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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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妹の旅立ち

そんな妹にも、我が家を旅立つ時が来た。

志望していた、学校には入れず誰でもはいれると担任に失笑された地元

の短大にもいかず通信教育で頑張るというのだった。そのために父のと

ころへ、行った。だが、3日ももたずに帰ってきた。それから5年間、いろん

な仕事をしたり、あっちこっちと、紆余曲折しながら、ヘルパーの仕事につ

いた。

小さい時から、障害者と触れ合っていた妹にとって、そこはジレンマの場

所でもあり、ホッとする場でもあったようだ。

そのあと、学校に入り、現在は言語聴覚士としての、道を作ろうとしてい

る。

 

あんなに、色々とあった夫とは、何かあるたびに電話やメールで、やりとり

をしている。

夫は、虐待の加害者になってしまった自分を責めたり、悩んだりしながら、

子どもの人権に関することに関わろうと頑張っている。

妹にも、わびを入れているところに遭遇したが、私自身は彼はすごい人だ

と尊敬している。

「私はおねえちゃんたちが、思っているほど不幸じゃない。」この言葉に私

たちは救われていると思う。

 

 私が、仕事のことで上司からいじめを受け、体重が20キロも減ったとき

に、仕事を辞めて欲しいと泣いて頼んだのは、妹だった。

「私にとって、おねえちゃんはとても大事な人だから、死なれたら困るんだ

よ。おねえちゃんには、もっとできることがいっぱいあるでしょう。今、辞め

たってきっと道が開けるよ。」そういった。

仕事を辞めるのには勇気がいった。

私と同じように、周りに苦しみを理解してもらえない人たちと共に生きてき

たからだ。

境遇や環境は違っても、なぜこんなにこの仕事に惹かれるのかを考えた

時に、自分とおなじ一人ぼっちで悩んでいる人の役に立ちたかった。

そして、その人達から学んだ大切なことがいっぱいある。

仕事は、大好きだったから・・・・・・。

 

 いま、うつで通っているドクターは、私の過去は病気には関係ないとい

う。

「疲れているから、思い出したくないことが、思い出されているだけで、そ

れが全てではない。生活習慣をかえることで、治っていく。」と言い切る。

それも、一理あると思いながら、その生活習慣は過去の積み重ねによっ

てできたものだから、それをきちんと整理できないといけないのではない

かとも、思っている。

 

2002年4月、元気になるために私は仕事を辞めた。

それからのことは、快復編『ある本との出会い』のところで、色々と書きた

いと思っている。

私たちの娘は、本当に順調に育っている。

私たち夫婦が未熟でも、娘が優しく、頑固でたくましく育っているのは、妹

との戦いがあったからだと、私たちは、妹に感謝している。

あーちゃん、ごめんね。そして、ありがとう。

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