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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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 私の中の沸点は、理不尽だと感じた時に爆発する。

「ふざけるな!」と思う時。

常々、これって嫌なんだよねと伝えている人から、あえてそれをされる時とか、辞めてほしいと言っているのに、わざとするとか。

学校の先生とか、人を見下している方々に多いと私は思っている。

私は、知的障がいの施設で働いていた時に援農といって、近所の農家の手伝いを利用者さんと一緒に指導員として出かけていた。実は、あまり好きじゃない。

けど、かぼちゃを磨いたり、縄を編んだり、トウキビをもいだり、お仕事として関わる時は、技術はあるのさ。(笑)
完璧主義者だからね。

あの時代、利用者さんは「生徒」と呼ばれていた。学校でもないのに「生徒?」と疑問もあったけれど、経験のある指導員がそう呼ぶのだ。

そして、指導員からの性暴力が女性の利用者さんにあった時も、「ふざけるな!」と職員会議で一人で怒っていた。そのころは、またそれが女性に対する暴力だという認識はなかったれど、ないものにしようとする男性指導員に腹が立った。

受け入れるということは、喜んでいるのだという神話にも、腹が立った。

自分のされたことが、性を乱用した暴力だったという認識はまだなかったけれど、理不尽な怒りをもっていた。


私も、30年前のことだから、指導員としてどうよ?ってこともあった。
利用者さんが、大人だから、20才そこそこの私はなめられないようにという言葉を真に受けて。

それでも、めーせんせい(みー先生という意味)が大好きと転園したさきで、ずっと言っているというのがわかった時は、ありがとうって思った。
いまだに来る年賀状。

そう、私たちは、数少ない知らない親戚のような存在なのだ。

何年経っても、ウエルカムで喜んでくれる。

その器の大きさ。

見習おう。


ろう者もそうだけれど、受け入れる器は大きい。

唯一の自信のある手話の世界でも、私ははみ出した。
なぜ?って当事者の側に立つのをやめなかったから。


聴こえる人に寄り添わなかったから。

それでも、私が活動できるのは当事者が、私を呼ぶから。
それは、私が育ててもらったお庭があるから。

それを、土足で入ってくる。
侵入的に、意図的に・・・。境界線を持たずに、無遠慮に入ってくる。見下して・・・。

そういう人はたくさんいる。たくさん見てきた。
いつも5年我慢しよう、そう思って来た。

当事者を大切にしていない人は、自分から消える。

そういう意味では、私は我慢強い。(笑)


だから、手話でだったら何にでもなれる。
ろう者がそこにいれば、私は歌手、女優、落語家。

オペラ歌手。
何にでもなれる。

おたおたなんてしたことは、一度もない。
緊張もない。

そこにろう者がいるから。

情報が欲しいと待っているのだから。
怖いことなんてなんにもない。


泣きたくなったら、泣きに帰る場所があるから。
愚痴を言いたくなったら、言いに行く場所があるから。

これが、「実家」に帰るってことかもしれない。

目には見えないけれど、帰る場所があるってことなのかもしれない。

その帰る場所を奪おうとする人には、俄然ファイティングモードになる。
これって、私にとってはあたりまえのことでいいのかも。


私の大切な人を傷つける人は赦さない。

赦す必要なんてない。そう思っていてもいいんだよね。(笑)


もちろん、必要以上には言わないけどね。
何度も同じことされたら、かみつくよ。


怒らせると怖いんだよ、わ・た・し。


そう思われてるんだろうな・・・。(笑)



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