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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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次回のために書いた手紙の中から・・・・(抜粋)

森田ゆり様  

結婚して、過ごした18年(25歳~現在)

妹を連れての結婚は、自分の親戚や父からも反対されましたが、私は強行に妹を

連れて結婚しました。新婚旅行、教会での洗礼式、全てにおいて、「お姉ちゃんと一

緒に」を基本に生活していたように思います。夫が、福祉関係の仕事をしていて、

正職員でなかったことと、自分自身は働きたかったので、保育士のアルバイトをし

ながら生活をしました。

夫が、30歳をこえ、生活の安定を考え転職したこともあり、以前から取り組んでみ

たいとおもっていた、福祉の仕事を夫と交代してすることになりました。その仕事を

はじめて、半年くらい経った時に、職業病にかかり、4ヶ月休職をして、その後12

年間その仕事を続けました。


 その間、いろんな誤解やねたみ、うらみ、身に覚えのないうわさに心を痛めたこと

が多くあり、最後には上司との関係がうまく保てず、2001年5月から、うつ病と診

断され、不眠や食欲不振等で、体重が20キロも減ってしまうことになり、2002年4

月に退職しました。

最後の年にある全国規模の集会の責任者として、がんばれたことは、誇りでもあり

ます。

仕事に関しては、とてもたいせつなよい仕事を経験させてもらったと感謝していま

す。

しかし、その間にいろいろなストレスを抱えたり、妹【あーちゃん】に十分に気を配っ

てやれなかったことが残念に思います。


 今となっては、私が妹を連れてきたことが本当によかったことなのか?という疑問

ももっています。又、夫と、妹のトラブルがあった時に、きちんと妹の側についてや

れなかったことが多くあって、いまTVなどで虐待されている子どもが死んでいくニュ

ースを見るたびに、暴力をとめられない母、その暴力に参加してしまう母の気持ち

がわかるような気がします。幸いにして、妹は死なずに済み、現在は「言語聴覚士」

の資格をとるべく学校に通っています。高校を卒業してから、5年間はいろいろ悩

み、迷った末の結論で、私はただ、卒業だけしてくれればと思っています。

彼女の努力と、生き方には、尊敬する面が多くあります。

 そんな妹も、昨年1月に、自分のルーツを知りたいといい、義理の兄である夫と、

生みの母を訪ねていきました。母が同じ姉【39歳】がおり、自分は何者かということ

を知り、安心したようです。

 

セックスのこと

 24歳の時に、初めて、妊娠し、中絶をしました。そのころはあまり、命というもの

について深く考えていませんでした。相手の方とも十分に話もせずに、自分で中絶

を決定してしまいました。2002年の春に、あるドキュメンタリーの番組【育てなおし

をする】を見て、私は自分の人生を振り返り、涙がでて止まりませんでした。

 その時に、初めて父からのレイプの話を夫にすることができました。

若いころは、それなりに楽しく恋愛をし、あまり違和感のないセックスをしていたよう

に思います。年齢が増えるにつれ、なにかいけないことをしているような気がして、

34歳に娘を産んでからは、セックスレスの生活になりました。

その間、夫が性処理をどうしていたとか、あまり考えなく申しわけなかったと思いま

す。


(2006年に、子どもの関係の研修で「セックスをしない男女のあり方」を討議する時

間が あり、へぇ・・・・と思いながら、あまりセックスレスで追い目を持つ必要はない

のかなぁ ??と思ったことがあった。子どもにも、もっと「セックス」をしない道を選

んで欲しい(未成年)と言っていたのを聴いて、そうだったのかぁ・・・・と愕然とし

た。聴いて見ないとわからないことっ ていっぱいあるよなぁ・・・って思ったけれ

ど、誰に聞いたらいいんだろう・・・。) 

仕事をやめ、喪失感を持ってしまった私は、毎日のようにチャットにはまり、Hな話

や、今まで誰にもいうことの出来なかった話を顔の見えない相手とするようになりました。
そのことで、解放されたり、ホッとしたりすることができたので家族からは、「ちゃっ

