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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「michieの日記」の記事一覧

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思い出した。


小学校一年生の運動会。
写真にある私の姿。

トレパンの時代。
ショートパンツから、下着が見えている、スローズってもの。


そして、ワンピースにあいそうな、帽子。

上等なものだからってかぶせられていた。
だから帽子が嫌い。

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小さいkasumiが泣いてる。
ママ、バイバイって。

あの時、ちゃんと説明してくれていたら、私はこんなに混乱しなかっただろう。
あの時、親として責任を果たしてくれたら、私はこんなに辛くなかっただろう。

少しでも私のことを気にかけてくれていたら、私はこんなに痛いと思わなかっただろう。

親にあんな言葉を投げかける子どもの気持ちがわかるか?
子どもがどんなにあなたを待っていたかわかるか?

はてしない、当てのないあの苦しさを、あなたはわかろうとしてくれたのか?

一度でいいから、守ってもらいたかったんだよ。

怖い、痛いあの暴力から救ってもらいたかったのに。

何もしてくれなかった。

自分だけが救われたんだって知ってる?

私を否定しないでよ。
生まれてきたことを後悔させないでよ。

私はあなたが好きだった。
大嫌いにさせたのは、あなた自身。

今だったら、あなたの痛みをわかってあげられるかもしれない。
だけど、聞かない、聞いてあげない。

さよなら、ママ。

どうしてごめんねっていってくれないんだろう。その言葉だけでゆるしてあげられるかもしれないのに。

バイバイ、ママ。もうすぐ誕生日だね。

いつも私は自分の誕生日よりも、あなたの誕生日の方が嬉しかったんだよ、知ってる?
2月。

わざと置いていったことも、いじわるされたことも、多分全部わかってしまった。

どうして私は愛されなかったんだろうと思うととても苦しかった。
でも、もういいよ。

バイバイ、ママ。
もう私はあわないし、電話もしない。

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先週から母に電話しようかな?なんて考えていたりした。

もう、着信拒否してから2年?
相変わらず、押し付けの小包は届いているし、夫が時々「義理」でお礼の電話しておいたよと言ってくれていた。

それも・・・。
もうしなくてもいいのかもしれない。

今日母からの手紙が届いていた。
気持ち的には「またかよ」と思いながら封をあけた。
そのまま捨てると言うのは、なかなか出来ない。
いつもはハガキで来るのに封筒かぁ・・・と思いながら読んだ。

内容が「yoshiko」さん・・・ってなっている。
yoshikoさんって誰だっけ?と思いながら、「まてよ。これって私宛てだったよね」と確認した。

だけど、中味が間違っている。

それで電話をして見た。
放置しておけばいいのに、そこは「親切なkasumi」なわけで・・・・。

そうしたら、「間違っていたのはわかっていたが便箋がいい紙でもったいなかったからそのまま送った」というのだ。

はい???(謎)

紙がもったいない?

だけど切手も貼ってあるし、「それっていいわけだろう?」と思いながら話を続けた。

「ところで・・・・3月に来る?」ときた。

はい?(謎)

何で2時間もJRに乗っていかなければならないのか理由を聞いた。

Kちゃん(弟)の娘の初節句だって。

はい??(謎)

(あのね。JRで1万円が飛ぶんだよ。)

生まれたことも伝えて来ない弟の娘のお祝い?

あきれてしまって、ものが言えなくなるところだったけれど、ここでひるんではいけない。

「あのさ、私はあなたと縁を切りたいってずっと思っていたんだよ、それなのになんで来る?っていうの?」と言った。

「縁を切って困るのはkasumiだろう」という。
(はい?)

