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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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自分で、きっとこういうことが違うんだろうな・・・と思うことを羅列して見る。

一番大きな違いは、人格が別れているってこと。

自覚したのは、3年くらい前かな。

うすうすとは解っていたけれど、子ども時代の体験で自分の奥底にインナーチャイルドが置き去りにされてて、ずっと私を待っていてくれて、その子とであえたことで、自分が抱えてきた悲しさ、悔しさ、恨み、憎しみ、痛さ、辛さという感情があるってことを知った。


それ以前から、「人が変わったようになる」と言われたこともあったけれど、自分自身は謎(?_?)だらけだった。

娘が生まれてからは、「母親になると人が変わるね」と声のトーンも、態度も、本当に別人に見えたらしい。


それがあとから、「別人」だったと言うことが解って、納得もしたけれど、私が生きてきていろいろなトラブルに巻き込まれるのは人格交代があるからだと、悟った。


記憶が途切れているのは、幼少期、学童期、中学、高校と家を離れるまでの18年間の中が一番多いし、突然授業の内容が(?_?)はてなになる。

けんかした記憶のないひとと、仲たがいをする。
それを周りの人は、「ちょっとやりずぎ」と非難していた。

何かをしたのだろうけれど、本人は別な人のしたことだから、もちろん記憶にはない。

最近、多重の関係の本を読むと、「これこれ、私」だと笑ってしまう。

ある程度、心の傷の回復作業は進んでいるし、それぞれの人格さんたちとアプローチできるので、今はあまり困っていない。

けれど、娘の反抗期にはやきもちを焼く、男の子が出現していて、困ったことも多くある。

娘も夫もその状態の私を良く理解してて、「母ちゃん自身じゃない人がしていることだから」と割り切ってくれることもあったり、「まったく、何人に話せば納得するんだ」ということも、あったりする。

なので、今はそんなにないけれど、「ここはどこ?私はだれ?」みたいな人生だった。(笑)

それが私にとっては「普通」のことで、自分の記憶を頼りに考えると、一人の人格でいたことってあるのか、ないのかわからない。

一番小さい私は「座布団の上で泣いている赤ちゃん」
この赤ちゃんは、最近出会ったんだけれど、お腹がすいているみたいだし、だれも抱き上げてくれない。
そして、そのうち泣くのをやめる。

こういうことがいっぱいだから、私は泣けないんだろうと思う。

次の私は3歳で、弟が生まれてからだれかも見向きもされなくなった長女。
食べてないから、細いしかわいらしくない。
たしかに、弟の方がかわいいお顔だったけれど、彼が生まれる直後、私は祖父の家に預けられて、(なぜそうなるのかがわからないまま汽車に乗っていつまでも泣いていたと高校生の時に、祖父から聴いた。)
そのころの写真も、暗い顔をしてる。

それでも、母親を離れる時に、大泣きしたということだから、どんなに無視されても、子どもとしての母親の存在はあったのかもしれない。


次の私は10歳くらいで、母親がずっとDVにあっていて、いつも怪我をしていたし、その治療に連れて行くのは私の役目だった。
それでも私は母を守りたくて、喧嘩のど真ん中に入って、変わりに殴られたり蹴飛ばされたり、時には体が飛んでよく頭や背中を打った。

私が蘇生能力が高いのは、このおかげだと思う。(笑)

たぶん母は精神を病んでいて、入院したり、実家に帰っていたのかもしれないが、実のところなぜ突然消えるのかわからない。

いつものように、家に帰るとだれもいない、ご飯もない、そんなことはエンドレスにあった。

だから私は自分ひとりだと食事を用意できない。

次の私は中2の男の子。

男だったらこんなことにならなかっただろうと思っている自分がいる。
もし、私が男の子だたら、もっと大事にされていただろうし、父親からの性暴力はなかっただろう。
第一子で女の子だったから、性的な暴力にもあってしまった。
だから、男の子。

この子は、娘のまーさんがうらやましい。けれど、守ってあげたい気持ちも多くて、わりとアップダウンが激しい。けど、不登校の彼女の気持ちが一番わかっていたのも彼だし、「てめぇ あまえんじゃねぇ」と思っていたのも彼だろう。(笑)

実家を出てからは人格が新しく作られることはないけれど)
ざっと数えて社会人適応人格と、何があっても適応する人格もいれるとやっぱり6人か。

本来の私は自信のない、人と関われないくらい性格だからともすると、その主人格がいることも忘れている。

・・・・っていうか、一番影が薄い。


今赤ちゃん人格と、その自信のない主人格と、いろいろ話をしたいのだけれど、あまりでてこない。

だから、楽しいこと経験すること、おいしい経験をすること、好きだったことをすること。
ピアノが好きだったのはその主人格さんだから、歌うことは彼女のためなのかもしれない。


