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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「michieの日記」の記事一覧

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 先日テレビを見ていたら、冷え性の対策で脳をだます・・・って番組があった。

通常お風呂に入ると30分後くらいから、体は冷え始める。
そこで・・・。

湯船に入っている時間に氷を2個舐める。
そうすると、身体から、脳に刺激がいって、身体を温める必要があると勘違いするのだそうだ。

そして、実験してみた人が「冷え性」から解放されたというので、さっそく・・・・。

三日目ですが、足が冷たくならないのです。

この暑さみたいな時でも、私は手足が冷たいのですが、少なくても足は冷たくならないのです。


効果あるかも・・・・。

お試し下さい。

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 いろいろ活動も広がって、私は誰??ってなることが増えてきたので、実名を出してみることにしました。

過去の事の整理はほとんど終わったけれど、インナーチャイルドのkasumiの想いと、現実社会で生きているmichieさんの想いが混乱したり、「だれ?」と自分自身がわからなくなってくるので、カテゴリーも分けてみるか・・・というのが狙いです。

一応家族の了解も取ったし、不都合があれば、また隠してしまえばいいので、やってみなければ始まらない。

名刺も、本名を出しているわけだし、わたげでも、虐待のことも、世の中に知らせたい想いはkasumiもmichieも狙いは一つだから、ま・・・・いいっかってなわけです。

毎日一緒にいる家族は私の7変化ならず、6変化はわかっているようだし、本来の私に戻してくれるのは、娘のまーさんなわけで・・・。

対外的なmichieさんはkasumi4なので、その4番目が危険に晒されるとでてくるのがkasumi2です。
怒り全開になると怖いですよ、みなさん気をつけて・・・・。(笑)

うまく交代できずに、kasumi4が頑張った後にめそめそしているのが、michie本人で自信はどこ??ってくらいのおどおどした主人格でございます。

最近少し表に出ていますが、カタツムリみたいに、ちょっとなにかあると、引っこみますし、泣きます。
私の人格交代できるkasumi1から5は、耐えきれない事があった時に、出て来て人格を持っているので、けっこう強いし、臨機応変がきくし、適応能力が高いです。(笑)
一番よわっちいのがkasumi3だと思っていた、主人格のmichieさんです。

だから交代人格が5人で主人格をだして、6人ってわけですね。



自分の嫌なところって、だれでも持ち合わせているのだけれど、それが顕著なのがkasumi2さんのところに集中しているので、少しかわいそうです。
すぐ「俺のせいかよ」とすねるし・・・。
けど、攻撃性はすぐれているので、交渉事はお任せしていると、進みます。

kasumi5は、誰も対応できなくなったら、じゃじゃじゃじゃ~んと出てくるので笑えます。

いいところばっかり見てる人は私をなんでもできる人って思うんだろうね。うん。

けど、何にも出来ないって思っていることの方が多いんですよ。

なんで??って自信がないからです。



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FB(フラッシュバック注意です。)

嫌な予感がする場合は読まないでくださいね。



出てきましたね。

去年、歌うこと、ピアノを弾くことを始めたら多分でてくるだろうな。。と想像していた部分の箱が空いてきました。
けど、細かいことは書けません。


・・・・というのは、それを読んで喜ぶというか、楽しむ方がいるので、当たり障りのないことしか書けません。
なので、私の記憶の箱の中は、結構壮絶であることので、ご理解ください。

何度も同じようなことを書いているのですが、それにくっついてくる記憶は別なものです。


私の過去のことは、娘のまーさんの成長と共に出てくることが多いので、まーさんが10歳になる時も怖いと感じたし、中高生のあたりが一番しんどいだろうとある程度予測できるので、それなりに準備はして、思春期ってなに?とか、不登校ってなに?とか、親ってなに?って調べたり、勉強したり。


まーさんは、とてもなんだかんだいっても、順調に思春期を普通にやり過ごしていて、私はこの状態を独りで抱えて大人になったんだ…と思うことで、自分に足りなかった愛はどのくらいの量なのかとか、考える基準にしたりしています。

