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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧

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父の一番したの妹の夫さんが亡くなった。

早くにマイホームを持ったけれど、結果夫婦で住み込みの仕事についていた。

出稼ぎだ。


電話連絡は来たけれど、関わるのもいやだし、必要なことはわからないままだった。


昨日妹からの電話で従弟とも連絡が取れたよと書いてあった。


祖母が100歳だとかで、お祝いをしたらしい。

弟の娘の誕生を喜んでいたらしい。


私はこういう時もひとりぼっち。

自分で選んだ道だけど、少し悲しい。(笑)



でも、父には絶対会いたくない。

いまさら「殺人犯」にはなりたくない。

私は私の幸せを掴む。


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先日大好きな森田ゆりさんの研修を受けた。 家族えん会議というテーマで、目の前にある一番困っていることから出来ることをしていこう!という内容だった。 この方法は私が仕事で、耳の聞こえない人とトラブルを解消するためにどうしようか?としてきた方法にとても似ていて、どこかで見た事がある・・・と思いながら、聞いていた。 その基本になっていることは、その人を取り巻く拡大家族や、社会にいる心配してくれる人と一緒に考えて、出来ることをしていこうと言うものだ。 私はこの方法がとても好きで、「あなたはどうしたいの?」と気持ちを聞く、聞いてもらえることがとても好きだ。 ゆりさんは、桜がとても好きな人で、夫が網走から送ってくれた桜版親子の樹の写真をあとで、手紙と一緒に送りたいな。。。って思った。 私のしたいこと、また見つけたような気がする。 今回、自分が着たいと思って買った服を来て行った。アクセサリーも自分で作った。 多分あんなに女らしい格好は初めてのことだと思う。 参加していた仲間は、「かわいい」と言ってくれた。 それをありがとうと素直に言えたのはたいした成長だと思う。

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私は落ち込むとトコトン地べたを這うくらいというか、穴を掘ってしまう。


なので、落ち込まないことを自分に知らず知らず課題を出していた。

もちろん、どん底に行かないときもあるけれど、どん底に行かないよう

に多分努力をしていた。

先週どうにも、ならなくて自分で「ドボン」と穴の中に落ち、自分の嫌な

ところ相手のいやなところ、自分のしたいことなどなど、泣きわめき

当り散らしすること2時間。

そのうちエネルギーがなくなって、寝ていた。

ふと目が覚めると、すっりき。


自分の思っている通りにならなくてもいいやと。


思い通りにならない事がかなりのストレスだったってこと。

やっぱり「マニュピレーター」だもんね。σ(-_-)ワタシ・・・・

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最近とてもバタバタしていて、自分のための時間がありませんでした。


それでも朝は毎日来るわけで・・・・。

妹からの手紙を読んで、母親役を求められていますが、

どうにもなにもできず、どうしたものか・・・・。


どう返事を返しても、苦情が来そうなので返事のしようがない。


私が思うには、「妹自身の怒りは一度自分の親に向けて欲しい」

と思うのだけれど、どうやったらそれが上手く伝わるのか

わからないでいます。

母親未満姉以上の私には、何も出来ない。


正直にいうと、単身赴任で親としては1人での対応になっている

娘のことでとてもエネルギーを使っています。

娘というよりも、担任の先生なんだけど。

とても疲れます。


それでも、目いっぱいになる前に相談したり、話を聞いてもらったり

している私は偉い!と思っていますが。


なかなかしんどいのです。


親って忙しいんだな。。。(笑)

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小学生の時の解離っていうか、乖離だったのかしら??ということを思い出した。

私は本当に小さいときから両親の性行為を目の前で見ながら育った。
これは断じて私の本意ではない。そのような環境で育てられてしまった。

だから、お布団の中でなにが起きているかはわからなかったけれど、母のあえぎ声や、息遣い、その描写というか、姿は頭から剥がれることは今でも少ない。

そして、幼児では一般的な「自慰行為」は、かなり激しいものだった。

多分、私はそれをとめて欲しいと言うか、かすかな希望を持っていたように思う。
だけど・・・・。

洋服の上から性器を触れて圧迫するというものだけれど、どんどんエスカレートする。
その行為そのものは変わらないけれど、隠れてしていたものから人前でもするようになり、そして、「○ちゃんて、いつも性器をさわっているよね」と別の友達を指摘したら、
「kasumiっちもだよね」と言われて(謎)・・・となったことがある。

人前と言う言葉で他人はどのくらいの範囲を想像するだろうか?

