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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

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朝から、あまり積極的な気持ちになれず、かかってきた電話にも出ないでいたけど、年末から結構SOSが来てたものあって、こちらからかけた。

そんなに大変なことじゃないんだけれど、Drから「よくなっています」って言われたと、超喜んでいたので、「いっきに薬をやめれるって思ってないよね?」ってかくにんしたら、「あれ、ばれてる」っていう会話だった。

あのねぇ・・・・。それを何度もしてきたから、繰り返してるじゃんね。 お願いだから、それはもうやめようね。

そんな対応をしていたら、いっきに気持ちが沈んじゃって、孤独になりたいモード。

ハア・・・・。今日は父の誕生日でした。

昭和8年っていくつになるんだろう。 覚えてますか?

誕生日、お祝い準備してた私たちは、子どもの手で、お寿司を作って待っていました。

けれど、父は帰ってこなくて、夜中に「くだらない」って言われた。

「ありがとう」だと思うんだけれどね。 私って、うらみがましいでしょうか?

お正月が憂鬱になるのも、この6日があるからかな。


忘れたい。だれか忘れさせて。
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20代前半かしら??

妹も4歳くらいだったけど、8トラのカラオケでよく歌いました。
歌いましたというよりも、地域のお祭りで歌わされました。(笑)

自分の結婚式の時にかけてほしかった曲があったんだけれど、「メリージェーン」に変わってしまっていて、ピキ!!としたことがあります。(笑)

よりによって、嫌いな曲の一つが結婚式でかかるなんて・・・・(T_T)


ゲオでレンタルできるだろうか?

探検してこようっと。(*^^)v

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今朝早く電話が鳴った。

昨日の夜、夫が唯一安らぎをくれた母方の親戚のところによるかどうか、迷っているとのことだった。
 
Drで、いろんな経験をしながら、いろんな話をしてくれた人でもあり、結婚してから何度もあったわけではないけれど、確かに夫を一人の人として、見守ってくれていたんだろうと思うような人だった。

認知症もあり、すっかり弱っていたと聞いていたので、今年はもう会えないかもしれないから寄ってくると夫は話していた。
 
実家にもまーさんが「おばあちゃんのつくる旨煮とお雑煮が好きなんだよね」と電話で話していたのだけれど、「明日行くよ」という電話のあとで、「来てもいない」と祖母から折り返し電話が来た。
 
夫は、自分たちが行くことが迷惑なのか?というモードに入り、そのおじさんの所に行くもの、母から「来ないで欲しい」と言われ、どう思う?と電話相談だった。

その声は暗く沈んでいて、彼らしくない。
 
夫も自分を責める性格だから、「来ないで欲しい」と言われると自己否定をされたようで悲しくなるのだろう。

でも、私は「年齢を考えたら来年はないかもしれないし、

行こうと思ったときに行動しておかないと後悔するよ。

自分で決めたことだから、お母さんは関係ないよ。

kenちゃんがしたいことをするべきで、

そしてその責任も自分が持てばだれもなにもいわない。

だから、行っておいで。

もしお母さんにあったら、自分の気持ちで来たんだ。

そういえばいいし、もうお母さんにコントロールされる必要はないんだよ」と

母の言葉からの呪縛から解いた。
 
・・・で今朝の電話は、そのおじさんが亡くなったという知らせだった。

実家にいっても、祖母はいないと連絡を受けていたのだけれど、

急遽その祖母を乗せてそのおじさんの所に行くことになったから・・・と。
 
「kenちゃんを呼んでたんだよ。

しっかりありがとうって言ってきたらいいよ。」と電話を切った。
 
実家を訪問するにあたり、私は最近行かないので、どんな評価を受けているのかわからない。
 
いつだったか、電話で彼の母に

「条件付きの愛情は彼にとってつらかったと思いますよ」と話したことがある。
 
彼の父は軍人であったこともあるのと、4男で「必要のない子ども」として生まれ育った。

けれど、植物を愛し、それなりの地位まで仕事で功績を得た。

だけど、言葉の端端に、私の父と同じ匂いがする。
 
秋葉原の大量殺人事件の時に、両親の会見があったあと、

夫が電話で聞きたいことがあるんだ。
あのお父さん、誰かに似てないか? と聞いてきた。

それは、どう答えてほしいのかすぐわかった。
 「あなたのお父さんでしょ」

「やっぱりそうだよな」
 
彼は誕生の時に、仮死状態で生まれ、(へその緒が途中で切れた)

そして、蘇生し喜んだのもつかのま、頭が大きいことから、水頭症を疑われ、

幼児期は斜視であることで何度も検査や手術を受けた。
 
そのたびにがっかりする両親の顔を見るのが嫌で、

自分の意思で手術をしない道を選んだ。
 
彼が彼であるために。

日曜日に友達と遊ぶ約束をすると「お父さんと遊ぶ日だろう」と怒られてきた。

その遊びは目の訓練のための、キャッチボールで、死を想像するくらい怖いボールだったらしい。

それはわが父も同じで、どんな時も、真剣に投げてくるから、子どもの私たちでは

「怖い」以外何物でもない。

そんな状況にあるkenをすくってくれたのが、そのおじさんだろう。
 
多分葬式には出られないので、最後の別れだと思う。
 
いっぱい泣いて、その姿をまーさんに見てもらって欲しい。
 
形だけの葬儀だけが別れじゃない。
 
心の奥底でたくさん泣いてきてほしい。
 
私たちは、結婚するときに誓う。
 
健やかなる時も病める時も、愛をはぐくむことを誓いますか?
 
どんな夫婦も離婚の危機があったり、死別があったり、

それは結婚した時にもう決まっている道なのかもしれない。
 
私は夫にいろんな経験をさせてしまったけれど、

夫のインチャイにも楽しいことや、

うれしいことがたくさん訪れがあればいいなと思っている。
 
えっとちゃんは、3歳くらいでとてもかわいい。
 
多分斜視が発見される前のころだろうと思うけれど、

そんなに大変な障がいでもないのに親が必死になってしまう。

子ども自身が「自分はだめなんだ」と思ってしまう。
 
けれど、「命」さえあれば、なんとでもなるんだじゃないのかな。

この歌は、きっと結婚式でたくさん歌われるだろう。

もし自分がそんな機会に恵まれたら、想いをこめよう。


それぞれが大切な存在で、これからもそうなんだよ。
だから、これからの人生は、自分たちが作っていってほしい。

自分たちの価値観を大切に、時には喧嘩して、気持ちを言葉にして、よく話しあって夫婦ってなに?って考えて行ってね。

そんな気持ちを込めて歌いたい。

けど、もう結婚式なんてないか・・・・。(笑)




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1975年だから、15歳。

深夜ラジオから流れていたと思われる。

だから、歌っている人の姿を見たのはつい最近。
 
名前も思い出せなくて、なんだっけ? 歌詞も覚えてないから、見つけられない(笑)

いつだったか、やっとつながってCDを買った。 中3か高校一年か・・・。

やっぱり受験の年なのかな。 夜は起きてないと危険だから、ずっと起きていたよ。

父が寝てしまうまでね。 このときは、もう再婚してたから、Yさんが妹になっていて、同じ部屋で過ごしてた。

彼女は、ピアノも習っていて、勉強ができて自慢の娘だったよ。
 
あとで大人になってから、話した時には、「勉強するしか、道がなかった」って聞いた。
 
そうだよね。あの暴力からは逃れられない。特別な子どもでいないとね。
 
そんなときに、聞こえていた「愛がすべて」なんだ。







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