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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 ●虐待の事実を明らかにする。
13歳の時に、私は妊娠しました。父親の子どもか、ボーイフレンドの子どもか、はっきりしませんでした。そこで私は性的虐待を受けているのを人に話すこと(カムアウト)を決意したのでした。
その人が何歳dあれ、決意するためには理由が必要でした。しかし適切な時期と言うのはないのです。
家族を守るために、などどとカムアウトしないほうがいい理由をすぐに見つけようとします。

しかし私は妊娠したので、ボーイフレンドにお相談しようと決めました。
まず、警察に行って話をした方がいい、と彼は言いました。特に私の妹達を守るためには警察に行った方がいいと。
私は事の成り行きを想像しました。警察に行って、具体的に何が起こっているのか通報する。そうすると警察は父親にそのような行為はやめるように言って。実際に彼はやめてくれるだろうと。そのようになることを信じていました。
私は非常に世間知らずでした。減殺もその年齢の子どもは同じようなことを考えますけれども。

今私は53才ですが、私が13歳のころには、一般的に言って世間の人々は何が起こっているか知りませんでした。性的虐待のことについては無知で、話題になることもなかったのです。

警察に行ってみると、私は尋問を受けました。私はむしろ質問攻めにあった、と感じました。
2時間から4時間位にわたって質問を受けました。
なぜ嘘をついているのか、なぜこのような作りごとを言っているのか、なぜ家族に対して起こっているのか、なぜこのように家族をメチャクチャにできるのか、と。

警察hいろいろと質問をした後で、私の両親に電話をしました。警察は私の言ったこと全てを両親に話してしまったのです。


同時に警察は私に、今後ボーイブレンドに会ってはいけないと、言いました。なぜなら彼は19歳で私は13歳でしたから。私と関係を持つことによって、彼は罰せられる可能性があったのです。

この時点で、私を支援してくれる唯一の男性が私の世界からいなくなってしまったのでした。



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 ●家族の中で孤立して

私はバスで返されました。当時はソーシャルワーカーとかあ、そういった関係の情報を見っていませんでした。誰も教えてはくれませんでした。尋問を受けたすぐ後で、姉が迎えにきてくれました、姉は警察に「そのようなことは起こっていません」と否定しました。姉は私に対して非常に怒っていました。いろいろなことを言われ平手打ちを食わされました。

これも現在でもよくみられる反応です。

そして今度は父方の祖母の家に行きました。「私の言っていることは嘘じゃないよ」と言いました。すると祖母は「もちろん、それは知っていると」と言った後、和足を地下室に2週間閉じ込めました。そしてこのように行ったのです。「お父さんに謝罪し、告訴は取り下げなさい、そして嘘をついていたという文書にサインをすれば、お前は許され家族のもとにまた迎え入れられるだろうよ。」

当時は私は13歳でした。妊娠していて、孤立していました。家族に対してやったことは、非常に罪悪感を感じていました。ここで最悪だったことは、父が一度も「虐待の事実を口外しないように」と言わなかったことです。ただ「香佑が椅子レは、お前の母親はお前を憎むことになる。」と言いました。「家族もバラバラになり、子どもたちは施設に入れられ、お父さんは監獄に入れられることになる、家族をそんな風にしたいのか」と父は言いました。


このような状態で、私は地下室に2週間閉じ込められてしまいました。
しかし、これはある意味では自分の願いがかなったような状態でした。

父が予言したことがすべて起こりました。
それで私は地下室からでることになりました。
父の寝室に行って謝るまで、母は私に見向きもしませんでした。この時のことは今でも鮮明に覚えています。
寝室に行ってみると父はベッドで横になって泣いていました。今まで父親がなく姿を見たことはありませんでした。ひどく年老いて見え、身体をゆすって動揺していました。
私はそのとき、父が死にかけているのだと思いました。そして父をこのようにしたのは私だ、私のせいだと感じました。父の方に歩きながら、今まで起こったことはそんなに悪い事じゃなかった、家族w失う事に比べれば、そんなに悪い事じゃなかった、と思ったのです。


そこで私は父に謝りました。人に話して悪かったと。

その時父も誤った「もう2度とあんなことはしない」と言ったので、私は彼の言葉を信じました。警察がやってきて、私は“偽証しました”という文書にサインをしなければなりませんでした。

