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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧

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 昨日からテンプレートを変えたくて、必死になっていますが、自分のパソコンでGoogleを利用しているんだけれど、他のエクスプローラーなどなどでは、その変えたテンプレートが反映されているのに。。。。

なんで??

コスモスがすきなのは小さいkasumiだからそれはそれでいいんだけれども、プレビューで視るとできるのに、実際表示するとできてないし・・・・。

なので、今使い勝手のよいGoogleじゃないところから、パスワードをいれて、記事を書いているのです。(笑)


今日は診察日で脳波もとって、改善されているらしいことを教えてもらいました。

疲れるとやっぱり脳疲労を起こして、発作のような感じになるので体も疲れるとDrは判断していますが、実はもらっている薬の中で、食前に飲む漢方をほとんど飲んでおりません。あはは


寝る前の同じ効果の薬は、のんだ方が眠りに入りやすいので飲んでるけど・・・・。

すこし真面目に薬を飲むとしようかな。寒くなるしね・・・。(笑)


血行が良くないので、今時期が一番大変で、つらいんですよね。


早く雪になってしまうと、全体が暖房を入れたりしてくれるので、過ごしやすいけれども・・・・・。

まぁ・・人間体を壊すことはあまりしない方がお得感があっていいですよ・・・の見本みたいな感じの人間かな。


まぁ。。。

それも必然で今も必然だったみたいなので、最近朝割と早く目覚めるので、頑張って起きて、弁当を作っています。

まだ、全てが手作りにはなっていないのだけれど、それでもまーさんはお弁当を持っていくとニコニコしていて、めんこいし、「ママ~お弁当ちゅくって~~」の声も聞こえてきたので、もうそれもあと一年半しかできないんだしと、思って作ろうと思います。


体がなれるまで、少し大変だけれどもね。(笑)

朝弱いので。

昔は目覚ましがいらないくらいきっちり、起きていた私だけれど、一度休むと、ダラダラ・・・・(笑)

何もかもしたくない!って思う私もいるし、しっかりしろ!みたいな人もいるから、しんどいわ~~~。


それでもDrは、いい表情で「快復してきている」というので、信じてみようか(笑)

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 悲しんでいる あなたに 届けたい

ほんの少しだけ 顔をあげたら  僕が

ずっと君のために 歌い続ける

ホンの 少しの笑顔  僕に伝えてよ




迷子になってる心

ちゃんと探しに 行こう

そして 歩き出そう  

自分の力で   信じよう  自分を



未来を見つめて   夢を見つけて


自分の力で     手に取ろう

できるよ   きっと   忘れないで 

    




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 去年も参加して、脳のしくみについてなるほどなぁ。。。と思う事が多かった。

今年も、開催することにあたり、聴こえない人への配慮があり、2人の参加者があった。

二人とも、長く活動を共にしてきた人たち。

先週チラシをもらい、配って歩き、メールで参加を呼び掛けた。

聴こえない人にとっても、脳梗塞とかは聴こえる人とおなじように起きる可能性があるから。

ただ、隣で寝ている家族のいびきの音には気がつけないし、早期発見が無理な時もありうる。

いろんな新しい事がわかるたびに思うけれど、おんなじ国に生まれて来ても、情報に差があるんだということ。

またしても、置いてきぼりになっていくんだという事実。

けれど、今回通訳者が立つことで気づきがある医療関係者はいるだろう。
けれど、函館市内の病院で即座に手話がわかる関係者は皆無。


20年前に私が職業病で倒れた時に、通訳者がいなくなり、聴こえない世界では「無医村」と同じになった時と、そう変わらないのかもしれない。


今日は、障がいがあっても、なくても安心して住める終の棲家を作ろうと活動しているAさんの横で、メモを取った。

資料にかけるだけの情報を書いて渡した。

私達聴こえる人間は聞きながらメモを取る。
大切なことは記録する。

でも、彼らはそれができない。

理事会の時に、「俺が行ってもいいのか?」と聞くのでもちろん。私も行くからと誘った。

知りたいことがいっぱいだろう。
聞きたいこともいっぱいあるだろう。


通訳付きって書いていないとそこは門が閉じているのと同じなのだ。

なんだろう?と思っても、そこには何があるのかわからない。

いつまでたっても戦時中と同じだと彼らは笑うが、本当なら笑いごとではない。

聴こえる人が楽しめて、聴こえない人が楽しめないっておかしいでしょ。


見えるんだからしあわせか?

見えない人よりましでしょ?とかいう人も多いけれど、孤独って会話する相手がいないって淋しいよね。

見てわからない障がいの重さはいつになったらわかる国になるんだろうか?


