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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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傲慢という意味を調べてみた。

傲慢(ごうまん)は高い自尊心、他人より重要、魅力的になりたいという欲望、賞賛をそれに値する者へ送ることの怠慢、過度の自己愛などを指す。

キリスト教的には・・・ キリスト教では傲慢(pride)は七つの大罪の一つに数えられる。また、旧約聖書の『箴言』に「奢る者は久しからず」(Pride goes before a fall)という言葉がある。自尊心(或いは虚栄心vanity)は、自分の能力に対する過信(それは、神の恩恵を理解する上でのさまたげとなる)を意味する。

仏教では・・・ 煩悩は、二種類に別れ、無明=三毒=三惑と悪見からなる。 無明は貪欲,瞋恚,愚痴であり、悪見は慢,疑,見である。

6つ合して、6煩悩と、仏教の一派唯識派では言う。

慢は、仏教では自ら他を比較して軽蔑し、みずからを恃み高ぶることと、戒められている。

慢は、また主に7種に分かれる。

慢 過慢:同等に対しては勝れたと、同等には同等と高ぶる。

慢過慢:勝れた者に対して、逆に自分が勝れたとする。 我慢:自分の身心を永遠不変の我とたのむ。

増上慢:悟りを得ないのに得たとする。

卑慢:多く勝れた者より、少し劣っているだけのものとする。 邪慢:徳がないのにあるものとする。 その他8慢、9慢等の分類がある。

儒教では。

儒教では、恭倹が重んじられ、その反対概念である傲,驕,慢は疎まれる。

パスカルは・・・。 自分の惨めさと言う本来の状態に無知であると重視された。彼の示す救いの道は、キリスト者としての道に従うこととされた。無信仰者がいかに無為、怠惰を克服しても、傲慢に陥ると説いた。

ギリシャでは・・・。 ギリシャ語で、ヒュビリス(hybris) 他人の権利を侵し、神々を冒涜することで、人間が自己の分限を超えることが、神々の怒りを招くとされ、そこに人間の破滅の一因が求められた。 ということらしい。

あまり会話では聞いたことのなかった言葉で、でも言われると混乱するので、調べて見た。 自分では使ったことはないし、通訳したこともないと思う。 けど。。。 最近よく聞くんだ。
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