虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2024/11/12 (Tue)
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- 2010/11/02 (Tue)
ヘネシー澄子さんからの1週間1
ヘネシー澄子さんの講演会からの1週間、怒涛のように変化し、なんかもうクリスタルって感じで、不思議な縁が続きました。
ヘネシーさんのお話の後シンポジウムが開かれ、虐待を疑うような家庭に地域の保育園、子育て支援センター、臨床心理士がどうかかわっていくかのお話の中で、どうしても気になってしまう言葉があったので、だれも質問する気配はないし、こういう時間はもったいないので、手をあげた。
それぞれのシンポジストが「気がつかない親」と表現していて、どうしても上から目線が気になるという事を、虐待を受け、子育てをしている親として発言させてもらった。
虐待をうけたり、それに近い状況で大人になるという事は、家庭の問題を外にばらすなと、親から言われて大人になっている可能性が高い。
それゆえに、自分の悩みなどちっぽけなもので、相談していいことだとは、あまり思わない。
そして、自分が受けた暴力は「厳しいしつけ」だと思っているので、同じことをくり返す。
よほど本人が意識しない限り、それはくり返される。
けれども、また逆に「虐待だけはしたくない」と思いながら、子育てを頑張ろうとしている元被虐待児も多いがどうそれを実現出来るようになるのか、わからなく心が壊れていくことも多い。
確かに、現実目の前にいる子どもを救う事は最優先されるけれど、大人になって、苦しんでいる親を治療するプログラムとか、支援がない限り、それは永遠にくり返されると考える。
私は自分の子どもが学童の指導員からいじめを受けていたことに気づかず、子どもに大変苦しい経験をさせてしまったけれど、今やっとその傷が癒えてきたように思う。
高校生ではあるけれど、「かあさん、コアラ抱っこ」と言われれば、いまでもそれをしている。この作業は子どものためにも、自分のためにも大切なことだと思い、周りから何を言われても、それは本人がいらないというまで、しようと考えている。
気がつかないのではなく、気がつけないという視点で接してほしい。
暴力を受けて育つということは、怖い秘密を抱え、助けを求める事が出来ない。
助けて欲しいと言っていいという事を知らない。
トラウマを抱えるということは、そういう事なのだ。
精神科の敷居も高いし、虐待に関しての知識も少ない。
少なくとも、自分は地元での治療が出来る精神科は当時なかったし、カウンセラーにも傷つけられrた。
虐待している親を非難しても、それはますます閉鎖的な環境になるだけで、上から目線で捉えることは間違っていると思う。
そう発言した。
ヘネシーさんは私を見つめこう答えた。
日本の中で長野と、愛知の2つの自治体である試験的なことをしている。
日本は子どもが生まれる時に、母子手帳をもらいに保健所とつながる。
その時に、簡単な質問をし、親となる人の成育歴をりサーチする。
そして、多分問題が発生しないだろう家庭、グレーゾーンの家庭、要注意の家庭の3つに振り分けて、生まれる前からのアプローチを始めているそうだ。
そうすると、自然と保健師とのつながり、相談、援助がスムーズに進むという例がある。
この方法が国として、展開されればもっと予防が出来るようになるだろうとのことだった。
親とのアタッチメントの再生は双方が望めば、最高年齢で子どもが60代、親が80代でも成功した例があると話していた。
この双方が望むというところがとても難しいと思うけれども、実例があることはとても救いだと思った。
壇上から降りてきたヘネシーさんは「とっても頑張ったわね」とハグしてくれた。
すごく勉強したのよねと自分をいっぱい褒めてね。
何度も何度もそう言いながら、ハグしてくれた。
絶縁していた父に会いにいって、終止符を打ちたいのだという事も伝えたら、「謝罪を期待しないように気をつけてね」と心配してくれたので、「全てわかっているし、自分の中でのけじめのために行きます」と伝えると、またにっこり笑って、ハグしてくれた。