でも警察官から「この後も家族のもとに帰ることはできないよ」と言われました。そうして、4人姉妹はバンクーバーにいる祖母のもとに行かされたのです。




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リンダの祈り、みんなの祈り

kasumiさん、こんにちは(kasumiさんでよろしいですか?)。
私も最近「まだ救われてない自分」を感じています。リンダさんの講演会があったのですね?紹介して下さってありがとう。

>そこで私は父に謝りました。

私は父から「母に謝れ」と謝されたことを思い出しました。「なんで?」と聞いても「いいから謝れ」と怒り、しぶしぶ、泣いている母に「ごめんなさい」と言いました。10歳頃でした。とっても嫌でした。その時母は一言も言いませんでした。消えない記憶の一つ。。。二人に何があったのか今だに解らない。5年前に改めて話した時に聞いたけど「覚えてない」と母は平然と言い放ちました。私が凍り付いたいくつかの場面、母は別世界にいた人のように「知らない」「覚えてない」と全ての質問に答えた。それで私はある意味吹っ切れましたが、だからといって終わりではなかったのだなと、日々感じています。
kasumiさんのおっしゃるように、私も未だに自分自身を性虐待の被害者であることを口では認めてはいるものの、だからどうなのか?については実感や自覚がないのだろうと思っています。社会的にも性虐待について、また、その伴侶(母親)について多くを語られていない現状で、自分がいまどの位置にいるか、自覚するのは難しいと思います。でも、私は私を救いたい。その為にもこの消えない記憶を元に向き合っていく必要があるのを感じています。そんな家庭の中でしか生きられない子どもは、家の中で何重もの被害(父親から、あるいは母親から)に遭う。でも誰にも言えないし、誰に何と言っていいのか解らない。幼い頃感じた疑問が、40年近く経っても解決されていない。これは罪深いことだと思います。またお話聞かせて下さい。いつもありがとう。

Re:リンダの祈り、みんなの祈り

>kasumiさん、こんにちは(kasumiさんでよろしいですか?)。

どっちも、私なので、呼びやすい方で(笑)

>私も最近「まだ救われてない自分」を感じています。

救われていることを実感できないことっておおいですよね、
自分なんて・・・・と、比較の原理に走ってしまいやすいしね。

でも、それでもいいのだと私は想います。
ずいぶん頑張って生きて来てるのだし、子育てだって、サバイバーではない人には想像できないくらいの葛藤がありますよ。(笑)

リンダさんの講演会があったのですね?紹介して下さってありがとう。
2000年に開催された講演会の記録なんですけど、古くて新しい感じがしたので、記事にしてみました。

こういう講演会が日本でも当たり前にできるようになってほしいですね。

>
>>そこで私は父に謝りました。
>
>私は父から「母に謝れ」と謝されたことを思い出しました。

謝りたくないことを強要されるのはとてもつらいですね。

>母は別世界にいた人のように「知らない」「覚えてない」と全ての質問に答えた。それで私はある意味吹っ切れましたが、だからといって終わりではなかったのだなと、日々感じています。

そうですね、終わりは無いし、薄れていっても消えるものではないですよね。

終わった!とか思っているとまた別な記憶が出てきたりしますから、びっくり箱を抱えて。。。というように核兵器に近いかもしれませんね。
自分への破壊力、他人への破壊力、半端じゃないし、コントロールするのも、大変です。
>kasumiさんのおっしゃるように、私も未だに自分自身を性虐待の被害者であることを口では認めてはいるものの、だからどうなのか?については実感や自覚がないのだろうと思っています。社会的にも性虐待について、また、その伴侶(母親)について多くを語られていない現状で、自分がいまどの位置にいるか、自覚するのは難しいと思います。でも、私は私を救いたい。その為にもこの消えない記憶を元に向き合っていく必要があるのを感じています。そんな家庭の中でしか生きられない子どもは、家の中で何重もの被害(父親から、あるいは母親から)に遭う。でも誰にも言えないし、誰に何と言っていいのか解らない。幼い頃感じた疑問が、40年近く経っても解決されていない。これは罪深いことだと思います。またお話聞かせて下さい。いつもありがとう。

どういたしまして。
私にできることは、自分が整理できたことをここで発信すること、多くの人にその事実を知ってもらう事、そして気づいてもらう事。

被害者だった小さな子どもたちに、「自分は悪くなかったのだ」と思ってもらえるとうれしいです。

そして、こうやって書くことで、自分を癒しているのだと私は思えるので、一石二鳥ですね。(*^^)v
  • from kasumi |
  • 2010/08/15 (19:29)

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