「なんでそう思うの?」

「だって、小包とかお金とか生活に困るでしょう」(別に当てにして生きているわけじゃないし。自己満足でしょう)

「なにいってんの。」

どっちが先だったかな。
こんな会話もした。

「あのね。なんでそうやっていつまでも干渉し続けるの?」

「親だから」(でた、親だから・・・)

「あのさ、私はあんたに親らしいことはしてもらっていないと思っているんだよ。あんたは私たちをおいていったじゃないの、捨てたんだよわかる?」

「離婚したんだから仕方がない」

「離婚のことはわかるよ、だけど、何度も一緒に住みたいことを伝えたのにあんたは何もしなかった。
私が困っているときに一度だって話を聞いてくれたことがあったのか?ないでしょ?それなのに親だからって押し付けるよね。そんなの親って言わない!!」

「・・・・・」

「あんたは、Hさん(父)のところに私たちを置いて行ったら暴力親父がどうなるのかわかっていて私たちを置いていった、捨てていったんだよ。それなのに親だから!ってなに?。あのクソオヤジとなんで私がセックスしなければならなかったのか。あんたそれをわかっていたのになにもしなかったんだよ。私がどれだけ嫌な思いをしたかわかってるの?知っていて何もしなかったんだよ」

といって、切った。

母親には何度か自分の気持ちを伝えたことはあるけれどそれは「子育て」がらみのことで、自分自身の気持ちとか、子どもだった頃の思いを伝えたのは初めて。

多分これが最後の会話にもなるだろうと思う。

彼女が死んでしまう前にいえてよかったと思う。

何をどういっても彼女にはまったくといって伝わらない。

どんな人がどういっても、自分の言った事は正しいと思っている人だ。

何をどう読んでも私宛の手紙じゃないものをいれて、「自分が正しい」なんて。

夫にも見せたけれど、その開きなおりの仕方が変らないっていうのは、怖いと笑っている。

私は母が好きだった。(多分、小学生までは)

だから、嫌いな父よりは言葉を投げかけるのに、エネルギーがいる。

母を好きだった自分を否定したくないと思うからだ。だけど・・・・・。

もうそれは幻想だったかも?と思うのだ。

どんな母だって母は母だった。

守りたかった。
それが出来なかった自分を責めたけれど、こんなことにも「ごめんね」って言えない人のために私は何をしてきたのだろうと思うとむなしいのだ。

怪我をしたら、病院に連れて行った。

血だらけの家の中も掃除をした。

追い出されたら鍵も開けてた。

叩かれていたら私は自分が殴られても、身体を張った。

よく考えたら、私は誰にも守ってもらわなかった。

母にも祖父にも、祖母にも。


これで確信した。彼女は計画的に私を操ろうとしていたのだ。

不思議なことに、消印のない手紙なんだ。

夫はここに来たんじゃないの?と笑う。

そう思うくらい執念と言うか追いかけてきて、私を苦しめたいと思う気持ちがあるんだろう。

意識しているかどうかはわからないけれど、やっぱり「加害者」だった。
それは父であるHさんと、なんらかわりないのだ。

小さいkasumiはきっとすっきりしただろう。
大きいkasumiはこんなことをねぇねには言われなくないと思った。


言いたいことは言えた??
もっといいたいけれど、我慢しようね。
今度はあっちも反撃してくるために用意してると思うから。(笑)

これで名実共に「戦い」は終わっていいかもしれない。

さて。これからは「人生まだまだこれからさ♪」で楽しいこと、好きな事いっぱいしようね。v(*'-^*)bぶいっ♪

 

母親って大変だ。(笑)

これって、子どもの時の痛みだよ。ママ。(ちいさいkaasumiがつぶやいた。親って言うんだったら一度くらい受け止めてよね)

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日記にも書いたけれど子ども時代の私は、あの場所から逃げたかったのだ。

いつからなのかは、うすぼんやりとしてわからないけれど、とにかく逃げたかったのだ。なのに、母が入院(謎)して、あの場所から消えてしまった。
追い出されたものなのか、自分から逃げたのかは定かではない。

親に確認をしたことがない。
(今二人とも76歳なんだけれど、意識がはっきりしているうちに、聞いてこようかな?)

