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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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そもそも、子どもは安全でしっかりした家庭をいう一番小さい集団で愛を持って育まれる存在であると言うことを念頭に置いて記事を書きたい。

家があるから、お金があったから、食べるものがあったから、兄弟がいたから、血がつながっていたから・・・と世間の人は言うけれどそんなものどうでもいい。
確かに多少の影響はあると思う。

暴力を見て育つと言うことで言えば、DV家庭の夫婦喧嘩。
これはもう最悪。
どちらかと言えば男性からの暴力、支配が多く、その逆を逆DVとか新聞報道されているけれど「逆なんたら」っていったいなに??って(笑)

暴力による支配関係があるのは事実。
(家族間とかパートナーとの暴力関係には変わらない)

男性が女性にDVするのはよくて、その逆だと、女性だけが割る物になるような風潮は許しがたい。

援助交際だってまるで「高校生や中学生」だけが悪く言われるけれど、それをほいほいとお金を出して、未成年者と性行為をする中年のおっちゃんが非難されないのはどういうわけ??

これだって、同年齢の女性から相手にされず、十代にお金と権力を振りかざしている暴力だろうと思う。

恋人同士のセックスにしてもそうだ。
少女マンガやテレビ、ネットにおいて、「男の子から求められた時の受け入れ方」はよく書いているがお断りの方法についてはどこにもかいていない。
だから、「断る」事=罪悪感 にさいなまれる。

女は黙ってついてこい!的に、社会は仕組まれている。

しかしだ、
男性と女性がお付き合いをするとまるで「セックス」が愛の証みたいなのはどうも変だと私は思う。

愛がなくたってセックスは出来るし。
セックスはなくたって愛し合うことはできるでしょう。

セックスの回数が「愛」の量だと勘違いしている人があまりにも多すぎ。(笑)

あほ。

セックスの途中で女性が嫌だと思ったら、そこからは「愛のあるセックス」ではない。
性的暴力だ。

初めは同意だった。だけど、途中で受け入れられなくなり「NO!」と言った。
だけど強引にセックスされた。
これも性的暴力。

訴えようと思えば出来る話。

続きは後で

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