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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 ●赦すのは私の役目ではなかった
皆さんに是非分かって頂きたいことがあります。
これはよく受けられる質問なのですが、「自分の父親を許しましたか?」と。
私はよく人から
「忘れろ、そして許せ」と言われます。
「過去に起こったことなんだから、水に流せ」と。

皆さんもこのようなことを聴かれた事があると思います。
でも私は「いいえ」と答えます。

私にとっては、自分の父親が性虐待の加害者であるという事を受け入れる、受容することの方が重要だったのです。そして、それは変えることはできないことを、私自身が受容することが重要でした。

許すとひとことで言っても、その人その人にとって、その言葉はどのような意味を持つのでしょうか。
父は私を虐待し、私に許しを請いました。私は許しました。
しかし、彼はまた虐待しました。ですから、許すことは私には大きな意味を持たないのです。

北米で有名なテレビ番組で、オブラ・ウィンフリーのトークショーがありますが、彼女はこう言いました。
「仮にあなたが許したらといって、再び許しの対象になった人を自分の人生の中に迎い入れる必要はない」と。

それから、実は一番重要な事を司祭に言われたことがあります。司祭のひとりが「あなたは父を許しましたか?」と聞きました。私は非常に自己防衛の本能が働いて、「ノー」と答えました。するともう一人の司祭がはっと立ち上がって、最初に質問した司祭にこう言ったのです。


「そもそも、彼女を裁くなんておまえにどんな権利があるのか。おまえは聖書をわかっているのか」と。

キリストが十字架にはりつけになったときでさえ、キリストは自分をはりつけにした人たちに、あなた方を許す、とは言っていません。キリストはこういいました。

「父よ、彼らを許してください。なぜなら、彼らは自分の行いを知らないのですから、許してあげてください」と神に祈ったのです。

そこで司祭はこう言いました。
「許すことは彼女の役割ではない、加害者たちは彼女に許しを求めているかもしれないけれども、許しを請う相手を間違っているのだ」と。


その時許さなければ行けないという重荷から私はようやく解き放たれました。
その重荷は私に課せられているのではないとわかったのでした。



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