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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧

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 晴天の中での、お祭り。
NPO活動を紹介するイベント。

去年はりぼんが歌うところに、ミュージックサインをつけて歌わせてもらったのが始まり。

久しぶりに逢えた人やいつも合っている人。

なんとなく知っている人。


なんとな~く空を見上げたら、星(ハナ)の曲が浮かんだ。

うちの母は私をみてるのかしらん?と思い(笑)「ちゃんと見てなさいよ」とちょっと命令的な気持ちで、発信してみた。(笑)

見てても見てなくてもいいんだけれどね。

娘と孫が楽しくいろんなことをしてるんだよ・・・って伝えてみた。



今までそういう発想はなかったので、やっぱりあの曲の効果は大きいのかな。


来年も頼みたいから、いろいろできるようになってね・・・ってムックリさんに言われて、音楽オンリーじゃないことが出来るのって、「わたげ」だからなんだよね・・・って思った。

今の段階でタッカがいなくても30分はなんとかできる事があるんだって、思うとうれしいね。

タッカがいても、いなくてもできることを増やせば、もっと広がっていくのかもしれない。

そういう意味で、きっとタッカが企ててきたことは、達成してきているんだね。きっと・・・・。(笑)


音楽部門で、「わたげ」で立てるってことは、すごいことだと思った。
わたげが伝えられることっていっぱいあるかもしれない。


私はどんなに凹んでも「前に」と思ったら進めるから、新しい希望を持ててよかったなと、つくづく今日は感謝です。

いつも気にしてくれている人、気遣ってくれる人、応援してくれる人、いろんな人にthank youって思う。



少し歌いたい気持ちがあったので、CDに合わせて歌ったアンダンテ。

すでにジョイフルで息切れしてたので、声はかすれるし、ずれるしだったけど、歌ってよかった。

一人で歌うことも、できるのかもしれない。

ピアノと同じようにゆっくり練習しよっと。

きちんととか、ちゃんとって思うのはやめよう。(笑)



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 今日、ひさしぶりに本屋へ立ち寄った。

今は本を読む気力もないので、ただぼ~~~っと本棚を眺めていた。

すると・・・・。
ろう者でピアニストである宮川さんの本が目にとまった。

HNKの、手話講師などもしている方らしく、年齢も同じだった。

どうして気がつかなかったんだろうっていうくらい、きっと近しい人だと思う。

ろう学校からのインテグレートでずいぶん苛められたと書いてあった。

それがエリーゼのためにと弾けるようになった途端、いじめがとまったという箇所があった。


何日か通えば立ち読みで読破できそうな本だったけれど、逢ってみたいなぁ…と思った。

そういえば、年齢が同じくらいのろう者ってあまりいない。

活動者でいないはずはないんだけれど、あまり出会ったことがないように思う。

全国的な活動の場に行かなくなって8年だから仕方がないかな。


でも、戻りたいとは思わないんだよね。

地元でなんとなく寄り添っていれたらそれがいいかなと思うから。


先頭でいることに疲れたんだと思う。

それでもまだ、行ける。

立ち止まって8年でも、まだ行ける。

どんだけ走ってきたんだろう。わたし・・・・。(笑)

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 今、体の中は絶不調。

なんで??って、空っぽになったから虚無と、無気力、孤独で、いっぱい。

短い時間でいろんなことを考えすぎたんだろうと、昨日の夜、夫に「眠れないし、孤独の穴に落ちた」と電話したら、そう言われた。

彼はいま西澤哲(さとる)さんの講演記録を書いているけれど、全てに思い当たる事ばかりで、自分のことを書かれているカテゴリを読むより、「やっぱりそうなんだ」と自覚することが多くて、そっちの方がつらいかな。

分かってはいるけれど、念を押されるとひどい事だったのね・・・・と悲しくなるんだ。

本当に生きているのが不思議なくらいというのは、事実なんだなって。(笑)


