虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2025/04/20 (Sun)
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- 2010/08/20 (Fri)
日々の練習の中で思う事。
実は、私はタッカの歌を「うまい!」と思ったことはありませんでした。(笑)
というのは、初めて紹介された時にも島さんから「michieさん、素敵な歌を歌う人がいるんですよ」とりぼんを紹介されて、「島さんがいうんだから、きっと心に響くんだろう、当然・・・」みたいな気持で「初めまして」と出会ったはず。
はず・・・というのは、DPIでも見かけていたし、りぼんのタッカとして確認できたのは、ちょっとタイムラグがあるのでよく覚えていないんですね、私・・・・。
なみちゃんの印象は覚えているんだけれど・・・・。(笑)
もちろん、タッカが難聴であることを本人から知らせてもらったのは、もっと後になるのだけれど、ある会議の時に、小さな補聴器を手のひらに乗せて、「大事な話しの時は使ってるんだ」と見せてくれて、私も、いろんな補聴器はみたことはたくさんあるけれど、「へぇ・・・こんなに小さい補聴器があるんだ。左右がわかる様に色分けされてるんだね、私はピアスをよく片方なくすから、私だったらもっと大きくないと失くしちゃうなぁ。。。」なんてとんちんかんな会話をしたのです。
・・・・っていうか、聴こえない人との会話ってこんな感じですね。
私は相手に障がいがあっても、なくても、会話の仕方を特に変える習慣がないので、それこそ素の私のままでした。
それ以前から、タッカの様子はみていて「この人聴こえていないことがあるのではないか?」と疑っていましたが、性格的に「天然??」と思うような行動もあったし、あまりあって間もない人に、「聴こえてないでしょ?」とはさすがの私も聞けませんでしたから、(笑)タッカからのカミングアウトは、「やっぱり・・・」というのと、「私に話してくれてありがとう」という気持ちでした。
タッカの言う「言葉としては、入らないけれど音としては入る」という意味も、よくわかるしほかの聴こえない人達も音楽好きはたくさんいるので、「難聴なのに歌える」ということではなく、私の中では「難聴で音楽好きな人」というイメージかな。
それにしても、歌う声が大きいのは、自分の耳に届くにはあれくらい大きくないと反響とか雑音とか、いろんな音も入るから、自分の耳で確認するには普通の声では自分には届かないという事なんだろうね。
それが良い意味で、誰にもまけない声量につながっていると思います。
最近、曲作りの中にいるタッカの姿を拝見できる時間も普段の練習の中で、あってタッカの頭の中の♪がどんなふうに旋律になって行くのか、それを垣間見たり、その音を取って、ピアノのイメージを作ったりしています。
必ずしも一緒に演奏するなんてことは決まっていないし、私は私の音楽の感性を取り戻すための訓練にもなるので、最近の新しい曲のメロディの音を探すのは私がしています。
なんでかというと、頭の中にあって、楽譜にはならないのです。(正しくはできない)
わりと感性で音楽を作っている人って楽譜を読んだり書いたりしないんですよね。
音を音楽に変えるとか作る力と楽譜を使うという能力は別物で、私は♪は読めるけれどそれを表現する力は弱いです。
私は、メロディが理解できて、一度楽譜に落とすと、このコードがあうかも?と言う事はたいだい分かるのですが、変則的にピアノで合うと思っていても、ギターだと変?と言う事があったり、その逆もあります。
だから、結果ある程度拾った音と、タッカの頭の中とのすり合わせができて初めて、では練習に入りますか・・・というのが最近の様子です。
そんな感じでいつもタッカの歌を聞いているので、改めて聴くチャンスがあまりないということと、練習しているタッカを知っているので、本番では、「力が抜けてよかったね」とか、「意外なところで裏返ったね」とかそんなスタッフ的な感想しかもっていなかったのです。(笑)
ところが、最近練習の合間に、仕事をしながらその練習のための音源を聴いていました。
