浦綾子さんが難病を抱え、癌とも戦いの日々で「神様はわたくしを特別扱いしてくださる、たくさんの病気を私に与え、神様と向き合うチャンスを下さる」と話していた。
私はまだまだそんな領域にはいる信者ではないけれど、苦しみと同じ位幸せの数があるという。だとすれば、「短い命だったけれど、満ち足りた愛の中で生きていた」ということに宗太郎くんはなるのかもしれない。
生きるのにお金のあるなしで、道が分かれてしまうのはとても切ない。
日本は自国でなんとかできる食料も医療も、アメリカのいうとおり・・・と指きりげんまんを堅く守りすぎて、米を作るのをやめさせ、規制をかけ、水田農家を思い切り兼業農家にさせてしまった。
ハウスで花を作ったり、メロンを作ったりしなければならなく、本来ならお休みできる冬にも体を心ボロボロにしながら、離農も考えながら生きている友達が私にはたくさんいる。
食料にしても、医療にしても自国で力があるのにそれを押さえ、「NO!」といえない国を放置してきた私たちにも責任はあるけれど、核は消えて欲しいし、軍隊もなくなって欲しい。
話し合いって方法を持っている人間なのだから、時間をかけてでも語り、そしてお互いを尊重しあえる国の代表であって欲しい。
鳩山さんはあまり好きじゃないけれどね。
命あっての人生だから・・・。
私は戦争の責任って、子どもの人生に深く関わっていると思う。
育ったように子どもを育てる。
団塊の世代のジュニアが今、親なんだよね。
そして虐待が増えているように思うのは、無関心だから。
成績さえよければ、なんとでもなるそんな時代じゃないのに、教育競争を強いられる。
コントロールされてきた人間がコントロールしようとして、失敗すると他人のせいにする。
しつけに体罰は必要だという人、親にならないでください。
どんな子どもであっても、あるがままに受け入れることに努力ができる人だけ親になってほしい。
宗太郎くんのお母さんの経験はこれから先の道しるべになると私は思う。
愛がいっぱいで正直「いいなぁ・・・」と思う記事でした。

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ゆりさんのところに通っていたころに、夫がいろいろ工夫してくれてIPレコーダーにいろいろ入れてくれた私がいつも聞いていた曲のひとつ。 絢香、コブクロ、辛島みどり、飛鳥・・・までは記憶にあるんだけれど、そのあとのゆずは覚えていない。(笑)
飛行機の中で聴いたりしてたから、途中で眠っちゃうんだろう・・・。

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私は、家族行事があまりというか、得意じゃない。
現家族は楽しいよ、もちろん。
けれど、子どもの時は、とっても憂鬱になるもので、つい最近まで運動会、家族遠足、5月の連休、夏休み、冬休み等々が苦痛でたまらなかった。
疲れるんだわ・・・。(笑)
もちろん娘と夫は仲良しだから、キャーキャー言いながら、楽しそうだし、それをみてるのはもちろん苦痛じゃない。
けれど、そこに参加しなければ・・・と思うと、気持ちが重たくなる。
なぜって、楽しいことのあとには必ず嫌なことが待っていて、そうなるくらいなら、「自分でぶち壊す」癖があって、まったくもう・・・・になるんだ。
ただこの歌は、市役所に入ってFさんとはじめての宴会というか、歓送迎会の2次会でカラオケに行った。
もちろん通訳もしているんだけれど、自分が歌うことになってしまった。
けど、他人の歌なら通訳してればいいけれど、自分が歌うのには誰にも通訳がいない。
考えに考えて、手話をつけて歌った。しかも即興で・・・。
その時にFさんは、私の頭を(^_^)ヾ(^^ )ヨシヨシしてくれた。
Fさんは、歌が好きだ。
グランドピアノが家にあった。
けど、音は聴いたことがないといつも言っていた。
この何年か、クリスマスは苦痛じゃなくなったけれど、今年はd(゜-^*) ナイス♪な時間になるだろうか?
私はぜひクリスマスディとFさん夫婦と過ごしたい。
来てくれるだろうか?
来たい気持ちを持ってくれるだろうか?
((o(^∇^)o))わくわくしてくれるだろうか?
今までの人生で最高のクリスマスプレゼントにしたい。
それができたら私とFさんの集大成になるかもしれない。そしてもっともっと、わたげを飛ばせるかもしれない。

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こんな風に誰か言ってくれないかな??と、いっつも思っていたわ。(笑)
いまさらだけど、助けて欲しいとは言わなかったし、言えなかった。
なんで?っていうと、心が壊れてしまいそうだった。
本当は優しい人って、言われ続けていたもんね。
本当は・・・って「じゃ、普段はどうだって言うの?」と追い込んでしまったしね。
なんでも受けいれてきたんだから、仕方がないけど。
怒りがあるんだから、本当の私には・・・・・。
その怒りを隠さないと生きていけないって思っていて、弱さを見せちゃうと、ボロボロになるんだもん。
今日、久しぶりに「しまたろう」に電話がつながって話しをした。
kasumiさんは、いつでも「前向きですよ」と笑う。
ただ、立ち止まることや、ベースを落とすことを覚えただけで、後ろを向いていても、進んできたじゃないですか?とあらためて言われた。
そうなんだよね。
マイナス思考は癖であっても、それでもなんとか自分のペースをつかむことには努力して来たし、強引に物事を進めているわけじゃないし、今だって、周りが大きなうねりを作ってくれるので、ただそれに身をゆだねて行けばいいんだと思っている。
正直にいうと、他人の力を信じて、自分も信じることにしただけなんだ。
映画祭の話をして、「第七天国」は見ている人はどんな感想を持ったのかしりたいんだよね・・・・と、話したら「お客さんは、遠くから来たスタッフの一人だと思っていると思うよという返事だった。
だとすると、私的には大成功なわけで、画面の中にしっかり融合できたということになる。
確かに活弁士さんともピアニストさんとも違和感は感じなかったし、二人はもちろんプロだから、私に遠慮はしないし、私もプロ意識だけはある。(笑)
私にできることを精一杯演じるというか、演出するだけ。
それがどう伝わっていくのかは未知の世界。
ただただ、数をこなして感情表現ができるように腕を磨いていくしかない。
どんな音楽でも、どんな効果音でも精一杯伝えようとして取り組む以外道はないし、果てしない。
けど、楽しい。
成功したとか失敗したとかは関係なくて、自分自身が表現できたかどうかが大切なんだ。
頭の中には、音符がというかメロディが浮かぶ。そしてそこに映画のシーンが浮かぶ。
それができれば、怖くない・・・って今の状態かな。
歌えるかも?弾けるかも?という自分の中で可能性みたいのが、出てきてる感じがする。
上手くなくてもいいんだ。
自分の想いが伝わればそれでいいんだって、小さい私にチャンスをあげたい。
それには、大人の私がちょっと努力できたら、そのチャンスは生きるんだろうと思う。

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