よく頑張ったわね・・・。
何度も何度も。
時々失敗もあるけれど、今の私がとってもいいって、思えた瞬間だった。
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ヘネシーさんのお話の後シンポジウムが開かれ、虐待を疑うような家庭に地域の保育園、子育て支援センター、臨床心理士がどうかかわっていくかのお話の中で、どうしても気になってしまう言葉があったので、だれも質問する気配はないし、こういう時間はもったいないので、手をあげた。
それぞれのシンポジストが「気がつかない親」と表現していて、どうしても上から目線が気になるという事を、虐待を受け、子育てをしている親として発言させてもらった。
虐待をうけたり、それに近い状況で大人になるという事は、家庭の問題を外にばらすなと、親から言われて大人になっている可能性が高い。
それゆえに、自分の悩みなどちっぽけなもので、相談していいことだとは、あまり思わない。
そして、自分が受けた暴力は「厳しいしつけ」だと思っているので、同じことをくり返す。
よほど本人が意識しない限り、それはくり返される。
けれども、また逆に「虐待だけはしたくない」と思いながら、子育てを頑張ろうとしている元被虐待児も多いがどうそれを実現出来るようになるのか、わからなく心が壊れていくことも多い。
確かに、現実目の前にいる子どもを救う事は最優先されるけれど、大人になって、苦しんでいる親を治療するプログラムとか、支援がない限り、それは永遠にくり返されると考える。
私は自分の子どもが学童の指導員からいじめを受けていたことに気づかず、子どもに大変苦しい経験をさせてしまったけれど、今やっとその傷が癒えてきたように思う。
高校生ではあるけれど、「かあさん、コアラ抱っこ」と言われれば、いまでもそれをしている。この作業は子どものためにも、自分のためにも大切なことだと思い、周りから何を言われても、それは本人がいらないというまで、しようと考えている。
気がつかないのではなく、気がつけないという視点で接してほしい。
暴力を受けて育つということは、怖い秘密を抱え、助けを求める事が出来ない。
助けて欲しいと言っていいという事を知らない。
トラウマを抱えるということは、そういう事なのだ。
精神科の敷居も高いし、虐待に関しての知識も少ない。
少なくとも、自分は地元での治療が出来る精神科は当時なかったし、カウンセラーにも傷つけられrた。
虐待している親を非難しても、それはますます閉鎖的な環境になるだけで、上から目線で捉えることは間違っていると思う。
そう発言した。
ヘネシーさんは私を見つめこう答えた。
日本の中で長野と、愛知の2つの自治体である試験的なことをしている。
日本は子どもが生まれる時に、母子手帳をもらいに保健所とつながる。
その時に、簡単な質問をし、親となる人の成育歴をりサーチする。
そして、多分問題が発生しないだろう家庭、グレーゾーンの家庭、要注意の家庭の3つに振り分けて、生まれる前からのアプローチを始めているそうだ。
そうすると、自然と保健師とのつながり、相談、援助がスムーズに進むという例がある。
この方法が国として、展開されればもっと予防が出来るようになるだろうとのことだった。
親とのアタッチメントの再生は双方が望めば、最高年齢で子どもが60代、親が80代でも成功した例があると話していた。
この双方が望むというところがとても難しいと思うけれども、実例があることはとても救いだと思った。
壇上から降りてきたヘネシーさんは「とっても頑張ったわね」とハグしてくれた。
すごく勉強したのよねと自分をいっぱい褒めてね。
何度も何度もそう言いながら、ハグしてくれた。
絶縁していた父に会いにいって、終止符を打ちたいのだという事も伝えたら、「謝罪を期待しないように気をつけてね」と心配してくれたので、「全てわかっているし、自分の中でのけじめのために行きます」と伝えると、またにっこり笑って、ハグしてくれた。
よく頑張ったわね・・・。
何度も何度も。
時々失敗もあるけれど、今の私がとってもいいって、思えた瞬間だった。
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