虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧
- 2025.03.14 [PR]
- 2011.01.21 拒否・拒絶 だめなものは、だめ(笑)
- 2011.01.18 いのちあっての喜び
- 2011.01.12 転んで肩悪化なのに積雪・・・。
- 2010.12.30 2010年私の歩いた道
- 2010.12.30 虐待をしてきた父と別れを告げる
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自分も拒否されるといやだって思うけど、どうしてもだめなものってある。
例えば、男性がトイレに行く時に、ファスナーを下げながら行くとか、その音とか。
例えば、男性と二人きりとか、エレベーターとか密室。
例えば、鍵。
どなり声。下ネタ。
ゲーゲー吐きそうなくらい。
吐ければまだ楽だけど・・・・・。
逃げられないって思うと身がすくむんだよね。
だいぶ緩和されてきたけれど、エレベーターなんかは、心臓バクバク。
それと、コントロールされてるなあと、感じたら、拒絶、攻撃パワー全開。
怒鳴ったりもするけど、淡々とmailするとか、それで?だから?って。
やけに丁寧になって、「来ないで!」ってバリア。
最近はあまりしてなかったんだけど・・・・。
友人一人失ったかもというか、私のそばにいるとけがするよ・・・って。
そう思うから、自分の携帯から登録削除して、自分からは連絡取れないようにしました。
必要なら、電話くるかもしれないけど・・・。
また、やっちゃった。あはは。
けど、自分を守りたかったんだ。

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例えば、男性がトイレに行く時に、ファスナーを下げながら行くとか、その音とか。
例えば、男性と二人きりとか、エレベーターとか密室。
例えば、鍵。
どなり声。下ネタ。
ゲーゲー吐きそうなくらい。
吐ければまだ楽だけど・・・・・。
逃げられないって思うと身がすくむんだよね。
だいぶ緩和されてきたけれど、エレベーターなんかは、心臓バクバク。
それと、コントロールされてるなあと、感じたら、拒絶、攻撃パワー全開。
怒鳴ったりもするけど、淡々とmailするとか、それで?だから?って。
やけに丁寧になって、「来ないで!」ってバリア。
最近はあまりしてなかったんだけど・・・・。
友人一人失ったかもというか、私のそばにいるとけがするよ・・・って。
そう思うから、自分の携帯から登録削除して、自分からは連絡取れないようにしました。
必要なら、電話くるかもしれないけど・・・。
また、やっちゃった。あはは。
けど、自分を守りたかったんだ。

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最近、詩を書いています。 ぼっと突然思いついた言葉をだた、ならべただけです。(笑)
けれど、タッカがそれに曲をつけてくれます。
こんな私、生きてていいのかな?
こんな私なんて、いらないよね。
いつしかこんなふうに考える子どもだった。
そんな人によく逢うよ、私。
私のアンテナ、広いみたいで、SOS聴こえてくるよ。 助けて・・・・って。
あなたの中の小さなあなたのSOS。
「こんな私生きてていいのかな?」そう思ったら 伝えてあげて。
もっと楽しいことが先にあるんだよ。
私の声を聴いてよ。 ぼくの声を聴いてよ。
「あなたはどうしたいの?」って聴いてよって伝えてよ。
これ以上僕を苦しめないで、こんなに頑張っているんだよって。
自分のこと、抱きしめて。
少しずつでいいから、生きてきたことに 自信をもって。
生きていこうよ、ここまで来たんだから。
うれしいこと、見つけよう。 一緒に。
楽しいこといっぱいしよう。
いつでも呼んでね。 飛んで行くから。
心はいつも一緒だよ。
命があって、今があるから 喜びも感じる自分になろう。
苦しかったよ、悲しかったよ。 その気持ち、大事にしよう。
その分、喜びも大きくなるって知ってるから。
辛かったって嘆いていいよ。
一緒に考えるよ、あなたはどうしたいの?って。
出来ることから一歩づつ。
進めばきっと景色は変わる。
空を見れば、青いかも?
雲があっても、その上は青いよ、きっと。
だから、 生きていて。
出会えてよかったって、ハグしよう。
子どもの時の分までね。 だから、だから・・・ 生きていて。
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けれど、タッカがそれに曲をつけてくれます。
こんな私、生きてていいのかな?
こんな私なんて、いらないよね。
いつしかこんなふうに考える子どもだった。
そんな人によく逢うよ、私。
私のアンテナ、広いみたいで、SOS聴こえてくるよ。 助けて・・・・って。
あなたの中の小さなあなたのSOS。
「こんな私生きてていいのかな?」そう思ったら 伝えてあげて。
もっと楽しいことが先にあるんだよ。
私の声を聴いてよ。 ぼくの声を聴いてよ。
「あなたはどうしたいの?」って聴いてよって伝えてよ。
これ以上僕を苦しめないで、こんなに頑張っているんだよって。
自分のこと、抱きしめて。
少しずつでいいから、生きてきたことに 自信をもって。
生きていこうよ、ここまで来たんだから。
うれしいこと、見つけよう。 一緒に。
楽しいこといっぱいしよう。
いつでも呼んでね。 飛んで行くから。
心はいつも一緒だよ。
命があって、今があるから 喜びも感じる自分になろう。
苦しかったよ、悲しかったよ。 その気持ち、大事にしよう。
その分、喜びも大きくなるって知ってるから。
辛かったって嘆いていいよ。
一緒に考えるよ、あなたはどうしたいの?って。
出来ることから一歩づつ。
進めばきっと景色は変わる。
空を見れば、青いかも?
雲があっても、その上は青いよ、きっと。
だから、 生きていて。
出会えてよかったって、ハグしよう。
子どもの時の分までね。 だから、だから・・・ 生きていて。