自分のために流す涙はとっても大事なんだ。
いつも、いつも「泣くもんか!」と戦ってきた私には泣くことが自分を労わることになる。

泣いていいよ。頑張ってきた私たちに、いっぱい泣こうね。

これが人と違うところかな。

私は夜が怖くて眠れない。
誰かがいやなことをするんじゃないかって、脳の回路がつながっているから、
寝ないで、番をしている男の子がいる。

もう眠っていいよ。

岩崎広美の「マドンナたちのララバイ」が好きなのも、こういう理由があるのね。きっと。(笑)


美里ちゃんの歌が気になるのは、こんな青春時代だったら楽しいだろうなと思うからだ。

娘よ。
いっぱい恋をして、いっぱい勉強してくいのない未成年時代を過ごしておくれ。

キャピ、キャピしている君を見ているのが一番楽しい。


 目下の課題は主人格に自信を持ってもらうことかな。


私は、私と生きてきたけど、どれが私?ってなるので、人生の中ではいつも迷子状態。

こうやって生き延びてきたけれど、それでも私にしかできないことが結構あって、その路線から楽しい時間も増えて来て、「あ~~楽しかった」って思うことも、多くある。

つかれてきたので中断。

この手の話は、それぞれが考えているから頭が痛くなる。


今聴こえない人と手話で話をしてきて、リフレッシュ。

いろんな勉強をしてきたのと、体験してきたものをあわせると、私は「精神疾患」らしきものを持っているみたいだけれど、自分ではそれは「私」であって、障がいではないと思っている。



たぶんこれが「苦しいんです」と泣いて、Drに話していれば手帳も年金ももらえるかもしれないけれど、「普通」だと思っているので、診察の時に、こういう話をしたことがない。

愛がなかったから、仕事でそれを埋めてみた。
体が壊れるくらい働いた。

けど、体が悲鳴をあげてくれた。

自分の声でだせないSOSを心が出してくれた。
私の場合、自然治癒力がものすごく高くて、自分でなんとかするって思うし、Drも人間だからそんなに、力があるとも思わない。

脳の回線が間違ってつながっちゃってる部分もあるし、混線しているところもある。
だから、失敗も多いし、凹むことも多い。

けれど、私のいいところは、人の立場とか、して欲しいこと、周りの状況把握が早いところ、伝えたいと思ったら伝えられること。

一般的な人とは手法は違うけれど、それを一生懸命に関わること。

来る者拒まずで、去るもの追わず。

いつでも((8-(*'-'*)ノWelcome!ヽ(*'-'*)-8))でいたいし、離れたいと思ったら、離れてくれてもそれはそれで、いいと思ってること。

(これは人は必ず去っていくものと思って過ごした時間が多いからだと思う)
25年去らずにいてくれた夫には、頭がさがります。(笑)

私にとって大切なもの、人がいるって解ったから、これからはそれを手放さないようにすること。

これはできるように頑張る。(笑)

姿かたちにこだわるのではなく、心の中でつながっているっていうのはわかるから、それを大事にしようと思う。

来年は、10年ごとの体調をくずす節目。
大きな病にならないこと。
それができたら、私の苦しい旅は終わる。

生きているだけで十分価値がある。
それくらい、厳しい時間を過ごしてきたんだから、そう自分にご褒美をあげることができますように。

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そうだね。

自分にご褒美を。
そうだと、想った。
沢山の、ご褒美を、自分の為に用意しましょう。
うん。ミュージックサインの活動を通して、沢山のご褒美が、kasumiに訪れるような気がします。
  • タッカ さん |
  • 2009/09/02 (18:51) |
  • Edit |
  • 返信

ご褒美

この4年間苦しみながらいろんなことで初めから
やり直しをしてきた けっこう辛かったな 最近の出会いや活動はまとめて御褒美をもらっている
気がするよ考えたら良いことって自分にたくさん起こっているんだなってしみじみ思ったりします
みんなにありがとう

  • りぼん なみ さん |
  • 2009/09/02 (21:42) |
  • Edit |
  • 返信

タッカへ

ご褒美。
それは自分の活動が広がっていくことだよね。
4日、ものすごい大きな舞台が待っているのも、去年の上映祭では考えられなかったこと。
まーさんは、テレビの取材があってなんかかっこよかった。
苦しかった数と同じくらいご褒美があるとしたら、これからは、w(゜o゜)w オオー!っていうくらい出会いがあって、人とつながってそれを私が大切にできるってなるのかもしれないね。

だったら、すごいなぁ・・・。

なみさんへ

4年間お疲れ様です。
きっと、「まだまだだなぁ・・」なんて思うこともこれから先あるんだろうと、自分で考えてしまうこともあると思うけれど、快復は螺旋階段なんだって。

ぐるぐると、同じところを歩いている感じがするけど、ふっと上を見たら、明るかったり、景色が変わっていたりするんだよ。

これはkasumiが実証済みだから、安心してていいよ。=^-^=うふっ♪

なみさんにも、まだまだいっぱいご褒美があると思う。(((*★*プレゼント*★*)))ヘ(・_・ヘ).∠(o・_・)/由いっぱいですよ。

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