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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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昨年の12月から始まった娘の不登校は、今もなお
続いていて、それでも彼女のニコニコしている笑顔が
いいなぁ・・と思うと、「学校に行け」とは
言えなくなる母であることから始まった2007年でした。

2月には、実母が突然亡くなり、その10日前に
最後の会話(といっても、ほとんど私が怒鳴りまくり)をし、
私がずっと抱えてきた母親に対しての気持ちを
伝えるチャンスがありました。

10歳で離別しているからか、DVな夫婦だったからか、
「母親だった彼女」をほとんど知りません。
記憶にないと言うのが正しいと思いますが、
私が高校生だったくらいからの
強引な母の姿しか覚えていません。

約30年、大人になってからの私を支配しようとお金、小包、
買い物いろんな武器を使って
私に「お礼」を言わせる作戦を長いこと使われました。

娘が生まれた時に、送られてきた首のとれた人形。

雑巾にもならない布。
バザーにも出せない埃のかぶった引き出物。砂糖、のり。
賞味期限がとっくに切れている佃煮。


その嫌がらせは、私が家族を大切にすればするほど、
悪意に満ちていたようにも思うこと。

最後の会話で「なぜ干渉するのか?」と尋ねたらば、
「親だから」と言い、
「ならば、暴力を振るわれるとわかっていながら、
子どもを置いて言ったのはなぜか?」
「私は性的な被害を受けた」
「あなたはそれを知っていたのだろう」

という問いには答えなかった。

あなたは子どもの命の危険を知っていたのに、
黙認した。
そして、したり顔で私を待ち伏せした。

「だって会いたかっただもん」と。

本当に親だと言うならば、私が殴られるようなことに
ならないように配慮するだろう。
私であればそう考える。

それが親だと思う。



私はあなたと縁を切りたかった。
それをしなかったことは私の親孝行だと思う。
でも、あなたの葬式には絶対行かない。そういった。

そしたら母は「縁を切って困るのはお前だろう」と言う。
その理由を聞いたらば、
「お金を送るのをとめられて困るのはお前だ」と。


(母はお嬢様で、たぶん地方公務員の父の給料で
やりくりは出来なかったのだろう。

とっても父は貧乏なうちの出身だった。
だから、なぜ見合いで結婚したのかが
不思議だった。

お嬢様はなにも出来ない。
掃除も、食事のしたくも、洗濯も。
子育ても無理。

でも、贅沢な暮らしからは離れられない。

毎週のように週末実家へ帰っては、食事をして、
お土産をもらって帰る。

いつもけんかの原因は安月給、大学にいっていないこと。

「縁を切られて困る」のは母で、私じゃない。)

お祖父ちゃんからいつも言われていたんだろう。

今年、我が家でいつもあったものが、
買う必要に迫られた。
海苔、スパゲティ、乾麺類。
蜂蜜。

母親がこの世からいなくなってから、私はスパゲティを
よく作るようになった。

海苔も、握っておいしいものを買えるようになった。

お菓子作りでつかう砂糖も。

これらのものは見るのも嫌だった。

蜂蜜はいつも食べてくれる友人に渡していた。

在庫のなくなった材料を買うたびに
「私は自分の意思で蜂蜜を買うことが出来る」とか
思うのだ。


送りつけられるものに「感謝」しなければならないことが
とても辛かった。

あちらの自己満足で送ってくるものに感謝しなければ
ならないことがとても嫌だった。
私が本当に欲しかったものは「愛」であってものでも
お金でもない。

いつか「頑張って生きて来たね」といってくれないかな?
と思っていたけれど、
それは最後までなかった。私にあったのは「脅し」だ。
お礼を言わなければ「お金は送らない」「荷物も送らない」
その言葉だった。

葬式に参加しなかったことで、親戚から連絡が来たり、
話をするチャンスがあった。
私を単に案じてくれている人や、
妹の出産で顔をあわせた人。

私を非難していた親戚も、
「絶句」と言う言葉がぴったり・・・と
いうくらい沈黙が流れた。


2年前から、
虐待を受けたかつての子どもとしての授業を
回数は少ないが持たせてもらっている。
そこで、赤裸々に語ることが、
虐待の連鎖をとめることの
証人になってもらっているような気持ちでいる。
私自身の連鎖への歯止め、
社会の連鎖への忠告、大人に出来ることを伝える。


私の人生が壮絶だったのかどうかは
私にはわからない。けれど、娘を見てると
「子どもってこんなにかわいいのになぁ・・・」と
思うことがたくさんある。

人生すべてが死んでしまいたかったか?と
考えるとそうでもないと思う。

子どもの時には与えられなかったけれど、
大人になってからたくさんの人に、
褒められたし、助けられたし、助けてきた人もいる。

最近では授業を受けた人も街で声をかけてくれる。
今度ゆっくり話したいですね・・・と
テレながら話しかけてくれる学生もいる。

道路の向がわで「kasumi!」と
手を振ってくれる人もいる。(笑)
私は笑い手を振る。

だから、トータルすると

私の人生は捨てたもんじゃない。

2007年は母の呪縛から解けて「解放」された年。

そして、趣味だった「作る」が再開された年。

今年は、新年の準備らしいことはせずにいる。
イライラしない分家族でテレビを見たり、買い物にもいける。

ちなみに、我が家のブームは水谷豊の「相棒」。

私の人生を語る時に、
泣かないようにと心がけていたのだけれど、
どうしてもじわ~~~と来る。

もう、泣きじゃくりながらと言う時間は必要ないけれど
言葉に詰まるくらいのことは
自分に許してもいいじゃないのか?
と思うようになった。

辛くて困るとは思っていなかった自分だけれど、
振り返ったら「辛い」ことだったなと
思うのだから私はあえて他人を困らせることは
していないけれど、結果困らせたことにも
なっているし、
私がNO!をいえなかったことで加害を大きくした人もいる。

毎年思う。
この1年は「一番楽だったかな?」と。


私は体も心もどんどん楽になって行く。
これって不思議。(笑)
2008年も(・o・)ヨ(・д・)ロ(・ェ・)シ(・ε・)ク。
訪れてくれた人に、良い新年でありますように。


来年の今頃も、「いままでで一番楽だったかな?」と
思えるように、

そんな仲間を少しでも増やせますように。

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無題

あけましておめでとう。
昨年の秋に某自助で会ったK(ここではイニシャルにします)です。(・・・が分かるかな?)

kasumiさんの「一番楽だったかな?」っていうのを読んで、書き込みしたくなりました。

実は私、某友人宛の今年の年賀状に、「生きるのが『楽』になりました」って書いたんですっ。
その友人からは、「本当に良かったね」と連絡が来ました。

同じ様な感覚でいるんだなぁと思ったら、嬉しくなってしまい初めて書き込みしちゃいました。

また、どこかでお会いできる事があったらお話できたらと思います。

あけましておめでとう

そうっか。それは良かったね。うん!(^^)
きっと近いうちに会えるといいね。
私もあなたに会いたいって思っています。

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