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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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森田ゆりさんとの出会い(1)

 夫が参加した研修の後、幾度となく森田ゆりさんの話しが会話の中に出てきた。

夫は、何か感動すると最低3回は同じことを熱っぽく語る。それも、何度同じことを

話したかということは、覚えてないらしく「3度目ですけど・・・」というと「そうだっけ?」

となる。今回は3回どころの騒ぎではなかった。研修でおきたことの一部始終を語

るのだった。それは私にとって嫌な事ではなかったし、その森田ゆりさんにも、とて

も惹かれた。どんな人なんだろう・・・・・。

「とても気さくな人だから、きっと好きになるよ。」その言葉に背中を押されながら出

かけていった。遠く歩きなれないところで、最寄の駅からずいぶん迷った。住所だ

けでは探しきれず何度も電話してやっとたどり着いた。少しの緊張と時間が過ぎて

しまったので焦せっていた。


本当は、「今以上にクライエントを増やすのは・・・」と、いわれたのだったが、私が住

んでいるところでは、話を聞いてもらえる場所はなかった。「どうしてもということなら

ば」と、無理をきいていただいたのだった。

約1時間半、ざっと自分のことを話した。なぜここにくることになったのか、私自身が

抱えてるものは何か、うつになって激やせしたこと、仕事も辞めて放心状態のまま

であること、生い立ちなど。話をしているうちにどんどん涙があふれてくる。そういう

自分も想像していなかった。私の中では、あたりまえのことだと思っていたからだ。

いつもだったら、物事を順序良く整理して話そうと努力するのだが、このときはそれ

ができなかった。


 自分の中で人に話したことのないことを話すということが重かったのかも知れな

い。何回も森田ゆりさんに、「ちょっと待ってね・・・・・」と、確認された。

いつのことなのか?相手はどの人なのか?等。

私の中で、もし虐待を受けているとすれば、父からの性虐待だと思っていた。なぜ

親子でそのようなことが起きるのか、私は父にとってなんなのか?どうしてなんだろ

う?それがいつも頭の隅に残っていた。一通り話を聞いてくれた後に、「かすみさん

は、3度子育てをしてきたのね。」といわれた。私の中では「3度?」だった。

「弟さん、妹さん、そして娘さんの3回でしょう。」「妹は、確かに4歳から同居してい

たから子育てって言えるかもしれませんが、弟も入るんですか?」と聞いた。

そうしたら、さゆりさんは「10歳のおねえちゃんがご飯作ったり、弟の面倒を見た

り、いろいろしてきたんでしょう。」といった。

 そういわれれば、そうかもしれない。

「子どもらしく育ちたい時にそうできなかった。それが辛かったり、苦しかったりはし

ていないの?」と聞かれた。私の中では、誰でもそういう環境になればそうするもの

だと思って生きてきたからあまりピンとこなかった。


 「お父さんに対しての憎しみ、恨み、怒りとかは、ある?」

「そういう気持ちはありません。ただ早くこの世の中から消えて欲しいという気持ち

は持ったことがあります。」そう答えた。「かすみさんは、ずっと10歳の時からお母さ

んをしてきたのよね。子どもとして甘えることもなく子どもらしく遊ぶこともなく、長い

間お母さんだったのよ。それはとてもつらいことなのに、辛くなんかないって思って

きたから、その辛さが爆発してるのよね。


(父への憎しみと言うか、得体のしれない怒りは、ずいぶん経ってから噴火してい

る。

 直接父を・・・・というのではなく、娘の行動に対して、うらやましいとか、にくたら 

しいと思ってしまうのだから、困ったものだ。だけど、娘は何にも悪くない。

 何もしてないのに、親から憎まれたのではたまったものではない。普通の思春期

のお嬢 さんをしているだけ。だけど、その負の感情を抑えるとバランスが悪くなる

ので、「そ の気持ちはもっていても大丈夫」と自分にいい聴かせる。そっか・・。そ

う思うんだと つぶやくことにしている。)

お父さんから受けた性虐待のほうは、学校やボランティアをすることで自分の居場

所を見つけているから、そんなに深い傷にはなっていないみたい。自然治癒力って

あってね、それがかすみさんの場合とっても強いみたいよ。」ゆりさんは、こう言っ

た。

私自身の中では、お母さんの代わりをしていたという意識はなかった。

私は、「おねえちゃんだから・・・・・」そう思って生きて来た。


 でも、ゆりさんの話を聞きながらいっぱいあふれ出てくる涙はなんなんだろう。そ

んなに辛かったかな?話せる場所ができて安心したのかな?


 次回、ここに来る時までの宿題として、手紙を書くこと。

生い立ち、家族関係、仕事のこと、そして今のこと。

この次は何をしたいか・・・・・・。

遠くて、常にあうことのできない条件での約束だった。

少し憂鬱な作業だけれど、仕方がない。できないところは夫に手伝ってもらおう・・・・

そう思って、次の日の研修に参加した。

午後から、少し寝てしまったけれど、世の中にこんなに援助をしようとする人たちが

いることを知って少し勇気がでた。でも、裏を返すと私のような人がたくさんいるとい

うことなのだ。

 

 

 

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