虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~
虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??
- 2024/11/16 (Sat)
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- 2010/11/21 (Sun)
最近の私
ヘネシーさんと出会ったあとから、本当にいろんな変化がありすぎたのと、公私ともに忙しくて、こんなにブログの記事を書かなかったことはないくらい、バタバタしていました。
まーさんの表彰式のあと、ライブ、そして今日は札幌に出かけ、人形劇の公演。
そして、日常的には、映画の準備。
映画の会場の下見や打ち合わせ。
毎週末、家にいることなく、飛び回っていました。
昨日は、里親会の研修の日で、今年から役員になりその研修の補佐をしつつ、夜行で札幌に向かいさっき自宅につきました。
来週はユニバーサル上映映画を函館で開くので、最終準備。
そして、また次の週には、クリスマスでのライブ。
ここまでバタバタと忙しくなっています。
その傍ら、広報紙をつくり、パソコンに触るのが嫌なくらい、カチャカチャしていて、気持ちにゆとりがなく、記事の更新も、ミクシーと、わたげの方だけが精一杯。(笑)
先週札幌に向かった時は妹とも久しぶりにゆっくり話しが出来、昨年亡くなった祖母の形見を3つもらい、「お姉ちゃんが一番長くかかわったんだから何か持っていって」という言葉をもらって、そんなに必要なものではないけれど、もらってきました。
祖母は料理がうまい人で、小学校の高学年の時に、しばらく祖母の家から学校に通っていたこともあって、作ることは、そこで覚えたかもしれないと思っています。
それでも「母はだらしない」と悪口を聞き、その母にそっくりだという言葉で傷ついていた小さな私は、祖母も苦手ではあったけれど、認知症になってからの祖母の世話をしたのも私だったりします。
基本、困っている人を放ってはおけない性格なので、それはそれで仕事と同じように接していたように思います。
里親会の方では、「両親を赦してもいいかな?」とやっと思えるようになったと発言したら、里子さんが同じようにそんな日が来るかしら?と話をされて、いつとはわからないけれど、段階を踏んで、その都度相談に乗っていけば、若いうちにできるかもしれないねと、話が弾みました。
私のように、信じられる大人が一人もいない場合と、あと1年で措置が切れるけれども、毎日同じ顔で過ごして来た年月を持っている子どもでは、雲泥の差があるだろうと思うからです。
こんな私でもこの8年間で大きく変化していくわけだから、可能性はゼロではないはず。
先日300人を越える人の前で、ライブがあり、落ち着いてピアノが弾けました。
ミスタッチはあり変わらずあるけれど、(笑)それも「ハラハラしないで聴ける」と言ってくれる人がいて、和音がきれいだとか、繊細な音ですねとか、私らしさを奏でる力を持てることにこの一年半、とても頑張ったなと自分をすごく褒めてあげたいのです。
出来ないと思っていたことが出来るようになることはとてもうれしいし、人との関わりで、いろんなこと、いろんなものをプレゼントしてもらったり、気遣ってもらったりで、「生きててよかったな」という事がとても増えています。
生まれる前から、決まっていた道なんだと、虐待を受けたことはとても嫌だったけれど、それを丸ごと引き受けて自分を肯定していくことが、今の私につながって、気持ちも穏やかになれるんじゃないかなと、少しワクワクしています。
努力したことは手話でも、ピアノでも、人間関係でも、実っていくことがわかって、とてもうれしいです。
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まーさんの表彰式のあと、ライブ、そして今日は札幌に出かけ、人形劇の公演。
そして、日常的には、映画の準備。
映画の会場の下見や打ち合わせ。
毎週末、家にいることなく、飛び回っていました。
昨日は、里親会の研修の日で、今年から役員になりその研修の補佐をしつつ、夜行で札幌に向かいさっき自宅につきました。
来週はユニバーサル上映映画を函館で開くので、最終準備。
そして、また次の週には、クリスマスでのライブ。
ここまでバタバタと忙しくなっています。
その傍ら、広報紙をつくり、パソコンに触るのが嫌なくらい、カチャカチャしていて、気持ちにゆとりがなく、記事の更新も、ミクシーと、わたげの方だけが精一杯。(笑)
先週札幌に向かった時は妹とも久しぶりにゆっくり話しが出来、昨年亡くなった祖母の形見を3つもらい、「お姉ちゃんが一番長くかかわったんだから何か持っていって」という言葉をもらって、そんなに必要なものではないけれど、もらってきました。
祖母は料理がうまい人で、小学校の高学年の時に、しばらく祖母の家から学校に通っていたこともあって、作ることは、そこで覚えたかもしれないと思っています。
それでも「母はだらしない」と悪口を聞き、その母にそっくりだという言葉で傷ついていた小さな私は、祖母も苦手ではあったけれど、認知症になってからの祖母の世話をしたのも私だったりします。
基本、困っている人を放ってはおけない性格なので、それはそれで仕事と同じように接していたように思います。
里親会の方では、「両親を赦してもいいかな?」とやっと思えるようになったと発言したら、里子さんが同じようにそんな日が来るかしら?と話をされて、いつとはわからないけれど、段階を踏んで、その都度相談に乗っていけば、若いうちにできるかもしれないねと、話が弾みました。
私のように、信じられる大人が一人もいない場合と、あと1年で措置が切れるけれども、毎日同じ顔で過ごして来た年月を持っている子どもでは、雲泥の差があるだろうと思うからです。
こんな私でもこの8年間で大きく変化していくわけだから、可能性はゼロではないはず。
先日300人を越える人の前で、ライブがあり、落ち着いてピアノが弾けました。
ミスタッチはあり変わらずあるけれど、(笑)それも「ハラハラしないで聴ける」と言ってくれる人がいて、和音がきれいだとか、繊細な音ですねとか、私らしさを奏でる力を持てることにこの一年半、とても頑張ったなと自分をすごく褒めてあげたいのです。
出来ないと思っていたことが出来るようになることはとてもうれしいし、人との関わりで、いろんなこと、いろんなものをプレゼントしてもらったり、気遣ってもらったりで、「生きててよかったな」という事がとても増えています。
生まれる前から、決まっていた道なんだと、虐待を受けたことはとても嫌だったけれど、それを丸ごと引き受けて自分を肯定していくことが、今の私につながって、気持ちも穏やかになれるんじゃないかなと、少しワクワクしています。
努力したことは手話でも、ピアノでも、人間関係でも、実っていくことがわかって、とてもうれしいです。
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