忍者ブログ

虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「汝、この者を妻とし、病める時も健やかなる時も、これを敬い、愛する

か?」そんな問いに、自信をもって「はい」と答えて始まった、私たちの結

婚生活だったが、料理はあまりつくらない、掃除はまったくしない、金銭管

理はできない、しょっちゅう病気にはなるの、3拍子、4拍子で私は、結婚

してすぐに自分の選択のあやまちに気がついた。


 私とかすみは、共通するボランティア活動を通して知り合った。第一印

象はお互いに最悪で、私はきつい顔をしてまわりをしきっている彼女を、

「うぇ~~、いやな女!あんなやつとつきあう男なんて絶対いないよな~」

と見ていた。当時彼女は、ボランティアの場によく小さな小学三年生くらい

の歳の離れた妹を連れてきていて、私は直に彼女が妹を引き取って育て

ている「感心な」女性であることに惹かれ始め、出会って何ヶ月目に結婚

の約束をしちゃったのであった。彼女が「妹連れの、感心な、かわいそう

なひとである」ということも、結婚を決めた要因の大きな一つであったと思

う。私は、わりとそんな境遇には弱い性格で、自分のキャパもないくせに、

「よ~し、おじょうさん、その荷物、あっしが一緒にかつぎましょう!」なん

てすぐ思ってしまうおばかな人間だった。

 私の方の負い目もあった。私は当時ボランティアか仕事かわからないよ

うな待遇の非常勤嘱託の仕事をしていた。その仕事も実は「その仕事、あ

っしが、。。。。」と前の年にホイホイと引き受けていたのだが、結婚して生

活できるだけの稼ぎをもらっていなかった。しかし、「妹連れで、感心な女

性」が、そのろくな稼ぎもない男と結婚してもよいというのだから、私にとっ

てかすみは、「妹連れで、感心で、貧乏もいとわない、類を見ない立派な

女性」となった。

 そうして、妹、かすみ、私の三人の暮らしが始まった。


 しかし、実際はそんなに甘くはなかった。私は、うまくいかないこと、貧乏

なこと、失敗することを、すべて「かすみのせい、妹のせい」と、思うように

なった。特に、かすみの妹にはつらくあたった。子どもが好きだった私は、

最初のころこそ、コロコロと遊びころげるよいお兄ちゃんであったが、共に

暮らすとなるとやることなすこと全て気に食わなかった。

今でも、大きな後悔の念と共に覚えている事件がある。

その夕、かすみは不在だった。私が夕食の準備をしようと家へ帰ってみる

と、妹が私が夕食の材料にしようと思っていた、焼きちくわとキャベツを、

おやつ代わりに食べてしまっていた。私は猛烈に怒った。そして、近くのス

ーパーへ買いに行くよう妹を責めた。しかし、妹はがんとして反抗し、頭に

血が上った私は、妹に何度もこぶしをあげた。

今、冷静に振り返ってみると、妹は冷蔵庫の焼きちくわやキャベツさえも

食べてしまうほど、おやつもなく、ひもじかったのだと思う。しかし、うわべ

だけやさしく思いやりがあるように見せるが、本当はそんなものはもって

いなかった私には、まったくそのような妹のひもじさにさえ、考えはおよば

なかったのだ。そんなふうにこぶしをあげて、妹にけがをさせてしまったこ

とも数回ある。しかし、私は「自分がそんなふうにみにくい自分になってし

まうのは、妹がいるせいだ」と、そこでも妹を恨んでいた。「逆恨み」という

ことばがあるが、まさに自分勝手な理論で妹を逆恨みしていたのだ。

私は、妹にした体罰や虐待を、取り繕おうとは思わない。あのことは、まさ

に虐待であったし、妹に非があるものではなく、大人である私が犯した大

罪であることを、妹と神の前にざんげしたい。

 

 

かすみともよく殴り合いのけんかをした。私も短気なら、かすみも妹も、勝

気でまったく引くということがないのだから、いつもぶつかっていた。

その当時のことを思い出すと、時がさかのぼれないということ、巻き戻せ

ないということに愕然とさせられる。けんかをして初めて手を上げたときに

かすみが言った、「あんたも、くそおやじと同じだ!」という悲鳴を私はそ

の後ずっと忘れることができずにいたが、その悲鳴のもつ闇の深さに私

はまだ気づいてはいなかった。


かすみも、私も、家の外ではとてもよく働き、活動する人種だったが、お互

い家の中は苦手だった。今であれば、夫婦共稼ぎであれば家事も分担が

当たり前になってきているのだろうが、20年前の私の頭脳はそのように

はなっていず、「なぜ、結婚したのに、家計やら家事やらに頭をわずらわ

せなけりゃならないんだ!」と常に思っていた。

かすみは、けんかする以外の時は、私にはとてもやさしくしてくれた。しか

し、何かと外でトラブルをよく起していた。言い方がとてもきつく、特に相手

の弱点や失敗をつくときには、容赦なく心臓をえぐるような言い方をよくし

ていた。かすみに言わせると、「私だって、同じように傷ついてきた!」と

いうが、まわりから遠まわしに「かすみさんがいかにまわりの人を傷つけ

ているか」を聞かせられる立場になる私は、徐々に「また、トラブルを起し

ているのではないか」という疑心暗鬼の目でかすみを見るようになってい

ったと思う。


義理の兄と一緒の生活で、妹は中学、高校と、いろいろなことをしでかし

てくれた。

今思うと、私は「しつけ重視」というお題目を掲げて、妹の行動を監視し、

鉄槌をくだしていた。後年、子どもと接する仕事をするようになってから、

「しつけ」という「押しつけ」に、疑問をもつようになったのは、その時の自

分を振り返るからだと思う。

高校二年の修学旅行の時、宿でタバコを所持していたということで学校か

ら実父に連絡が入り、かすみ、妹の父が遠くの街からすっ飛んでくるとい

うことが起きた。その時、父から「おまえたちにあずけたから、こうなっ

た。」と言われ、出迎えの駅で学校関係者、父母が居並ぶ中でとっくみあ

いのけんかをしそうになった。どういう理由だったか忘れたが、たまたま

かすみは駅に来ておらず、その出来事を伝えると、「あんなおやじでごめ

んね、ごめんね。」としきりにあやまっていたが、最後にポソッと、「だけ

ど、あのおやじのこと、全部知ったらあんたは許せなくなると思う。。。」

と、つぶやいた。その時、私の頭の隅に、ある小さな想像が芽生えた。

 

 

 

 

拍手[0回]

PR
   
Copyright ©  -- 虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by Crambon / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]