忍者ブログ

虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

SA(セクシャル・アブ・ユーズ)の辛いところは、まず信じてもらえないこと。

そして、「実の親?自分の子どもでしょ」と大概の人は言う。

けど、被害にあった私が話しているんだから、嘘なわけないし、語ることだって勇気がいる。

けれど、ないものにはしないと決意してからは、「私はサバイバーです」と出来るだけ語ってきた。

自分のことを同情してほしいわけじゃなくて、同じような経験を持つ子どもや大人を一人でも少なくしたい。

SAは単独でおこるものではない。
日常的な暴力、DVの家庭の中で起きている。

他人からの被害は別として肉親、親や兄弟から受けるものは、力関係が決まっていて、逆らえない状況下にある。


まして、日常暴力の中で育てば、「殺されるかもしれない」という気持ちを持ちながら生活していると、どんなに嫌なことでも逆らえないし、ただ時間が過ぎるのを待つしか選択肢はない。

なので、「なぜ逃げなかったのか?」は愚問である。

逃げられるものであればとっくにしている。

その支配されている感は、50歳になった今でもぬぐえない。

気持ち悪くなるくらい、まとわりつく。

正直、大腸がんだと知った時は、「ラッキー、もう少しだ」と思ったけれど、すでに3年が経つ。

どんなに離れててもその支配下から逃れられない。

気持ちが囚われているのだ。

あれだけ、私を認めない人に、まだ私は囚われているのだ。

認知症になり、それなりに楽しい人生の終盤をすごしているようなので、それはそれで構わない。

けれど、私は忘れない。

父親にされたこと。

痛いだけで済まない。

私の心の叫び。

伝え続ける。父親を責めたいわけではないけれど、事実を知ってほしいと思う。

どれだけ、親から受ける無償の愛が子どもにとって必要なものか。

どれだけ、大人になってから生きにくいのか?
どれだけ、大変な想いをするのか?

体罰で子育てすることがどれだけ子どものプライドを傷つけるのか?

なにもしないで親になれるはずもない。

努力も学習もしないでただ生んだだけで親になれるはずもないのに・・・・。


親だから…大切にしよう。

そうじゃなくて、子どもから大切にしてもらえる親になろうじゃないのか?


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

拍手[7回]

PR
   

Comments

NAME
TITLE
MAIL(非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS(コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます
 

Trackback

TrackbackURL

Copyright ©  -- 虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by Crambon / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]