とばばぁ」とは、言われていますが、ある意味では、救われたのだと思います。

それがきっかけで、私がHなことにに興味を持ち、紆余曲折はありましたが、夫婦

間でのセックスが正常にもたれることになったことは、楽しいHができるようになりよ

かったことだと、思います。

父との関係

 娘が生まれる前までは、妹のこともあり、年に何回か往来をしながら、会いたくな

い父、でも、妹にとっては大切な父との関係を保っていかなければならないと思って

いました 。現在では、たった一人の孫娘と、おじいちゃんとの関係を私の都合で、と

りあげてはないないと思って、年に2回父の家を訪問しています。

老いていく父を見ては、かわいそうに思ったり、70歳にもなるのに一人で、生活し

ているその力に感心したり、いつまでも変わらない一面を見てはため息をついた

り、いろいろな感情が入り混じります。ただ、一人では一緒にいることが絶えられな

いので、かならず、家族3人そろって2時間くらいをめどに、時には妹をふくめたり、

弟を含めたりしながら会うようにしています。

 父は、早くに母子家庭の長男となり、7人兄弟のうち、5人に高校を卒業させてや

り、一人は大学までいかせてやったと言う自負があります。それなりに苦労をしたら

しいのですが、祖母の内縁の夫が一緒に住むようになってからは、とってもイライラ

していたように思います。

又、叔母達も、籍もいれずに同居している祖母のことを軽蔑しているように感じまし

た。

 ただ、父は私たちにたくさんの本を買ってくれました。出張に行くたびに、お土産と

して買ってきてもらった本は、とてもうれしかったし、楽しみでもありました。


母との関係

母と話していると、とてもイライラします。なぜなのかは、よくわかりません。高校を

卒業してから、毎月1回小包と2万円が送られて来ます。はじめは、専門学校の生

活の足しに、次は妹【あーちゃん】のために、次は、孫娘のまあちゃんのためにと

欠かさず、送られてきます。そのたびに、「なにがほしいのか?」「小包はついたの

か?」等、電話があり、私たちの生活についても根掘り葉掘り聞かれるのがとても

嫌でたまりません。また、つい乱暴な対応をしてしまう自分もたまらなく嫌いです。

子育てについて色々言われると、「自分は子育てを放棄したくせに・・・」という感情

が出てきて、我慢できなくなります。母は、働いた経験もなく、実家が女が仕事を持

つなんて・・・・という偏見を持っている環境で育ったようで、何もできないお嬢様だっ

たようです。3歳まで私は母の膝の上でご飯を食べさせてもらっていたらしく、保育

園ではいつもお弁当が一人で食べられなく、嫌な時間でした。母は編みのもが得意

で、冬のきるものは、全部手作りで、時にはうれしく、時には恥かしく感じていまし

た。いまでも、自分で作るお弁当は大嫌いです。


父が再婚した義母との関係

父が再婚し、ご飯つくりや、洗濯等から解放されたのと反面、自分の居場所がなく

なりました。よく、「お姉ちゃん(私)は何も手伝わない」といわれましたが、手伝う気

持ちがないわけではなく、義母と義妹【39歳】の、仲良く話しながら料理をしている

姿を見て、入ってはいけない世界のような感じがしました。


(この時の感情はいまでも思い出す。仲がいいなぁ・・・と思ったら入っていけないの

だ。

 (笑) 自分の存在が消えてしまうように感じてしまうし、遠慮している自分にも腹が

立つことが多くあった。うらやましかったんだろう、この親子が・・・・。)

その後義母とも父が離婚しましたが、なぜ、離婚に至ったのかは、当時専門学校

に通っていて、自宅にはいなかったので良くわかりません。


私自身は子どもの時に、なぜ一人の人間として、見てもらえなかったのかという気

持ちが今でも、残っています。


祖母、親戚【父方】の叔母達

 

顔をあわせるたびに、「母に似ている」「だらしがない」といわれつづけられました。

母の悪口を聞くたびに、自分も否定されているような気がして、いたたまれません

でした。

できそこないの私は、いつまでたっても、人としてよい評価をしてもらったことがあり

ません。

最近、夫婦で、福祉や教育に携わっている仕事をしているということで、誉められた

りする


仕事のこと


 私のしていた福祉関係の仕事は、周りからはボランティアとそう変わらない社会

的な認知の低い仕事でした。しかし、内容はかなり専門知識や技術、相談員的な

要素がたくさん入っていて、経験者でなければわからない面があります。とてもこの

仕事は好きでした。上司との関係で、精神的に苦しくなり退職しましたが、そこに関

わっていただいた障害者の皆さん、その方々に関わった人生は、とても大切でか

けがえのないものだと思っています。

元気になって復帰できたらと、願わない日はありません。

体調のことも、心配してくれたのは障害者の方たちでした。


娘【まあちゃん】のこと


 34歳で出産、現在10歳になります。

とても、かわいらしく、愛らしく、子どもらしく、優しい子どもに育っています。

わたしも、こんな風に笑顔満面に育ちたかったなと思うと同時に、なぜ母は父はそ

うしてくれなかったのだろうと、悲しくなります。

3歳下の弟【39歳独身】に対しては、父も、母もいろいろな期待や希望を持ってい

たのだと思います。

どんな時でも、しかられたり、叩かれたりするのは、私だけでした。

「お姉ちゃんは昔優しかった」というのが、弟の口癖です。

なぜ、私は優しいまま、大きくなれなかったのだろう。優しい人のままでいたかった

なぁというのが今の自分です。


以上、思いつくままに書きました。

自分でかいていても、複雑すぎて、わかりにくいことが多いと感じています。

嫌な夢は、森田先生のお友だちが書いたという「性虐待サバイバーのための・・・」

を読み終えてからは、見なくなりました。

そして、とても暗い人生の中に、楽しかったこと、うれしかったこともたくさん見つけま

した。

                                                                          かすみ

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