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110番の日に、転んで左腕をひねった。
痛いのなんのって・・・。
それが今日になってさらに痛い・・・。
通院。
先生曰く
「転んで悪化しちゃったね」。
けど、玄関前は雪かきをしたけれど、車は腕があがらなくまーさんに頼んだ。
夕方になったら、固まって雪がくなるから今のうちに。

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痛いのなんのって・・・。
それが今日になってさらに痛い・・・。
通院。
先生曰く
「転んで悪化しちゃったね」。
けど、玄関前は雪かきをしたけれど、車は腕があがらなくまーさんに頼んだ。
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今年の最後の仕事、虐待をした父にあい別れを告げることが出来ました。
私の家族と妹と甥っ子たちの力を借りて初めて親子らしい会話が出来たように思います。
先日ま-さんが頂いた「文部科学大臣賞」の表彰状、表彰式のDVDを持ち見せて来ました。
「偉い
偉い
」と何度も褒める姿があり、お年玉を「奮発しよう」と追加分のご褒美を渡していました。
私はそれを「自分のこどもにもしたかっただろうなぁ…」と父の苦しさをホンの少しかいま見ることが出来ました。
小学校6年生の時にアメリカ軍に攻撃された時の話しも初めて聴き戦争が残した傷の大きさも知り「この人も自分が生きてることに運命的なものを感じたり引け目を持って生きてきたんだ」とわかりました。
DVDプレイヤーがなく見たいものがあるけれど見ることができないというのですぐ近くにヤマダ電機があったので夫がお金をもらい買いに行き、使い方を説明しました。
認知症もかなりあるのでだんだん支援者になっていく私がいました。
何度も何度も使えるようになるまで…(笑)
孫との会話を聴いていると本来はこどもが大好きな人であることも私が昨年送った新聞記事も毎日眺めているだろうもいう形跡もありでした。
写真も飾ってあり親としての彼は私や私の家族を案じているのだということも理解できました。
多重であることは多獣でもあるんだとやっぱり暴力の連鎖を切るために私は生まれ生きて来たのだと思います。
最後に「元気でね。ありがとう」と父の顔を見て目を見て伝えてきました。
びっくりしてましたが、一瞬だけ心が通った気がしました。
見送ってくれていた父は一度家に戻りかけましたが車が見えなくなるまでずっと外にいました。
やっと親子に戻れた、そう思います。
来てよかった。
やっぱりパパは大好きな存在だった。
なのに認められないことが私は悲しかった。
ただそれだけ。
それがわかるのには傷が深すぎた。
ただそれだけ…。

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私の家族と妹と甥っ子たちの力を借りて初めて親子らしい会話が出来たように思います。
先日ま-さんが頂いた「文部科学大臣賞」の表彰状、表彰式のDVDを持ち見せて来ました。
「偉い


私はそれを「自分のこどもにもしたかっただろうなぁ…」と父の苦しさをホンの少しかいま見ることが出来ました。
小学校6年生の時にアメリカ軍に攻撃された時の話しも初めて聴き戦争が残した傷の大きさも知り「この人も自分が生きてることに運命的なものを感じたり引け目を持って生きてきたんだ」とわかりました。
DVDプレイヤーがなく見たいものがあるけれど見ることができないというのですぐ近くにヤマダ電機があったので夫がお金をもらい買いに行き、使い方を説明しました。
認知症もかなりあるのでだんだん支援者になっていく私がいました。
何度も何度も使えるようになるまで…(笑)
孫との会話を聴いていると本来はこどもが大好きな人であることも私が昨年送った新聞記事も毎日眺めているだろうもいう形跡もありでした。
写真も飾ってあり親としての彼は私や私の家族を案じているのだということも理解できました。
多重であることは多獣でもあるんだとやっぱり暴力の連鎖を切るために私は生まれ生きて来たのだと思います。
最後に「元気でね。ありがとう」と父の顔を見て目を見て伝えてきました。
びっくりしてましたが、一瞬だけ心が通った気がしました。
見送ってくれていた父は一度家に戻りかけましたが車が見えなくなるまでずっと外にいました。
やっと親子に戻れた、そう思います。
来てよかった。
やっぱりパパは大好きな存在だった。
なのに認められないことが私は悲しかった。
ただそれだけ。
それがわかるのには傷が深すぎた。
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