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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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生い立ち

1985年の4月・・・
私たち夫婦は、ある障害者に対するボランティアで、知り合い結婚した。

けれども私には、夫には絶対いえない、いや他の人にも言ってはいけないことがあ

った。「近親相姦」・・・今では近親かんというらしい。

それを聞いたときは、そのとおり!!と思った。相姦ではないのだ。

 10歳からはじまったそれは、ただ怖くて、逃げることもできず、黙って時間がたつ

のを待つだけだった。

父が怖い。嫌い。

父の子である自分も嫌い。できることならば、もう会いたくない。

早くこの世から消えて欲しいと願ったりもするが、皮肉にも長生きできる家系らし

い。(爆)

 

 


でも、娘が生まれたときに、私の感情だけで孫と祖父の関係を絶ってしまってい

いものなのか・・・?

 孫には、やさしい。普通のおじいちゃんもそうらしいが、孫にはあまい。

私には、してくれたことのない遊びを娘としている。

しかし、一緒にいて耐えられる時間は、長くても2時間。夫がいなければれ

もできない。

それでも、毎年2回会いに出かける。

普通のおじいちゃんのように、孫が来るのを待ってるのがわかるから・・・・・・。

2002年の春、だったと思う。

育て直しをしているカウンセラーをとりあげた、TVの番組があった。

それを見ているうちに、『私も育て直してもらいたいな・・・』と呟いていた。

夫が「なんで?」という顔をしている。

結婚して18年目になっていた。過去に1度だけ、言おうと思って、勇気を振り絞ろう

としたことがあった。

 でも、その時は娘もまだ生まれていなくて、そのことを知ったら、夫が殴りにいって

しまうのではないかと心配だった。

心配なのは父ではなく、夫のほうだった。あの父相手のことだから、証拠もないし、

どうせ私が変なんだとか、アホなんだとか言いくるめられるに決まっている。そのことで、夫が傷つくのが怖かった。

夫は、一度落ち込むとなかなか立ち上がれない。私のことで、必要のないエネルギ

ーを使ってもらいたくなかった。


それから、約10年。どうしてか、言えた。

父との関係、父にされたこと。なぜ16歳はなれている妹を自分が20歳の時にひき

とったのか。

妹には私と同じ経験はさせたくない。

ただそれだけだった・・・・・。そして、半年たったころ、子どもの虐待のための特別

な研修が、すんでいる街で開かれた。

自分も参加したかったが、夫に譲った。それが森田ゆりさんとの出会いだ。

その研修から帰ってきた夫は、目にいっぱい涙をためて、「生きていてくれて、あり

がとう。」と、私を抱きしめるのだ。

何のことかわからず?????の私は、その力がゆるむのを待った。

彼が言うには、研修で虐待を受けてきた子どもがどんなに心に傷をもっているの

か、どんなに苦しい想いをしながら、生き続けているのかを、勉強してきたらしい。

 

さっそく、習ってきた、「○○さん、あなたは大切な人です。」をしようというのであ

る。

私は自分が大切な人だと思ったこともないし、そういわれたこともない。

なんだか照れくさい。でも、あまりにも一生懸命勧めるので、仕方なく付き合ってあげた。

呪文のように「kasumiさん、貴女は大切な人です。」

「はい、私は大切な人です。」

これを繰り返すのだ。

照れくさくて、どうしようもなかったのに、それが終わった時に、身体中に血が流れ

ていくのを感じた。

私自身は、10歳の時に始まったお母さんの代わり、父が私の身体に触ること、妹

を育てること、それらのことが、そんなに大変なことだとは、思っていなかった。

 

「妹さんを育てて、大変だったでしょう。」といわれる度に、

「そんなことは、ありません。そういう境遇になったら、きっとみなさんがすることです

から・・・」と、きっぱりと強く否定してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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