心の快復はおしまい…って思ってた時期もあるので、その後もいろいろとあらわれてくる記憶の対処は、しんどいし、スルーできない。
本当は、あるということもスルーできると楽らしいけれど、いままでも受け止めて、消化してという方法で対処してきたから、スルー・・・・。

どうやったら、いいんだろうと途方に暮れる。

それで今認知行動療法なんだけどね。


それでも一番困っている人が出てくるわけじゃなくて、結構それを意識している人が対応しているから、傍目には困っている人には見えないだろうね。

そこが困っていることなんだけれどさ。

ま・・・一度は赦せるかなって思ったけど、やめた!っていう選択肢ももつことにして、一度このステージからは下りようと思う。

苦しすぎるんだもん。泣


明日は、わたげのオンリーワン初ライブだから、練習に励むことにしよう。そしたら、少し気がおさまるかもしれない。

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 2002年から始まった心の快復作業でできるようになった「自分のために流す涙」。

これでもか・・・ってくらい泣いたけれど、この1年間はいっぱいあったなぁ。。。

きっとピアノを始めたら、いろんなものの蓋が開くって怖かった。

それには母の思いや、私の夢、父のしたこと、いろいろ絡まっていて、自分の家にピアノを置かない選択肢を一度は取ったからだった。

私が使っていたアップライトは、今どこかの国でピアノとして使われていると思う。調律師さんが、ピアノとして生き返らせてだれかに使ってもらいましょうって、言ってくれたからそれが可能になった。

私の所にあっても、多分弾かないし、ピアノじゃなくて本の置き場になっていたしね。

ピアノがないころ、保育園のピアノを借りに毎日通って、冬は手が冷たくなるので、湯たんぽを背負って練習に行っていた。

独りで・・・。


4年生までは、弟の保育園のお迎えも兼ねていて、レッスンの日は私が迎えに行くはずじゃないのに、「遅いじゃない」って保育士さんに怒られてしまったり。




子どもが子どもを連れて道路を歩くと、自分の危険を察知できなくなるって、虐待関係の本に書いてあったけれど、まさしくその通りで・・・・。

私はよく転ぶし、自転車にも何度もはねられているし。
自分で起こす事故も多い。(笑)

トロトロ運転だから、大きな事故にはならないけれど、注意力が散漫になるんだね。

できたら運転は避けたいところだけどね・・・・。
そうもいかないっし。




さて、母からのメッセージを受け取った私は「赦し」の世界に入りましたが、それを拒む人も内面にはいて、葛藤していました。
この3日間、本当にどれだけ出るの?ってくらい涙涙涙。。。

なんで泣いているのかすらわからないくらいで、午前中はそれに没頭し・・・。

疲れました。はい。


それでもしなければならないことの時間になると、いつもの私に戻るので便利と言えば便利なのかなぁ。

いいことも、悪いことも「いのち」あってのこと・・・。
それに感謝かな。

そう感じられる自分で良かったな。

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 朝、やっと涙が治まったかな。(笑)

昨日の映画は2本。
一つは深層心理世界の話で、渡辺兼だっけ。。。でていたような。

けど、寝ちゃったんだわ。(笑)多分少しだと思うけれど。

英語を聴き取ろうとしていて。笑っちゃった。
もうひとつは「孤高のメス」

生体肝移植が中心になるんだけれど、まだ脳死の整備が進んでいない時に、目の前にいる二つの命を結びつけるという中身で、なんだか自分にも、似ているし、タッカにも似ているような・・・・(笑)


新しいことを始めるのには、山やら谷やらあって・・・・。
いろんなものにぶつかっていくけれど、それが浸透して、広がっていくと感じた時の瞬間は何とも言い難い。

もちろん反論もされるのだけれど、チャンスがあってそれを見逃すのは惜しい。(笑)


