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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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結構今回は、長く函館で過ごして、今日朝、まーさんと歩いて駅までいった。

二人は歩くことが楽しい人たちで、そのゆったりとした時間いろんな話をして親子の別れを楽しむ。

父親とたわむる・・・。
そんな娘を見てて、親子ってこうなのかな?とか、父親が大好きな娘っているんだよね・・・などど自分の世界にはない感覚を目の当たりにする。

少し前まではたまらなく、それが「ずるい」とか「いいな」という嫉妬や憎悪の感覚を持ち、またその感情をもてあましてやりどころがなかった。

だから、長期休みがたまならく嫌だったし、夫が帰ってきている間、なんとか言いあいだけは避けようと、それなりに頑張ってきた。

それでも、「カチン!」と来ることはあるし、どっちもどっちだったり、単に私がごり押ししているのかもしれないな・・・と、気の強い母に似た、また言葉がとても乱暴な私がいるので、その人たちが表に出ているとすれば、悪いのは自分だからな・・・と、「どうせ悪いのは私」・・・



そのどつぼに入るとエンドレスに「迷惑をかけて生きてきた私はいらない」そう叫んでしまう。

いらないなら、近寄らないでよ。
いらないなら、慰めたりしないでよ。
わかったふりしないでよ。

私の出来ないことばかり数えて、責めるのはやめてよ。
25年間ずっとそうだった。

あれできない。これできない・・・・って。

駄目メッセージばっかりだった。

たしかに、いい人だよ。

けど、私だって、我慢してきたこと一杯あるよ。
だけど、これを言葉にしたら、いけないって 思ってきたから言わなかっただけだもん。

なんで、私を傷つけるの?

出来ないことをどうしてできないのか?って言われたってできないんだもん。

でも、出来ることもいっぱいあるよ、どうしてそれを認めてくれないの?

・・・・と娘がいるのに、叫んじゃったぜ・・・。(T_T)

些細な喧嘩でも、爆弾的な喧嘩でも先に謝るのは私で、25年間一緒にいるけれど、彼が「ごめん」を先に行ってくれたのは5回無いと思う。

自分が先に謝るのは、長引くのが嫌なのと面倒だから。

自分的には言いたいことを言ってしまえば、それでおしまいにしたい、特に出かける前には争わないというのを心に決めているから。
これは三浦綾子さんの積み木の箱という函館が舞台の小説(たぶん)に永遠の別れになってしまうシーンがあるから。

それはいやだなと思ってしないように気を付けていた。

けど、その日は私が出掛ける日で、夫が滞在している期間車を娘と使うので私は電車とか、バスを利用していたけれど、その日は2か所に行かなければらなく、車で出かけることにしていた。

けど、さあ出かけるぞという瞬間に、こんな会話になって、私は泣きながら、「なんで??」とかなしさと、やっぱり私ってだめじゃん。

ほかのいろんなことが出来たって、妻はできないってことじゃん。
母も失格ってことじゃんと、ボロボロだった。

けど、その日は広報の印刷をして、会議もあって。。。

喧嘩の原因とか、反省をしていては、ことは進まない。

こういうときは、「手話通訳のkasumi」さんが登場してくれて、頭のすみっこには夫の気持ちを考える人もいたけれど、今日は「家に帰らない」と思っている人も混在してて、それでも仕事モードで頑張っていた。

周りにはたくさんの人もいたし、私のお願いを聴いてくれて、それを着々と、進めてくれてたので、平常心というよりもっと心が揺らがないように踏ん張っていた。

すると、いいタイミングで電話とメールでごめんね。

私は、「どういたしまして」と返す。

言葉がみつからないからだ。

あとで聴いた話では夫は、「駄目メッセージは、子育てによくない」と職場で言いながら「家庭ではずっと言い続けていたなんて・・・」とショックを受けて、泣いていたのを娘によしよしイイコしてもらったらしい。

私は人格交代がある。
自分でもいつかわったのかわからない時もある。だから記憶のないところで、「嘘をついていた」と言われるととても悲しい。

私は自分で意図をもって嘘をついているわけではないし、誰かをだまそうと思っているわけでもない。

けど、結果それが「嘘」になっているということもあるのかもしれない。
特に夫はそれを長いこと見てきているわけだから、そう思うのも仕方がないことだと私は思っている。

でも、記憶が比較的に長く保持できている今を生きている私は「嘘」をついて生きているわけではない。

この日、私はうつになってからは、扶養家族に初めてなって、「一人では生きていけなくなっちゃったんだ」と自分の持っている力が弱くなった気がしてた。

年末調整も、働ける金額を気にしながら、限度額を超えないようにしてきた。

今年は、それを気にする必要がないくらいの仕事量だったから、気が楽だった。

けど、最後に家を出るときに、「もう私は一人でも生きていける。だから、扶養にならなくても別にいい。私が必要ないんだったら、離婚でもいいよ」

そう言った。

いつまでもそう責められているのも限界だからもういいよ。

本当にそう思っている人がいるんだな・・・と、自分でもびっくりだけれど、一人でなんとか出来るって思う自分もいるんだ・・・と、病気をして以来、もう朝から晩まで働けないだろうな・・・とあきらめている自分じゃない自分もいることを知った。


こういうことは、長いこと夫婦でいるとあって当たり前だけれど、仕事らしい仕事もないのに、こんなことも考えちゃうのね・・と同時に夫は夫で、「25年責められてばっかり」と思っている私と対面してそれもショックらしく、イライラして私を見ている表情が優しくなっていた。


確かに面倒な私ではあるんだけれど、だからと言って私だけが悪いのだろうか。

結構私だって、彼の悩みや、想いは聴いてきたし、はちゃめちゃな部分で傷つけてきたこともあるけれど、それはお互い様な部分でもあるんじゃないのかな?と私は考えてきた。


これで「離婚」が成立することはないと思うけれど、「多重人格」の私がごめんなさいと思っていたこと、けど「違う」と思っていたことがはっきりわかった日でもありました。


その後、ご飯を食べ、昨日は百人一首をし、朝に弱い私は見送れずに、布団の中から「バイバイ」と手を振った冷たい妻ですが、それなりに起きて、「ゴミの日だよ」という言葉に、「わかった」と返事をして、別れました。

外は雪です。

函館より寒いところに帰るわけだれど、彼の家は割と新しく我が家より暖かいそうで、昨日は暖房費を節約する窓の所に置く壁を買ってもらい、心なしかいつもより暖かいような気がします。


夫がいる時に喧嘩をしないという宣言は破ってしまったけれど、心の内を伝えられたこと、それを真摯に受け止めてもらっていること、それにはとても感謝しています。

たしかに迷惑をかけていることは私の方が多いのだけれど、だからと言って、傷つく回数が多くてもいいということにはならないんだよね。

それは伝えてもいいんだよね。

そういう気持ちは我慢しない方がいいのかも?と思った時間でした。

昨日は夫の念願の焼き肉で、「まだ食べるんだ」というくらい娘と食べていました。


また、車の運転再開です。

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