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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

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 今週から始まる、ユニバーサル上映のシナリオをせっせと、打ちこんでいます。

今回は、他の部門では、シナリオを作る数が少なく、自分たちがする?って気がついたのが遅かったので、今頃、毎日のようにパソコンで・・・・。

だから、整理して文章を考えるのが憂鬱になったり、逃げたくなって、別なことをしてたり。

そんなことも言ってられないのに、途中でおもしろくなって、写真をあげてみたり。


こんなに逃避できる自分、偉いかも?

こういう事を集中してするから、腕に負担がかかるってわかっているのに、動き始めるのが遅い。

つまりは追い込むのが好き。(笑)


本を見ながらより、誰かに読んでももらった方が早いんだけれど、・・・。


・・・ってことで、午前中のノルマを果たして。


それから少し映画でもみるかな。



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空からの涙

空からの涙が なければ 

虹はでない

涙って悲しいだけじゃないよね

うれしい時も  楽しい時も

涙ってあるよね

今日は どんな気持ち? ねぇ。 空さん・・・・。


私ね、虹のふもとに行けば、そこは暖かい気がしていた

それはきっと神様から  教えてもらった 暖かい気持ち

ポケットの中の虹に出会って、1年が過ぎて、自分のポケットからも「虹」をだしてみようかな?と思った。

昨日流れてきた涙は、うれしかったのかな。

悲しい涙じゃなかった。

いっぱい泣いて過ごして来たけど、もしかしたら心の中には「虹」でいっぱいかもしれないね。

自分からは見えないけれど、他の人には見えるのかもしれないね。

なんとなく、根拠もなく そう思った朝でした。

なので、自分のために花束を

小さい 小さい花束をプレゼントしてみました。

周りをかすみ草でいっぱいにして、飾ってあります。

こんな感じで、私はたくさんのkasumiに守られて、囲まれて生きてきたのかも?と、

その花束を上から見て感じる事ができました。

だとしたら、線引きはいらないのかもしれません。
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8時くらいには終わると思われるので帰りにピアノに触ってこよう。

トライしている分の半分は、だいたい伴奏が出来たの。
あと。。。

5つ。

きっと、これが出来たら、私すごい!って、思うはず。(笑)


行ってきます。(*^^)v


ただいまです。

ピアノ触ってきました。

吹奏楽団のみなさんは今日、札幌に出かけています。
明日全道大会で、全国に行けるかどうか決まります。

団長に電話をかけて「楽しんでね」と話をしたら、みんな明日が来るのをわくわくしていますとのこと。

それって、自分のできることはすべてしたよって意味だと思って「すごいね。みんなに伝えて、いつもうまくなってきた~~~って思っていたよ」って。

そんな会話をして電話を切った。

4年生にとっては最後の演奏になるかもしれない一瞬。

聞きにいけないのが残念だけれど、応援してるよ(*^^)v



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このブログに画像を送ると小さくなるのは、なんで??とわからない(笑)

基本写真は撮るもの撮られるものも苦手で、また、それを管理するのも苦手。

私の心の中と同じでグチャグチャしてる。 ずっとずっと前から、絵を描きたいのって気持ちがちょこってあって、準備は万端。(笑)

それから4年くらい放置されていた小さなスケッチブックと、パステル、色えんぴつ。 向日葵と、山とこのハートを書いて、また棚の上だった。 昨日、ある本をさがしていたら、発見。

人格の歴史をキルトにしてみようか、ってことで、タイトルも変えてみたんだけどねぇ。。。 本当の私のこころの色はこんなにきれいなピンクじゃないと思うけど、ぐじゃぐじゃの方は結構こんな感じだろうと思う。


すでに縫ってあるので、そういう発想って持っていた人がどこかにいたのかもしれないね。

2学期になってから、修学旅行の関係で、学校に行けない気持ちの方が多くなっている娘。 1週間休ませたので、「そろそろ・・」と荒療治。

適当に卒業するか、やめて高校認定にするか、進学をあきらめるか、覚悟を決めなさいといつもはゆるゆるの私だけれど、少し怒った。

ポロポロ泣くので、なんで泣くわけ?と聞くと、「かーちゃん。どうして怒っているの?」

私は、自分の決めたことにしっかり責任をもたないでずるずるしている最近の君にイライラする。 もう、学校で自分の居場所作れる力は十分あるんだから、自分で作りなさい、逃げていたって解決しないよ。

と、普段あまりしない発破をかけた。 高校で、小学校の時に同じクラスだった人には、「まーさんって、みんなに好かれて楽しい人だったよね」と言われるらしいので、自分で思っているよりも嫌われていないのではないかと、私は思い始めたのだ。

・・・というのも、昨日も午後から出勤していたけど、その間、「まー大丈夫?」というメールが来ていた。

聞くところによると、元友人がまーに話しかけると「その人知ってるの?」と現友人が聴くらしい。

それが気になって話さないようにしているというのだ。 けれど、怪我をした時も、荷物をもってくれたり、一人でファイルを整理しているクラスメイトを見かけるとそれが誰であっても手伝ったりしているのだ。

だから、基本嫌われる要素なんてないんだ!と。 考えすぎて、乖離を起こしている学校生活。

続けるのに意味はあるのかな。 やめていいと言ってるのに、それは首を横に振る。 けど、「具合悪くなったら、早退していい?」と遅刻なのに早退も考えながら、結構複雑な気持ちで見送った。