小学校の4年生くらいの時のことなので、記憶的には別段ショッキングなことがあったようには思えない。
ただ、授業中とか、歩いている時とか、本当のいつでもどこでもその行為をする子どもになっていたのは事実。

回りはどんな風に私を見ていただろう??(大人がこれをすると「わいせつ行為」ってことだよ)

息を止めて、刺激をして・・・。
感覚的にはあっちの世界に入る。

だけど、性的な喜びを求めていたのか?と考えると、違うんじゃないか?と思うし。

本を読んでいたら「緊張をほぐす」手段として行うことがあるらしいので、多分日常をどこかに飛ばしたい・・・そんな気持ちだったのだろうか?

それとも、「気持ちいい」になりたかったんだろうか?(私は性に関しては気持ちいいと認識したことはない。)

だけど、自分自身がその行為をしていることはその友達に言われる前は気がつかなかった。

この期間はかなり長いと思われるし、学校でのことでもあるのだからどうして担任の先生は止めてくれなかったのだろう。

私は自分の身体から自分の心が離れているを知っているのは幼児のころ。

実際にしていたことなんだろうけれど(もしかしたら、イメージなのかもしれない)。

ただ、性虐待を受けると「性器をさわりだす」とか、性的なことを年齢にふさわしくないくらい知識があるとか特徴があるけれど、これはまさしく私のことだと思った。

小さいときから、「この人の○○はどうなっているの?色は?形は?」と知りたくなる。
ま・・・実際に自分と比較することはしたことはないけれど、七不思議の一つだった。


常に私は「おかしい?」と思いながら生きてきた。

この時期に、自分が別の世界に行く方法として、自慰行為をしていたということだ。

一般に幼児さんのその行為を見ると、私の方法とはかなり違って、かわいい~~~ものですわ。

そのレベルでは心配する必要はないことだけれど、
授業中にずっとその世界にいた私をどうして先生は連れ戻してくれなかったんだろうね。

私はあまり羞恥心がない。
お風呂をのぞかれても、きゃ~~~~とは言ったことがない。(笑)

見たければ見れば~~~。
そう思ってしまう。

パンツが見えていても、中味が見えるわけじゃなし・・・とスカートでも平気で雑巾がけをしていた。

だけど最近の高校生のスカートの短さにはうんざりする。
もっと自分を大切にしろよと、いいたくなるのだ。(笑)矛盾だらけ・・・・。

見たいなら見れば・・・
触りたいなら触れば・・・。

したいなら、すれば・・・
さっさと終わってよね。
いつでも捨て身だった。

パンツの中味も外見も私にとってはどうでもいい物。

勝手にすれば・・・・。

ああ~~~なんてかわいげのない小学生だったんだろう。

こうやって人は荒む。

とうとう性の記憶まで来たな・・・って感じ。
これが終わったら、もっとすっきり出来るカナ?

だけど、この時期は小さいお姉ちゃんの年齢ではない。
だから、きっと私自身の記憶なんだろう。

このあと・・・なんだよね。お姉ちゃんが変わってくれたのは。

家出が始まったのが5年生だから、きっと夫婦喧嘩がすさまじかったのかな。


思い出せない。頭..・ヾ(。><)シ ぎょぇぇってなってきた。

あ~~~~一年生の記憶はあるけれど2年3年がないぞ。(笑)


いたいた、インチャイ。
3歳の女の子、笑っているからその年齢までは楽しいもあったのね。
そっか・・・あーちゃんの子どもが生まれるから「私も」って出てきたんだ。

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