聞くではなく、聴くになりながら、学生からの手紙を読んでいたのです。
すると、なんと!!涙が・・・でそうになり、びっくり。(笑)
そして、しばしぼ~~~っと何も考えずに、歌に聴き入りました。
タッカ、歌うまいわ!って初めて思ったのです。(笑)
うまくなったわ!なのかな。(大爆笑)
昨日それを伝えたら、倒れそうになってましたが・・・・。(笑)
私は練習の時の想いや、届けたい!という想いをとても強く感じるし、たぶん誰よりも近い距離でそれを知っていてそれを応援しているつもり。
(演奏では邪魔にしているかもしれないけど、いいよっていうし。もう少し弾けるようになるんだし・・・と、)
そして、「難聴」を表に出すようになってから、ほんの少しだけど、ゆとりができて、島さんが求めている「色気」とか、「艶」とかが出て来てる感じがする。
だから、もっと自分を褒めていいと思っているのだけれど、彼は「まだまだ」と言う言葉を使う。
私がそれを聞くとどこまで自分を追い詰めるのが好きなんだろうと、思うのですが・・・・。
けど、最近マイナスのイメージのまだまだではなくて、「まだまだ行ける」と言う意味なんだね・・・とわかるようになってきました。
けど、私は変化してきた自分をもっと褒めたらいいのになぁ・・・と時々思うのです。
だって、タッカは歌がうまくて当たり前と思っていた私が「お!うまいわ」と涙がでそうになったのだから。(笑)
そして、いままでは「邪魔をしない」とか、思って遠慮気味に伴奏をと思っていたのだけれど今少しだけ私にも「音楽の神様」が君臨してきていて、思いっきり弾きたいって気持ちになっていて、「ここは弾かないで」って言われたら、やめるみたいに伴奏を作っています。
難聴のタッカをうまくサポートできる伴奏を作れることが目下の私のしたいこと。
なんちゃって、ピアノの上達をサポートされているのは、わ・た・し。
人前で演奏するチャンスなんて、そうそうあるものではありませんから。。。
こういうのを相乗効果というのです。
そして、支援する人の醍醐味でもあります。(*^^)v
どっちも支援者であり、支援される人でもある・・・ってことで。

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というのは、初めて紹介された時にも島さんから「michieさん、素敵な歌を歌う人がいるんですよ」とりぼんを紹介されて、「島さんがいうんだから、きっと心に響くんだろう、当然・・・」みたいな気持で「初めまして」と出会ったはず。
はず・・・というのは、DPIでも見かけていたし、りぼんのタッカとして確認できたのは、ちょっとタイムラグがあるのでよく覚えていないんですね、私・・・・。
なみちゃんの印象は覚えているんだけれど・・・・。(笑)
もちろん、タッカが難聴であることを本人から知らせてもらったのは、もっと後になるのだけれど、ある会議の時に、小さな補聴器を手のひらに乗せて、「大事な話しの時は使ってるんだ」と見せてくれて、私も、いろんな補聴器はみたことはたくさんあるけれど、「へぇ・・・こんなに小さい補聴器があるんだ。左右がわかる様に色分けされてるんだね、私はピアスをよく片方なくすから、私だったらもっと大きくないと失くしちゃうなぁ。。。」なんてとんちんかんな会話をしたのです。
・・・・っていうか、聴こえない人との会話ってこんな感じですね。
私は相手に障がいがあっても、なくても、会話の仕方を特に変える習慣がないので、それこそ素の私のままでした。
それ以前から、タッカの様子はみていて「この人聴こえていないことがあるのではないか?」と疑っていましたが、性格的に「天然??」と思うような行動もあったし、あまりあって間もない人に、「聴こえてないでしょ?」とはさすがの私も聞けませんでしたから、(笑)タッカからのカミングアウトは、「やっぱり・・・」というのと、「私に話してくれてありがとう」という気持ちでした。
タッカの言う「言葉としては、入らないけれど音としては入る」という意味も、よくわかるしほかの聴こえない人達も音楽好きはたくさんいるので、「難聴なのに歌える」ということではなく、私の中では「難聴で音楽好きな人」というイメージかな。