けど与えられなかったものを今欲しいと思ってもそれは無理なことだとは十分承知の上で悲しいとか、寂しかったんだとか、その子ども時代の気持ちを受け止めてみるのだけれど、悲しすぎて・・・。

あまりにも色んなことがありすぎて、なるほどね、ここから人格交代があったのはなかなか賢い選択だわと、自分の生きて行く力の大きさに、感心したり、そうまでして生きることにこだわった理由はなんだろう?と考えたりしています。

自分の家族の中に、離婚やらいろいろ事情と言っても私たちの事情ではないけれど、大人が夜誰も居なかった時代は仕方がないとして、再婚した継母と私が「女としてライバルだった事実があったんだ…」と考えるとゾワッとしますが、そんなふうに考える人間も世の中にはいるわけで・・・・・。


泥棒猫って言われたことがあるんですね。
まだその時は意味がわかってなかったんだけれど、自分的には「あとからこの家に来たのはあなたでしょう」くらいの感じだったかしら?

再婚家庭の中で、苦しかったのは本当に自分の居場所がないこと。
私、弟、彼と同じ年の都合上妹になった人。

勉強ができるのは、他の二人で、私はいつも馬鹿だと罵られていて、何か手つだおうと、台所にいっても、親子で会話しながら、食事の準備をしているところになかなか入って行けず、結果手伝いができない。

それを、「お姉ちゃんはなにもしない」と怒られて悲しかった。

したくないんじゃなくて、気づかいをしてもらえない。だから、できない。

私は20まで、父親のいけにえとして、扱われていたけれど、高校生で親と一緒にお風呂に入ることを「お姉ちゃんとお父さんは仲が良い」という言葉で表現されていたことが悲しい。

ピアノの月謝を踏み倒す父。
それも、つらかった。(お金がないわけじゃなくて)

家に帰っても居場所がないので遅く帰る手段を取る。そうなるとピアノに触れられる時間がない。だから練習が出来ない。
けれど、自分は触れていたいから、レッスンは続けられるように土下座をしてそれを確保する。

でも発表会には、意地悪をされて出してもらえず先生には迷惑をかける。

高校の後半には「保育士」になりたいからピアノを続けさせてもらう。
先生には、短大だったら行けるかも?とか声楽科なら行けるかも?と言われたけれど、もうその時には音楽を学ぶことはあきらめた。

保育園で困らない程度に弾けたらいい。

子どもの時は教会でパイプオルガンを弾ける人になりたくて、勉強したかったんだ。

いまでも憧れるけれど。(笑)

唯一楽しかったのは汽車通の時間。
好きだった先輩が乗っている車両にのって、色んな学校、学年の人がいて、わいわいしてて。

さらに大好きだった音楽の先生からのセクハラ。
さすがに汽車の中で泣いた。

けれど、だれにも、話すことは出来なくて、心は固くなる。

付き合っていたとわれる人はいたけれどそれは断れなくて、ライブを聴きに行ったり、映画をみたり、家にいるよりははるかに楽だったから。

人並み以上に、編み物はできたからセーターとか手袋は編んであげたら、喜んでくれた。

同じ車両に乗るから、車掌さんとも仲良しで、よく喫茶店とかいって、おしゃべりした。(これって、なんだろう)同じ高校の先輩のお父さんだったり、子どもがいない人だったり。

複数でだったり、独りだったり。
これって、今でいう援助交際の一歩手前か?(笑)

この年齢でも、断ることが出来ない習慣があって、そう嫌な感じがしなければ、ついて行っちゃうんだ。けど国鉄の車掌室だから(笑)

