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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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  • 2007/01/23 (Tue)
  • ○kasumi夫、実父の家を訪問(対決から1週間後)

 札幌に行く用事の途中、車で2時間ほどの実父の家をkasumi夫

一人で訪問した。

 出発する時、kasumiは「私は、自分と同じ境遇の子を助けたい。

それと虐待してしまう親も苦しいんだって思うから、その親のケアも

したいって思っているんだってこと、クソオヤジに伝えてきてね。」と

目に涙をためて言っていた。なぜ、心底恨めないのかなと思う反面、

それがkasumiなのだとも思う。

 実父には、改めて現在のkasumiの到達点、活動などを表明するのが

目的だった。 前日、訪問は伝えてあったので、実父は家で待っていた。  

ちょうど昼過ぎに到着したので、実父は「昼はまだなのか?」と言って、

目玉焼きを作ってくれる。目玉焼き2個のまわりには、2センチくらいに

切ったバナナが乱雑に並んでいる。

「牛乳は飲むか?」「ヨーグルトは食べるか?」と次々出してくれる。

  しばらく沈黙が流れたので、「来る途中は雷がなっていました。」と

天気の話から切り出す。  実父は「ここB市は、昔は寒かったが、

最近は暖かくなった。これも温暖化の影響だろうか。」と言う。

 実父は、ある町役場に勤め、課長まで務めた男だったが、

ある不祥事に巻き込まれ定年を待たずに退職、それ以来現在まで、

経営コンサルタント業を自営している。

どのくらい収入があるのか、どのくらい借金があるのかもまったく

不明だが、話はいつも壮大で、「ロシアの開発」とか、「中国のガス」、

「200億の利ざやを稼ぐ」と言った話が長々と飛び交う。

 今回も、B市の天候の話をきっかけに、自分の事業の話になり、

「北海道に20万人のフリーターの若者を連れてきて、そこで事業を

行い、利潤を福祉に活用する」という大規模開発プログラムの夢を

1時間近く語っていた。  

ちょうど1時間が過ぎ、私が時計に目をやっていると、突然話を切り上げ、

「ところでそっちは何の話だ。」と聞くので、kasumiが通っていた

森田ゆりさんの監修の性虐待被害者の証言集『沈黙をやぶって』を

見せ、「この人がkasumiのかかっていたカウンセラー・セラピストの

森田ゆりさんです。」と紹介する。 実父は、本をぱらぱらとめくりながら、

私の顔、目をしっかりと見つめながら、「こういう先生でも、本当に

被害を受けているのか、その人の妄想なのかは、結局わからないだろうな。」

言う。

 私は、今現在に表れている症状や傾向から、過去にあったであろうこと

がほぼ推察できることを説明するが、実父はそれでも繰り返し、「しかし、

中には友だちから聞いた話を、あたかも自分があったことであるように勘

違いすることもあるんだ。あったかどうかは、わからないだろう。」と言う。  

私は、いくぶんのいやみをこめ、「そうですね。過去のことですからね。神

様のビデオテープでもなければわかりませんね。」と言う。そんな話ばかり

していてもらちがあかないので、「kasumiは、自分のような虐待を受ける

子が少しでも減るようにと、今活動している。」、「そんな考えから里親にも

なったんです。」「それに虐待してしまう親も十分に愛をもらっていないこと

が多いので、そんな親の支援もしているのす。」と伝えると、「それはたい

へんごくろうなことだ。」とねぎらいの表情を浮かべる。  こちらが、4ヶ月

間、姉妹を預かったこと。その上の子に性虐待が疑われる様子があった

こと。しかし、結局家にもどることになったことを話すと、「自分の娘にそん

なことをする親なんて信じられない。そんな親は、頭がおかしいんだ。だ

から、そんな家に子どもをもどしてはいけない」と、気の毒そうな顔を浮か

べて語る。  私は、まったく悪びれず、おどおどする様子もなく、堂々とこ

ちらの目を見て語る実父に、一種恐ろしささえ感じ、「この人は、すべてを

