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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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昨日まーさんの通院日でした。

最近母の私は診察室にずっと入っていなかったので、気になることを確認しました。

以前のように激しい人格交代は2009年の春くらいからはあまりないと自分では思っていますが、娘からみるとひそかに昨日は違うかーちゃんだったよと、言われる時があります。

その時に、根ほり葉ほり様子を聴くとまーさんは「いちいち覚えてない」ということがあるので、それを確認することはだめでしょうか?と主治医の確認を取りました。


確かに、会話の中身を覚えていないことは結構あるのだけれどそれって、単にボケているのか、本当に人格交代があるのか、人格が交代されないとならない事態だったのか?というあたりはあまりわかりません。


Drの話によると、「嫌なことを感じないようにする習慣」を持っている時間が長すぎて、今はそのアイテムを使う必要はないのに、回路がつながってしまって人格交代がされてしまうというのは、よくあることらしいのです。

なので、自分に「怖いことはもうないんだよ」といつも私がちいさなkasumiに伝えている方法は的確なんだなとわかりました。

それと、ど~~んと子どもの時のような気持ちになってしまいそうな時に、「kasumi」(本名もしくはかあちゃん)と呼んでもらって解離しそうになる私の脳の回路のスイッチを切ってもらうことは有効らしい。


それとトラウマ(PTSD)についても、消えないけれど薄くなっていくという感覚でいいのか?という質問には、「忘れる必要はないし、けれども、その悲しみの中に入っていく必要もない、それと無視するという選択肢ももってもいいかもしれない」というおアドバイスでした。

意識するとどうしてもそれにエネルギーを取られるので、スルーすることもできるときっと楽になれるわよ・・・。


私の中の小さなkasumiが小さいタッカとずっと遊んでいて帰ってこないと思っていたのは、私の中にいなくなったのではなくて、意識しなくても、私の中にいるということなのかもしれない。


今までは「小さなkasumiはどうしたいの?」と意識して話をしたり、お菓子を食べたり、あなたのしたかったことはなに?と常に「あなたはどうしたいの?」と尋ねてきた。

けれど、2009年のりぼんとの出会いから、ピアノ、歌、小さなkasumiが奪われた音楽をほんの少しだけれど、取り返そうと周りの力も借りて、歌ったり、弾いたりしている。

大人の私はつい「私ごときが・・・」とマイナスの方へ言葉が出てしまう。

それでも、年末にとった練習の時のMDよりも、今ははるかに声も出ているし、ピアノも下手は下手なりに、まとまってきてると自分が思う。

それを知っているSくんは、一昨日生の演奏を聴いて練習にも来てくれて、「kasumiさん、MDの時とは、全然違いますよ、あとはどれだけ練習するかですよ」と励ましてくれる。

それは「努力してるのがわかります」という言葉だろうし、もう少ししたら吹奏楽団の人たちの前で歌うこともしなければならないし、当然30日に自分の持っている力を100%出す自分を作ることもしなければならないと思っている。

今は自分自身の声がしっかり出ているか出ていないかしかわからない。

なんとかタッかの歌に乗っかること、リズムがずれないことそれだけに集中して一回うたうごとに、息が上がる。

半分は楽しく、半分は悔しい。(笑)

小さなkasumiは、「私がしたいこと」には~い!と手を挙げた。

それには、うまい下手は関係なくて、「~してみたい」「~になってみたい」夢だったんだと思う。

そのしてみたいことを実現しているタッカがいて、そのタッカが迷っているちいさなkasumiを見つけ、声をかけた。

そして「行こう!」と手をつないで話をしている。
手をつないでいるのはちいさいタッカ。
それってこうなんだよとか、へえ~~~とか。

小さなkasumiのしたいことを真剣に聴いてくれる人は誰もいなくて、でも必死に聴いてくれて、それを実現しようと大人の私を説得して「わかった」と言えるようにしてくれる。それは大人のタッカ。

また、「・・・」となる自分が消えたわけじゃないけれど、本当に「わたげ」を聴いて感動してくれたSくんのおかげで「スコア」として、形に残り、アンサンブルとして、一緒に演奏してくれる。

こういう状態って、人生の中でそうそう沢山あることじゃないよね。

怒り担当の男の子も最近出てこない。
怒りがないわけじゃないけれど、怒りの出し方が変化した。

以前は何番目の私ってわかったんだけれど、最近その境界線がぼんやりしてきてあまりはっきり何番目・・・・ってわからない。

通訳出来る人は4番目から6番目だけれど、なんとなくその分かれ目がはっきりしないし、その役割も分担されていないように感じる。

人格交代をしなくてもいい時間が増えたからなのかな。

もしかしたら、多重を意識しなくてもいいのかもしれない。

一番自信のない私。
それが主人格。

けど、努力すればなんとかなるかな??って思い始めたら、それもあまり気にならなくなった。

それとも新しいことがすでに始まっていて、それをなんとか形にしようって6人が会議してくれているのかな?
無意識に、楽しく過ごそうって決めてくれたのかな?

死にたい、消えたい、死んじゃいたいそう思って生きていた私ではあるけれど、生きているし、そろそろ自分のためだけに楽しいこともしていいもかもしれない。

自分のためにする楽しいことは、結果だれかのための楽しいことに絶対つながっているとは思うけれど、出発点が私からでもいいかな?と思い始めた。


今までは、出発点が「だれかが幸せになりますように」で、その結果自分も楽しかったり、うれしかったり、結果オーライだった。

周りから見たら、それはどっちも「すごい」ことを成し遂げているのだから、出発点はどっちからでも「すごい」ことになっていると思う。


年が明けてから「わたげ」の練習は時間が短くてもできるだけしている。
ときどきタッカが「kasumiさん、すごいわ」というのだけれど「??」となる私。
なにが??と聞いても具体的には言ってくれない。

そして、私は午前中発声練習をじっくり2時間かけてしているので、そりゃ・・・って思うから、「だって、練習してるもん」とありがとうの言葉に出来ず(笑)褒めてくれているんだろうとは思うけれど、「褒めてくれてありがとう」って言えない。

たぶん・・・・30日が過ぎて、自分と助けてくれる人の力を信じて歌って弾いて、終わったらじわじわと出てくる感情。

だってね。。。

楽しいことの後に、怖いことがあるかもしれないんだよ。
だから、あまり喜ぶと危険かも?って防御しているんだ。わたし・・・。(笑)


でも褒めてもらうことはうれしいから、褒めて。

けど、うれしくても「なにが?」ってきっと言い続けるよ。(笑)


よくわからない、自分の独り言です。


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