だいたい、嫌われているのに、クラス委員長をまかせるんだろうか。

興味なし?そこまで人に関心がないのだろうか?
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いるかで放送されて1か月が経ったので公開します。(笑)


放送では読まれていない部分もあるのだけれど、私はこう書いたのってことで、原文を載せます。


語ったり、書いたりすると長くなるのが私なのですが、今回は意外とうまく短くかけたなと自分を褒めたいです。

自分白書

りぼんのタッカから、「次は、michieさんどう?」と声をかけられた時に、「来た~~!」と早かれ遅かれ考えているだろうな・・・と思っていたので、私の答えは「短く書けるかな?」でした。(笑)

私の育った家はかなりの機能不全家庭といって、今でいう「児童虐待」がありました。


一つには、毎日のように起こる
DV。怒鳴り声のない日は無い位の夫婦喧嘩をみて、そして母をかばおうとする私も、毎日のように怒鳴られ、殴られ、なじられ育ちました。


それから、兄弟間の比較である、「お前はなにもできない」と言う言葉の暴力、これは父からも母からもで、3つ違いの弟の世話をしつつ、失敗するとなんでも私の責任でした。


そして、私には家族でご飯を楽しく食べるという記憶がありません。


どうしていたかすらも覚えていません。


そして、大概の人はあり得ないという、実父からの性虐待。


他人からの性暴力を受け、子どもには耐えがたい暴力の数々を経験していくうちに、今でいう解離性人格障害、つまり多重人格になりました。


楽しいはずの中高校生の記憶がまったくないとわかったのは43歳の時で、私が受けた厳しいしつけだと思っていたのは実は「虐待」だったのだとわかった時です。


私は、何度も何度も「死にたい」「消えたい」と思い、それを試みていたのですが、何度も失敗をして、今50歳です。


家庭では言葉のない会話のない毎日でしたから、私は人との会話にとても神経を使います。


手話は日本語以上に見につきました。いろんな気持ちを表現したり、素直に話せるのは初めて手話をみて、本格的に学び始めた20歳を過ぎてから、初めて気持ちを表現する自由を与えられたと思います。


ろう者から褒められ、励まされ大切に通訳者として育てなおしてもらったのかなと思います。


私は偶然、日本の中で児童虐待に関わるセラピストとしては、とても素敵な人と二人に関わってもらう事が出来ました。


そして、「死なないでいきてきたのが不思議なくらい大変な体験をしている」とか、「お父さんも多重人格かもしれないね」と言われて、私の生きにくさは、必然だったんだと、今は思っています。



人間関係の構築の難しさは、今でも変わりませんが、小さい自分の気持ちに寄り添うことを体得したことで、それはずいぶんと変化しました。

 

私が思うのは、一番大切にされなければならない時期に、「子どもらしく育たない」ということは、本当に辛いということと、子育てが辛いと感じているならば、助けを求めてほしいと願っています。



それは恥ずかしい事でもなんでもなく、当り前のことだと思うのです。



思い通りに子どもが育つはずはないし、親と子どもは別な人格なのだから、一人の人として尊重されて欲しいのです。


私は性暴力を受けたことによって、「性」への認知がかなり歪んでいます。虐待の事を学び始めた時に、「性をともなわない付き合いがあってもよい」と知った時は本当に唖然とし、どれだけ自分が自分自身を大切にしてこなかったかを振り返った時に、が~んと音がするくらい混乱した記憶があります。



私の場合、今では私を困らせる人格はいませんが、「辛くない、たいしたことない」と思っていた若い時には、頻繁に人格交代があって、人間関係を見事にぶち壊して、自分に戻った時には、なにがなんだかわからないけれど、嫌われたという事実だけが残り、自分に自信がもてなくなり、自尊感情がとても低い人間になって、激うつも経験しました。


それで仕事もやめるきっかけになりましたが、死にたいと思う私と、生きたいと思う私の葛藤のおかげで今があります。



大切にされたろう者のおかげで手話を教える仕事とも出逢い、ミュージックサインを誕生させ、そのつながりで、夢だったピアノを弾くこと、歌うこと、そして何よりも揺るがない仲間を与えられました。


そして、もう少しだけ生きていきたいと願う自分にも出会いました。


子どものときには出会えなかった助けてくれる仲間、娘が生まれた事で与えられなかった無償の愛、人との境界線、人と人は助け合って生きていくのだと、このうつの発症から気づかされた虐待の事実と「あなたのままでいいのよ」という言葉でどんどん変化していく自分。


その自分に出会えたのは私の知っている限り6人の私のおかげかもしれません。


何度も何度も死のうとしそのたびに、「生きろ」と命をつなげてくれた6人に、感謝かな。



私がすべての人に伝えたい言葉は「あなたは大切な人ですよ」です。


不必要な人は存在しません。

消えてしまってよい人はこの世にはいないと思います。もし、今「消えたい」と思っている人がいたらすぐ走って行って、「あなたは大切な人ですよ」と声をかけたいです。


それが身体的、精神的、ネグレクト、性虐待という虐待の分類の中ですべてを受けて、生きてきた私の想いと、その連鎖を切りたいと願い私の目指す「暖かい家庭」を娘に提供するために実行してることの一つです。



「あなたは大切な人です」



この言葉がタッカを通して、私の代わりに「わたげ」のようにふわ~~と多くの人に届きますように。

(ラジオでは聴こえない人には届かないけれど、私は聴こえない人たちが大好き~~~♪)





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