道がわからないと言われては車に載っちゃうとか。
そのあとのことは記憶にないから・・・・。

何度も同じこと繰り返してると思う。

けど、それくらい家には帰りたくない。

私は自分を守るために自分を殺してきた。
心も、体も。

それを思い出すと、そうしてきた自分も悲しいし、そうせざるしかなかった自分も悲しい。

けど、そこには道は一つ、生きていくための道は一つだったと思う。私には選択肢はなかった。

相談できる大人も、相談してもいいと教えてくれる人はいなかった。

たった一人だけうち明けた友人がいるけれど、そこから疎遠になった。

その時に、「誰にも話してはいけないことなんだ」と悟った。


森田ゆりさんは言う。
性虐待は(性暴力)は心の殺人。

私は何度、何人の人に殺されたんだろう。

それでも私は自分が悪かったんだと責める。

たくさん勉強しても、別な道があったんじゃないかと、自分を責める。

なぜ私は生まれたのかと。
なぜ、生きているのかと自分を責める。

他人にはケアできるけれど、自分にはなかなかできない。時間がすごくかかる。
それくらい私は傷ついてきたということだけれど、「やめて」の一言が言えない。

自分のためにしたいこと。
この次は、私の子どもになって生まれてきて。

それができたら、ぎゅっと、抱きしめてあげられる。

話も聞いてあげられる。

全身で、「うちのkasumiになにするの!」って戦ってあげられる。

だから、私の娘になっておいで。

無条件で愛を渡せると思うから。

そうだね、いつも条件付きの愛だったね。
~してないと不安だったもんね。

小さい時から保育園の送迎お疲れ様。ありがとう。
毎日のお遣いお疲れ様。ありがとう。
何もわからない時からのご飯したくお疲れ様、ありがとう。
今でもしたくないから・・・・。(笑)

さっき、パンでも焼こうと思って動いたら、羽がない・・・。
なくさないようにってどこかにしまったらしい。

仕方がないので、あとで簡単に発酵できる…って本を探そうね。

機械に頼っているから、自分でってできなくなってるね。(笑)

妹、弟の面倒頑張ったね。
妹は大人の私の意思だけれど、弟はちがうよね、3歳しか違わないのに、大変だったよね。お疲れ様、ありがとう。


いつだって、自分の時間なんてなかったね。悲しいよね。

いつも近くのママの従兄弟たちと比べられて、つらかったね。

勉強もピアノも年上の人と比べられたって、追いつかないよね。(笑)

けど、いまでもいろんなこと出来てるのは、kasumiさんだけなんだよ。
ありがとう。頑張ってくれて。

あなたのママが優秀だったって言っていた人たちは、結構リタイアしてたり、死んじゃってるんだよね。

生きててくれてありがとう。

そうそう、ママの家系は自殺が多いんだよね。
きっと見えない抑圧がいっぱいあったのかな。

そう考えたら、10年で離れられてよかったかもしれないね。

パパの家系はDVだらけだよ。

よかったね、逃げて来れて。

同じことになるところだった。

もう、だれも怒らないから、安心していいんだよ。

疲れちゃうのは仕方がないよ。とっても頑張ったんだから。

私がそのつらさ引き受けるから、大丈夫。

いっぱい泣いて、いっぱい笑おうね。

できなかったこと、これからでもしていこうね。

自分を自分で育てるってなかなか難しいね。
だれか教えて。。。そう思うよね。(笑)



連鎖切るよ。大丈夫。
もう切れているから。

お母さんになった小さなkasumiの将来は、無条件の愛を渡せてるし、もらったから。

たくさんのkasumiさんたち、命をつなげてくれてありがとう。

その痛みを全てはまだ引き受けて行けないけれど、いつかきっとゴールを迎えるから、待ってて。

無限につづくかもしれないけれど、待ってて。
そこに行くね。







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ふと彼を思い出した。


母からの嫉妬心はもらったけど最初の愛はここかなと気付いたので置いておきます。


私のおじいちゃんは、養子に出された人で、農家のあと取りとして、親戚の家の子どもになった。

でも、その時代は、大地主の子どもにかなわなくてどんなに勉強を頑張っても一番にはなれなかったと聞いた。
テストで一番でも、全体の評価になると、2番だったって。

それと彼は戦争に行くことができなかったことを、とても悔やんでいた。
非国民だと思っていたんだろうね。

病気なんだから、仕方がないことだけれど、人間として失格みたいに思っていたのかな。

今だったら、おじいちゃんに「あなたがいなければ、私はいない」と伝えられるけど、当時は子どもだったから何かが違うと思っていても、言葉がないし、なんの力にもなれない。