忘れてしまったのだろうか?」と一瞬思った。  しかし、先日のkasumiの

電話での突然の指摘には、明らかに動揺を示していたし、忘れているわ

けではないだろうと考え直した。すると、kasumiが言っていた、「離婚する

ときに、家裁の調停で話す内容を、実父が家で練習していた。」ということ

を思い出した。 こちらは、昨日訪問を伝えてあるので、時間はたっぷりあ

った。その間に、『性虐待とは縁もないよい父、娘を心配する父』を演ずる

練習をしたのだろうと合点がいった。kasumiの実父は、2時間15分の訪

問中、それを貫き通した。最後に車に乗るときに、「これからも、そうした

子どもたちを一人でも救うためにkasumiは、がんばりますから。」と伝える

と、「そうか、(性虐待を受けた子の世話とは)やっかいなことに手をつけ

たな。」と、腕を組んでいた。 (この会話は2005年に北海道で虐待防止学

会が開かれたときの事である。

ここからkasumiの考え 夫が出かけていく時に、これ以上彼が傷つかないようにと思う

のと同時に、私が生きて 取り組もうとしている事を理解してもらいたいと

いう気持ちがまだ・・・あったらしく何 だぐみながら夫を見送っている。 夫

は、「子どもってこんなにも親に期待しているんだ。」と身をもってしったと

あとで 教えてくれた。  夫や他人からすると「極悪人」にさえ見える人が

子どもの立場になると「父」という 仮面をかぶっている。  しらばっくれた

り、知識としてあれこれ説教臭く話をする姿は想像できるものだから、 

「もう、この人は人の心を持っていない」と判断した。 そして私も、同じこと

が他人の見の上に起きたとしたら、自分はどう考えるのか?と自分に課

題を渡した。当然怒るし、憤る。娘だったからといって「我慢」しなければな

らないことはないんだ。  娘の役を終わらせたときから、とても楽になっ

た。 誰にも相談できずにいた私をだれも暴力の穴からは救ってくれなか

ったけれど。  大人になって、夫や友人や多くの仲間達にいろいろ支えて

もらった事は、とてもうれし いことだったし、その支えに感謝で着るように

なってきたことも、凄いと思う。 多分、私は親の葬式には行かない。 そ

の理由は、「葬式」をぶち壊さないため。 それが私にできる一番の親孝

行だと思う。 親戚の人は、私を非難するだろう。  それでも、私は私であ

るために、行かない選択をとりたい。 「いい人だったね」とは見送れな

い。  いままで抑えてきた感情がどうあふれ出てくるか計り知れないの

だ。  いつでも怒っているわけではないけれど、ふつふつと沸いて来るも

のは、多分きっかけがあったら、爆発してしまうだろう。 夫は自分が代わ

りに行くと言ってくれているが、その様子を聞くのも腹立たしいかもし れ

ないので、それはその時に考える。 結婚式のように、「花嫁の父」を演じ

られてもね・・・と思うのだ。あなたも子どもの時 に大変だったかもしれな

い、でもそれを私に八つ当たりした事実は消えない。 私の心を壊した事

実は消えない。)夫が出かけていく時に、これ以上彼が傷つかないように

と思うのと同時に、私が生きて取り組もうとしている事を理解してもらいた

いという気持ちがまだ・・・あったらしく何 だぐみながら夫を見送っている。  

夫は、「子どもってこんなにも親に期待しているんだ。」と身をもってしった

とあとで 教えてくれた。夫や他人からすると「極悪人」にさえ見える人が

子どもの立場になると「父」という 仮面をかぶっている。  しらばっくれた

り、知識としてあれこれ説教臭く話をする姿は想像できるものだから、 

「もう、この人は人の心を持っていない」と判断した。  そして私も、同じこ

とが他人の見の上に起きたとしたら、自分はどう考えるのか?と自分に

課題を渡した。当然怒るし、憤る。娘だったからといって「我慢」しなけれ

ばならないことはないんだ。娘の役を終わらせたときから、とても楽になっ

た。誰にも相談できずにいた私をだれも暴力の穴からは救ってくれなかっ

たけれど。  

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