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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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私の中の『小さいおねえちゃん』との出会い

 私は、小さい時の自分が好きではなかった。
保育園でお弁当が食べられず残されている自分。おかっぱで、ガリガリにやせ、いつも暗い顔をしている自分。いつも叱られ、叩かれている自分。父に嫌なことをされても逆らうことさえできなかった自分。思い出したくもない小さい自分がいる。

今日は、心の中の自分と会う。
それはとても不思議なことであり、1度で会えるかどうかはわからない。
何人いるのかもわからない。深呼吸をして、会いに行く準備をはじめる。

自分にちゃんと根っこが生えてくるように、呼吸をする。
ゆりさんの言葉に耳をすませながら、イメージを作る。
そこは、広い原っぱ。
大きな太い木がそこにある。葉っぱがたくさん茂り木漏れ日が見える。そんな樹の幹の扉に自分が入っていく。一段一段暗い階段を下りていく。時にはエレベーターのようにぐぐ~っと下がったりしながら、階段は10段。そこから、また扉の中へ入る。
すごくまぶしい。そして暖かい光だった。周りを見回すとバスターミナルのようなものがあり、小さい子がバスを待っている。この子が10歳の私だった。
「どこに行くの?」と聞くと「あったかくて、明るいところ」と答えた。「一緒に行ってもいい?」と聞くとはにかみながら笑う。バス停に隠れながら、「いいよ。」と小さい声でいう。
バスが来た。二人で後ろの席に座る。
ときどき、ゆりさんの声が聞こえる。
「どうしたいか、聞いてみて・・・・」

(どうしてバスなんだろうとずっと考えていた。
 母が実家に帰るときにバスを利用していたことが多かった。
 どうしてそうなったかはわからないけれど、私は置いてきぼりを食うことが何度かあっ た。ピアノの発表会とか、大切なときに。
 雪の降るときも一人ぼっちにされたことがある。
 最近、三浦綾子さんの氷点の宣伝をしているけれど、きっとわざと困らせたかったんだ ろうなと言うことがわかってきた。それこそ、事故にあって死んでいたら彼女は嬉しか ったかもしれない。悲劇のヒロインになれるから・・・・。)

これからどうするの?」と聞く。笑いながら、答えない。
私はこの細くて小さいおねえちゃんを抱きしめたくなった。
「抱っこしていいか聞いてみて・・・・・・」ゆりさんの声が聞こえる。
「抱っこしてみてもいい?」すると、娘と同じようにスルンと私の首に巻きつき、「会いたかったよ~~」のぎゅうの体勢になった。思わずぎゅうっと抱きしめた。私はこんな小さい子に苦しみや悲しみや辛い事を背負ってもらっていたのだと思ったら涙が止まらなかった。「ごめんね、気がつかなくて。忘れていてごめんね。」何度も何度もそう心の中で叫んだ。

 ゆりさんが「kasumiさんはこれからどうしたいの?」と聞いた。
私は思わず、「『おねえちゃん』を、連れて帰りたいです。」と叫んだ。「じゃ、小さいおねえちゃんに聞いてみて?」「一緒に帰ろう・・・・」そういうと、『おねえちゃん』は少し困った顔をして「そのお家に行ってもいいかどうかわからない。」と答えた。するとゆりさんは、「そうだね。今日初めて会ったんだもんね。でも、かすみさんはおねえちゃんのことは忘れないよって言ってるから、会いたい時はいつでも会えるんだよ。」そういって、もと来た道に戻るように誘導してくれた。来た時と同じく10段の階段、大きな樹、扉。その作業が終わったときの私は、涙でぐちゃぐちゃ・・・。
抱きしめていたのは、毛布だった。今度はぬいぐるみを連れてこよう。
家に帰ってからの、おねえちゃんとの出会いの仕方を教えてもらった。
一日1時間くらい。おねえちゃんは右手の手のひらにいる。
ときどき、暖かくなったりする。帰ってきてから、小さいおねえちゃんのことを家族に話すと、それぞれがときどき右手の手のひらをなぜてくれる。特に娘は「右手はちいさいおねえちゃんがママと手をつないでいるから、まあちゃんは左手だね。」といって笑いながら、歩く。

 このときから、私の中で小さい変化が少しずつ出てきた。
右手の手のひらをなぜてもらうと気持ちがいい。悩んだり、困ったりしていると『ここにいるよ』と、手のひらが温かくなる。このあとの面接のために、本当は書かなければならない手紙を書けなかった。家でなにもせず、ボーッとしている時にいつもは冷たい手が右手だけが暖かくなる。私は、スヌーピーが好きだ。どんなに小さくても大きくても、そこにいるだけでホッとする。携帯には、小さいシールがたくさん張ってある。時には、バックのなかにもいたりする。今回のカウンセリングのために、夫は大きなスヌーピーを買ってくれた。抱きしめるには私が小さいので無理があるが、そこにいてくれるだけで安心する。汚れないように、そっとお腹のあたりを触る。
小さいときにも、自分の寝る枕の周りにたくさんのぬいぐるみを置いていた。こわれかけたものは何度もなおした。ある時、父がボロボロの熊さんと、羊さんを投げてしまった。私は泣きながらごみ収集車を追いかけて返してもらった。でも、そのうちの一つは後でまた捨てられてしまった。小さいときの自分は好きじゃない。でも、今まで私を支えてくれてたのは、その小さい自分だった。私の変わりに苦しんでいたり、悲しんでいたりしていた。
大人の自分でも辛い事を身代わりになってくれていたのだと思うと、言葉では言い表すことができない。私は娘がうらやましい。天真爛漫そのものだ。身体もプクプクしていて触ると気持ちがいい。どうしたら、こんな風に生きられるのだろう。どうして、私はこういうふうに育つことができかったのだろう。いつもつきまとう。どうして? どうして?どうして?・・・・・・・


 

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