そんなおじいちゃんは母には厳しかったけれど、孫の私にはあまちゃんで、なんでも新しい物を与えてくれた。
自転車。
チョコ。
おいしい食べ物。

なんでも。

けれど、そのあとの嫉妬というか、いやみも壮絶なものだった。

大好きだけれど、嫌い。

あとが怖いからね。

けど、そのおじいちゃんも、私の体を触ってきた。

おじいちゃんが好きだったから、小さい時から一緒の布団で寝てた。
10歳くらいかな。

おばあちゃんも、母も「一緒に寝るのはやめなさい」って言ったことがあるから、そういうおじいちゃんの癖みたいのは知っていたんだろうね、もしかしたら母も被害者なのかもしれない。

もうこの世に3人ともいないから、確認できないけれど。


大切にされないってどんなこと?

私だってまーがうらやましいよ。

でもさ。

まーが笑っていたら私はそれで満たされるんだよ。

おばあちゃんも、ママもそれは思わなかったの?

いいことばかりでもないけれど、悪いことだけでもないんだよね。

私は、まだまだいいことばっかりを探すし、わるいことばっかりを探す。

極端に。

振り子の幅はかなり狭くなってきたと思うけど、時々はいるブラックホールは怖いよ。

私がこんなに傷を追うってしていたら、少しは考えてくれた?それとも、俺の方が・・・っていう?
おじいちゃんの辛さもっと聞けたらよかったね。


毎日が怖くて、明日は来ないで欲しいって思っていた私が、朝は憂鬱だけれど、それなりに一日の中で楽しいことを見つけているよ。
けっこう自慢の孫になってると思うよ、おじいちゃん。

私はおじいちゃんの悲しみも受け取ったよ。
もう解放させていくよ。

私ね、いろんなことができるんだよ。
ママに言ってよ、kasumiを褒めてって。

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 2002年のことだから、もう8年か・・。

手話通訳者として、12年が過ぎたころに、うつが発症して、結果退職した。

毎年、非常勤なので、更新手続きがある。
3月31日に退職になって、4月1日に雇用される。退職金は発生しない。

前職が夫だったから、それはわかっていたし、そのころの年収は、25歳の時にもらっていた給料にやっと届いたくらいの金額だった。

施設の職員だったから、公務員と変わらないくらいの給料。

それは、43歳になって、やっと同じ位になった時。
もう、働けない、働いちゃいけない・・・って、一度目に倒れた時に、自分で二度目はなしだよね、ろう者に迷惑がかかる。
休職するなら、やめようって心に決めていた。

職業病の時に、本当に迷惑もかけたし、心配もかけたから。

制度上は、わりと保障されていて、休職、病欠3ヶ月は、できた。

もしかしたら、やめないで復職できたかもしれない。

通訳の仕事は、天職だって思っていたから。


すごく悲しかった。
けど、夫に土下座されて(笑)
頼むからやめてくれって。

裁判所の通訳が終わった時に、言われた。
夫は、いつでも私を支えてきた。どんな時も。

その夫が私に土下座するって、どういうことかわかる。

わかった。けど、Fさんには、自分で伝えられない。

俺が行って来るといって、Fさんのところに伝えにいってしまった。

呆然としながら、「そうか」としか言わないのを知っているからこそ、悲しかった。

ごめん・・・・。

満60歳の退職、非常勤としての、2度目の退職を私は見送るはずだったのに。
ごめん・・・。

一緒に仕事ができなくなっちゃった。ごめん・・・・。


その決意は、裁判所での通訳が一度ですっと伝わらない事態が起きた。

通じない・・・・。伝わらない・・・・。
え?なんで?

