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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 ●元に戻ることはできなかった

この時まで私は思っていました。私は今まで加速が求めていることをすべてやってきた。だから普通の状態、以前と同じ状態に戻ることが出来るに違いないと。 しかし、実際にはまったく変わってしまいました。すべてが一変してしまった。事実を公表した後、家族が以前の状態に戻ることは出来なかったのです。

それからというもの、姉妹たちは私に対して起こっていました。
「あなたさえこんなことをしなければ、家に戻ることができるのに・・。」そのようにして、加速は私に怒りをむけていました。「自分のしたことを見てみろ」と言われました。「父の仕事にも影響を与えている。家族をバラバラにしてしまった。い線とは全てが変わってしまった」と。

それまでは私は成績が一番の子どもでしたが、その後はバンクーバーでいろいろな問題を起こしました。買い出をした時は「あばずれ」と言われました。家の中にいるときは「いつも無愛想な顔をしちる」といわれました。そこでいっそのこと、どんなに私が悪い子か見せてやろうと思い始めたのです。
それから13歳から15歳までの1年半というもの、学校にはかろうじて顔を出す程度でした。バンクーバーで売春をしました。2回監獄に入りました。最初は万引きでした。2度目は母親に通報されました。どんなことをしても校正出来ない「矯正不可能」と言う告発を受けました。
14歳の時に、再び妊娠しました。そのときバンクーたーの少年院に入れられた私は、独房に収容されました。全ての人権を奪われてしまうような場所です。毛布さえも与えられなかった。
ある晩、男性の慣習が来てひどく殴られました。それで流産し始めたのです。驚いた感巣がナイフで私を切りつけ黙っていろと脅したので、私は怖くて何も言えませんでした。私はそこに入所した時よりも、少しタフになって出てきました。


 ●「すべては自分のせい?!」
そのころには、人生で起こったこと全ては自分のせいだと思い込むようになっていました。15歳の時に、裁判官から実家に戻る様にと命令を受けました。
実家に戻る前の1年半くらいの間は父親の実家に住んでいました。そこでは父の父、つまり祖父からもの性的虐待をうけるという、非常に皮肉な状態が生まれていました。でも、その事実を人に言う事はしませんでした。なぜなら、まず聴いてくれる人は誰もいなかったからです。

それから2番目の理由は、祖父がやったことは父のやったことに比べてそんなに悪くないという感じだったからです。彼は私にお金を払っていたので、そのことを言えばさらに大問題になると思いました。14歳の時に、他人に強かんされた経験もあったので、近親間の強かんと、他人のそれとの違いもしることになりました。

実家に戻るようにという命令を受けた15歳のその時点では、2度と父は私のからだにさわったりしないだろうと考えました。けれども戻ってから1週間か2週間後、同じことが起こったのです。その時心の余裕はもうなかった。私さえ虐待を受けていれば、他の姉妹は自由であると思った、思おうとしたのです。



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