赦そうとするとね、別の人が「あんなこと」「こんなこと」って記憶を出してくる。そして、その時の気持ち悪さや、感触は体が覚えている。

例えば・・・・。

まーさんが生まれた時のこと。

お産扱いにきたんだれど、ほぼ一カ月一緒に寝起きをしただけで、なにもしないで、毎日美術館や、公園に散歩に出かけ、スナッフルズのチーズケーキをほおばり、夫の作るグラタンを今か、今かと心待ちにして椅子に座っていた。

何しに来たのかな?ってくらいだったけれど、まぁ・・・喧嘩にはならなかったから、好きなようにって。
夫はかなりイライラしていた。(笑)

そんな状態でも、親戚には「お産扱いにいった」という自分の行動の見せびらかしになっていた。

その後の小包には、首の取れた人形とか、足の取れた人形とか「いやがらせか?」と思うようなものも、入ってきて、「本当にこの人大丈夫?」と思ったけれど、関わるのが嫌だったから、なにも言わなかった。

けど、呪いのような怨念みたいで嫌だった。

この話を先日「星」(はな)という曲を聴いた時に、タッカに話したら、「愛だね」と言いながら、食べかけのご飯ですよ、とかジャムのことは苦笑していた。

首の取れた人形はどうよ?って、聴くと「あ…ここに隙間があるわ、人形があるけど、ちょっと大きいわね、じゃ。首を取っていれようかしら?」かもしれないよ・・・と、演技力満点で・・・・・。


いつもなら、「ふざけるな!」って怒りたいところだけど、「ああ・・・新聞紙のかわりかぁ・・」なんて、ありあえるのかもしれないな・・・って気になった。


そういう年代の人とか、なんでも「送ってやった」「作ってやった」って思う人って、箱の中の空間が許せないのかもしれないね・・・と聴くと「ふうん」と・・・・・・。


私は、「なんか恨みでもあるの?」って首の取れた人形には反応した。しかもまーさんが生まれたばっかりだったし・・・。気持ち悪かったよ・・・・。

そう伝えたら、「それも思うかも?」と、いつもは、諭される方に話が行くのだけれど、共感してもらって、私は物やお金よりも、自分を認めてもらえたらそれでよかったんだよね・・・・と。

けど彼女は、言葉にはだせないから、いつも物を送りつけてきて、「感謝せよ」と私を支配しようとしていた。

でも、見たくないものまで入っていて、それには感謝より、「いらない」気持ちが高まっていく。

断っても、断っても、毎回何が欲しいか?という電話がかかってくるし、その短い会話すら苦痛だった。


つい油断して、その辺のおばちゃんモードになってしまう事もあって、人の陰口にどうちょうしていまう私も時々いるけれど、基本それは好きじゃない。




昨日の映画をみて思ったのは「いのち」がそこにあって、心も見えないけれどそこにあって、両方が健康じゃないと、、人は生きられないってこと。

私は自分以外の人に分かれてしまったけれど、それぞれにも心があって、痛みも受けてきた。

夫は、四千恵と、五千恵、六千恵の区別がつかないらしいけれど、まーさんはそれがわかる。
四千恵は普段外で動いている人だけれど、家にいて泣いているのは三千恵。
家の中では、幼い年齢の人が泣いたり、慰め合ったりしているし、外では四千恵さんを中心に、
助け合っている。

それが現状の私。


母はしつこいくらい、私を指導しようと必死だったけれど、私は今風でいうと「うざい」と感じていたし、「なにとんちんかんなこと言ってんだろう」だったので、ハイハイと電話にでては、さっさと切り、顔を見せにいって、買い物をしてくるのも、2時間が限度だった。

それでもまーさんが生まれてからは、10年間は家族で「おばあちゃん」の役をしてもらう為に、出かけた。

う~~吐き気がしてきたよん。


あんなこんないろいろあるわけだけど、赦そうかな?って思っただけでも「私、えらい」って思う事にする。


今以上に受け入れるのは、少し自分に取ってよい方には進まない感じがするので、一度、また思い出の箱にしまいます。

マジ…苦しい。

けど、もういいよ。って自分を解放したい。



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