それにしても、歌う声が大きいのは、自分の耳に届くにはあれくらい大きくないと反響とか雑音とか、いろんな音も入るから、自分の耳で確認するには普通の声では自分には届かないという事なんだろうね。
それが良い意味で、誰にもまけない声量につながっていると思います。
最近、曲作りの中にいるタッカの姿を拝見できる時間も普段の練習の中で、あってタッカの頭の中の♪がどんなふうに旋律になって行くのか、それを垣間見たり、その音を取って、ピアノのイメージを作ったりしています。
必ずしも一緒に演奏するなんてことは決まっていないし、私は私の音楽の感性を取り戻すための訓練にもなるので、最近の新しい曲のメロディの音を探すのは私がしています。
なんでかというと、頭の中にあって、楽譜にはならないのです。(正しくはできない)
わりと感性で音楽を作っている人って楽譜を読んだり書いたりしないんですよね。
音を音楽に変えるとか作る力と楽譜を使うという能力は別物で、私は♪は読めるけれどそれを表現する力は弱いです。
私は、メロディが理解できて、一度楽譜に落とすと、このコードがあうかも?と言う事はたいだい分かるのですが、変則的にピアノで合うと思っていても、ギターだと変?と言う事があったり、その逆もあります。
だから、結果ある程度拾った音と、タッカの頭の中とのすり合わせができて初めて、では練習に入りますか・・・というのが最近の様子です。
そんな感じでいつもタッカの歌を聞いているので、改めて聴くチャンスがあまりないということと、練習しているタッカを知っているので、本番では、「力が抜けてよかったね」とか、「意外なところで裏返ったね」とかそんなスタッフ的な感想しかもっていなかったのです。(笑)
ところが、最近練習の合間に、仕事をしながらその練習のための音源を聴いていました。
聞くではなく、聴くになりながら、学生からの手紙を読んでいたのです。
すると、なんと!!涙が・・・でそうになり、びっくり。(笑)
そして、しばしぼ~~~っと何も考えずに、歌に聴き入りました。
タッカ、歌うまいわ!って初めて思ったのです。(笑)
うまくなったわ!なのかな。(大爆笑)
昨日それを伝えたら、倒れそうになってましたが・・・・。(笑)
私は練習の時の想いや、届けたい!という想いをとても強く感じるし、たぶん誰よりも近い距離でそれを知っていてそれを応援しているつもり。
(演奏では邪魔にしているかもしれないけど、いいよっていうし。もう少し弾けるようになるんだし・・・と、)
そして、「難聴」を表に出すようになってから、ほんの少しだけど、ゆとりができて、島さんが求めている「色気」とか、「艶」とかが出て来てる感じがする。
だから、もっと自分を褒めていいと思っているのだけれど、彼は「まだまだ」と言う言葉を使う。
私がそれを聞くとどこまで自分を追い詰めるのが好きなんだろうと、思うのですが・・・・。
けど、最近マイナスのイメージのまだまだではなくて、「まだまだ行ける」と言う意味なんだね・・・とわかるようになってきました。
けど、私は変化してきた自分をもっと褒めたらいいのになぁ・・・と時々思うのです。
だって、タッカは歌がうまくて当たり前と思っていた私が「お!うまいわ」と涙がでそうになったのだから。(笑)
そして、いままでは「邪魔をしない」とか、思って遠慮気味に伴奏をと思っていたのだけれど今少しだけ私にも「音楽の神様」が君臨してきていて、思いっきり弾きたいって気持ちになっていて、「ここは弾かないで」って言われたら、やめるみたいに伴奏を作っています。
難聴のタッカをうまくサポートできる伴奏を作れることが目下の私のしたいこと。
なんちゃって、ピアノの上達をサポートされているのは、わ・た・し。
人前で演奏するチャンスなんて、そうそうあるものではありませんから。。。
こういうのを相乗効果というのです。
そして、支援する人の醍醐味でもあります。(*^^)v
どっちも支援者であり、支援される人でもある・・・ってことで。

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