通訳者の数が増えないのはしんどいからだ。

身につけるまでの期間と、その報酬が割にあわないし、無理すると体が壊れる。

10年経ってまだひよこ。

一人前になるまでには、何年待てば聴こえない人が楽しい世界がやってくるんだろう・・・と久しぶりに考えた日でした。


高次脳機能障害の当事者でDrの山田規畝子さんのお話は深かった。
そして彼女も息子がいるから「生きる」って思うと言っていた。



そして、偶然かなその山田さんが脳の快復に使って来た時間と、私が心の快復に使って来た時間が同じだった。去年手にした本は難しくて半分しか読んでいない。(笑)

なので、言葉を掛けたくて本を買い、サインをしてくれるという事だったので並んだ。

そして、「生きて!」と言葉を書いてもらった。

当事者ですか?と聞かれたので、外傷はないけれど、虐待の後遺症みたいなものがたくさんあって脳の認知の回路が歪んでいるみたいなんですと、話すと「今も死にたいの?」と聞かれた。

「先生と同じく子どもがいるので、今は考えないけれど苦しい時があります」と答えたら、「仲間やね」と手をだしてくれて握手した。

「連絡できる方法ある?」とさらに聞かれたので、名刺を渡した。
自分も、HP探してメールしますと、答えていた。

神経心理学という言葉で説明されていたことがとても興味がある。

連絡が取れて、また話せるといいなと思う人だった。

脳の仕組みについて、聴ける人ってそんなにいないだろうし、いまさらっと、本を読んだら、飲んでる薬は同じだった。

まじめに虐待を受けた人のための治療施設作ってくれないかな?


子どもだから、親が頑張ってくれるならできるかもしれないが、その親が不適切な扱いをするんだから、どうにもできないんだろうか?


またまた、こどもも置いてきぼり。

声なき声はどこにも届かないのかな?



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よろこびにつながり

ただそれだけが。あればしあわせ・・・・かもね?
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 家族にだけは、聞いてもらいたいと、大学から帰ってきた私は、歌いながら弾けるように練習をしていました。

まーさんはテストが終わり、反省もしつつ、友人宅へ遊びに行っていました。

私はなんとかフルコーラスで録音がしたいなぁ。。。と何度か挑戦したけれど必ずトチル場所があって(笑)
う~~~・・。


それでもまーさんが帰ってきたので「かあちゃん、唄つくったさ。聞いてくれる?」とお願いし聞いてもらいました。

終わって振り返ると滝涙のまーさんが・・・。

彼女は私のつらさも、引き受けてくれるので、かわいそうなくらい泣いて、泣いて・・・。

かあちゃん、神様がまーにあの人の所に行っておいでっていったのは、かあちゃんが死んじゃうから、そうじゃないよって教えておいでって。

そう言ってたんだね。

まーは、かあちゃんが死なないようにって、生まれてきたんだね。

ライオンのように二人で抱き合って泣いて、ひと時を過ごし、そして単身赴任の夫に(はげ)にも聞かせなければ・・・と電話をし、今度は3人でライオン泣きをして、あの時こうだった、ああだった。苦しかったけど、かあちゃん良かったね・・・の繰り返しで、幸せ者でした。

過去はいまのためにあると、よくりぼんの高島さんが気持ちのコントロールが出来なくなった私に悟りを開きますが、私はいままで過去も、今も、未来もいらないと思っていたので「なにそれ?」みたいで話を聞いていました。(ごめんなさい)


・・・というか、理屈はわかるんだけれど、なんのために??と思う方が早くて拒否していました。

そして、一方では過去にこだわるなとも言われるので、??なのでした。


彼がいいたいのは、過去の出来事一つ一つをつまみあげないで全体を見たらいいと思うよという事をいっているのかもしれないのだれど、過去のことが鮮明に目の前に現れるし、記憶もまばらだし、全体で・・・って??

どこか全体なの??と迷う。(笑)

そして気まじめなので分からないと真剣に頭をつかって考える。

そうすると、考えすぎないで・・・と言われてしまう。

けれど、考えないともやもやのまま・・・ですっきりしない。(笑)


どうすりゃいいんだ!!とここ何日かというか、この半年くらいのスパンで思っていた事です。


私は両親を特別恨んでいるわけではないし、憎んでもいませんが、今までは「赦さなくてもいい」という選択肢を使っていました。
事実は事実として、でも、母はもう亡くなりましたし、父は大腸がんを抱え認知症だと聞いています。

たぶん、私が彼に会いたいくないように、彼も私には会いたくないでしょう。

私に会うときっと、言いたくないことも言ってしまうでしょう。

私は、自分が快復するための治療の中で彼の生きにくさも発見しました。

もしかしたら彼も多重人格かもしれないと聞いた時には、合点が行くのです。

だから、「あなたも大変だったね」という気持ちと、「だからといって・・・」という気持ちの両方を持ち合わせています。


残り少ない人生だから、彼の長女の私はいないことにしておけば、きっと嫌な事を思い出さなくていいんじゃないのかな?と、私は思うのです。
だから、会いにはいかないのです。

たぶんお葬式にも行きません。
母が、何かの瞬間で「ごめんね」と言ってくれたようにいつか父もそんな合図をおくってくれるかもしれないので、それを楽しみに待ちます。

素知らぬ顔をして、「いい人だった」とは、きっと言えないし(笑)

けれど、これで連鎖が切れていると、苦しかったけれど、言えるような気持になりました。

この歌には2番があります。


さわりは、


ねぇ。。まな  知ってるよ

あなたの つらい気持ち

ねぇ、まな  知ってるよ

あなたの優しさ ありがとう・・・。  と。


これも、まーさん号泣でしたけれど。






過去におきたことを愛することはできないけれど、それと向き合って必死に生きてきた自分は愛せるかなと、感覚的に、思った今朝の私でした。
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