だけど、追い出されたときに、私はこっそりと鍵を開けたりしている記憶があるので、自分から逃げたのは可能性としては低いと思うのだ。

夜中に行ったボウリング場。
ちっとも楽しくなんかない。
あたりまえだ、家に帰って見つかったらどんな目にあうのかわからない。
いつもビクビクしていた。

そのビクビクで思い出したのだ。
母はいつも(”;)オドオド・・・していて、落ち着きのない子どものようだった。

テレビで見る「嘘つき」の大人だ。
子どもの方が嘘を見破っているから、子どもの目が怖いんだ。

母は私をないものにした。
そして、母親の仮面をかぶって、私に会いに来た。

大人の都合で私を振りまわした。

叩かれるってわかっているのに「あいたかったんだもん」って言って無理やり会いに来た。
だから、許せないんだ。

私をなにも出来ない子どもだと、刷り込みをさせて、自分だけ逃げて・・・・・。

そして、お金で愛情を示したつもりでいる。
だれもが「お母さん、kasumiさんのことが心配なのね」と言ってもらえるような行動をして。

私は「大変だったね」って共感してもらいたいだけなんだ。

私は、これ以上競争の世界に私を引きずり込まないで欲しいだけなんだ。

今度はあなたと戦わなければならないのかもしれない。

あなたも被害者だった?
だけど、私は止めるよ、連鎖。
あなたができなかったことを私はする。

弟だけをかわいがったあなたは間違っていたと、私は証明するよ。

私の逃げ場所を奪ったあなたを多分許せないと思う。

私は逃げようとしたんだ。
それを、あなたが背中を向けた。
あなたの祖父が止めた。

思い出した、私は逃げようとしたんだ。

それを出来なくしたのは、母。

離婚をしたくなかったのは、あなた。
暴力を振るわれても、子どもが痛い目にあっていても何も感じなかったよね。
そんな母を育てたのはおじいちゃん。

あの時、父と一緒に住まない方法をとっていたら、私は性暴力にはあわなかった。


体裁やら、家柄やらで私たちは、捨てられたんだよね。

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記憶がないところ


美味しいの記憶。
ある人との会話で、なんだ、kasumiさん、美味しいあるじゃないですか??と言われ、あら??と思ったこと。

最近、意識して食事を作っているなぁ。。。と思う。
それまではきっと「餌」だったというか、作ることが義務で食べさせたいとか、食べて欲しいとか意識していなかった。

普通はそういうのは意識するとか、しないとかじゃないかもしれないが。。。。

自分的にはおなかが膨れたらそれでおしまいなので、一日1食でも食べたらマシだなと思う。(笑)

子どもにはそんなことしてないけど。 

今年101歳になる祖母。
あまり好きじゃない。
どうしてかというと、いつでも「母に似て」という形容詞をつけて私を呼ぶ。
どのくらいの長さで一緒に住んでいたのかわからないけれど、祖母の家から学校に通っていたときもあった。

一般的に料理上手な人だった。
でも貧乏だった。(笑)
もしかしたら、私のお世話焼きは祖母からもらったのかもしれない。
おすそ分けの好きな人だった。
いつでも笑っていて、小さなことは気にしない。

今は痴呆で施設に入っているが、仲間が好きな人で集団生活が苦にならない。

法事で久しぶりにあった時に、kasum、kasumiと、寄ってきて結果、私が食事の世話や送り迎えを担当した。
もう、きっとあうことはないと思うけれど。

そういえば、美味しいがあったかも?
おばあちゃんの作る卵焼きで来るんだ海苔巻き、もう一度食べたいかも?

私海苔巻き上手なんだわ。チューリップの作れるんだよ。
もう一人暮らしはきついかな?と思ったその年の冬に骨折した。そして、家に帰ることなく退院してホームで暮らしている。
楽しい時間でとまっている祖母が少しうらやましいかも知れない。

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