そう思った時に、この仕事を続けちゃいけないんだッて感じた。

今思うと、よくあの職場で耐えたな・・・。

ひどかったのは5年間だけど、残りの7年も怒鳴られたり、チークダンスを強要されて・・・。

けど、それで虐待を受けてたってわかって小さなkasumiと出逢って、ここまで生きてきたんだよね。

あのままだったら、自殺とかしちゃってたかもしれないしね。

けど。


寂しかった。悲しかった。

大好きな仕事だったから。

だれも味方してくれない。
やっぱり一人なんだッて思っていたけど、この仕事好き。
ただそれだけで続けてきたんだ。

仕事・・・。
障がいをもつ子どもと関わりたかった。

けど、それはまだそんなにたくさんなくて、知的の大人の施設に勤めた。
そして、結婚して赤ちゃんとか、学童とか認知症の人とか・・・・。

亡くなる人をみるのが嫌で務めなかった老人ホーム。
そこは、視力障がいの人が入所するところだった。

けど、断った。

なのに、病院では何人もの人を見送った。

私が泊まりに入ると必ず急変するメンバーってあって・・・・。

一人で霊安室なんていうのも、たくさんあった。

その後の手話通訳っていう仕事。

こんにちは市長です・・って番組のワイプにも入った。10年くらいかな?

それが、苫小牧あたりまで放送されているってわかって、焦ったっけ。

逃げるように、祭日私物を取りに行った。

泣きながら・・・・。

私を苛め抜いた上司に会いたくなくて、やめると決めた日から職場には行かなかった。あまっている有給を全部つかって・・・。

送別会も参加しなかった。

だって・・・私の送別会なのに、通訳はしないといけないし、(当然仕事だから)けど、Fさんとずっと語りたいのに、それができないんだよね。

だから、参加しなかった。

なによりも、課長と同じ席にいることが苦痛だったから。

そんな、本末転倒なやめ方をしてしまったんだ・・・・。
病休だって、とれたのに、組合だってあったのに、心配してくれた議員さんだっていたのに・・・。(笑)

けど、ろう者はだれも私を責めなかった。

たぶん、Fさんがかばってくれたんだろう。

最近、kasumiにあんなやめさせ方をさせてしまって悪かったって言ってたって聴いた。
ちがうんだ。私が相談するってことを知らなかったから。
自分が困っているのに、すべてを飲み込んでしまっていたからなんだ。

ごめん・・・・っていうのは、私なんだよ。

困った時には、だれかに話そうって知っていたら、あんなことにはならなかった。
けど、あの時期がなかったら、今はない。

ミュージックサインだって、生まれていない。

死んじゃうかと思って心配だったよ!!って言われた時に、「あ・・そうなんだ」って思うおばかな私。


だけど、この充電期間がなかったら、今はないんだよ。
kasumiちゃん。
わかるよね。

悲しかった気持ち、大事にしようね。



その後、すぐろう者のみなさんから、「ご苦労さん会」開くよと連絡がありましたが、今すぐは無理です・・・と伝えました。
「わかった。いつでも言ってくれ、すぐ準備するからな」とFAXが・・・。

その3ヵ月後、kasumiさん、お疲れ様という横断幕と共に集まってくれたろう者の数は、新年会を越える人。人。

この人。あの人まで・・・・っていうくらいたくさんのろう者がいました。
この時、私は愛されてるね・・・って思ったのでした。

30キロを切りそうになって、細くなってしまった私に、握手やら、ハグやら・・・。
泣いて語ってくれる人。

花束は、タクシーに乗り切れないくらいたくさん。

私の頑張りは、当事者に届いていて、「ありがとう」って思っていてくれたんだってわかった瞬間でした。

長くて、7年短くて3年未満の職場を私は12年勤めたから。
夫婦で合わせると20年近く。

地域の通訳者の基盤を作ったのは、当事者と私たち。

そう考えれば、悲しいばっかりじゃないかな・・・・。(笑)

そうそうリフレーミングしましょう。kasumiさん。









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