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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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おそらくpianoを弾きながら自分で歌う事を始めたのはこの曲が初めて。今調べたらこの歌は、私が15歳の時に作られていた。
楽譜をみて・・・はだ。

それまでは誰もいない海とか、なんだろ・・・コードをみて弾いてたのかな。
メロディがわかれば、伴奏はなんとなく作ってたのか・・・。
あ・・・・guitarのコードと音か。

そうそう、和音の仕組みはわかるから、ABCDEFGはわかって、メジャーコードなのか、マイナーなのかセブンスなのかくらいは、耳でわかっていたのかもしれない。

高校の音楽の授業の試験は調音で、和音を聴き分けられれば、その時間はおわりってことがあって、友人と二人で中庭で遊んでた事があった。(笑)
噴水があって、なかなかいい場所だった。


それまでは友人の伴奏や部活での伴奏、コンクールの伴奏が主だった。
でも人の前で歌うのは、大人になってから。

いやちがう、高校の学校祭でのど自慢にでたっけか・・・。

合唱部の先輩が「カトンボらしくないよ。緊張したの?」って言われたっけね。


ピアノの位置が、実母との時間の多い家の方だから小学校高学年か中学2年くらいまでの間かな。

苫小牧にあるヤマハは結構通った。お店は駅の近くで、レッスンは別なビル。近かったけど。

高校ではそのヤマハの先生だったし。

なんでユーミンの楽譜持っていたんだろうね。
記憶違いかな。

私が10歳の頃ってユーミンいたのかな?(デビューしてました)

高校は合唱部だったから、卒業式はもっぱら「卒業写真」で先輩たちを見送った。

中高時代の記憶は本当につながらない。

生徒会の議長をやってたり、怖い先輩に因縁つけられたり(笑)

記憶にないことでいろいろトラブルが起こり始めたのは高校が頻繁だった。
すごく親しかった人が次の日には、私を無視したり・・・。

たぶん記憶には無いけど、私が何かをしでかしてたんだろう。

高校の先生からのセクハラも。

いまでもその感触は私の肌にくっついてる。
その日列車の中で大泣きした。
もちろん、同じ車両の友人たち、先輩達、後輩たちは、びっくり仰天。

どうしたの?って聞かれても説明できず、ただ泣いていた。

その時、「ミッチらしくないよ」って言われたのを機に友人たちにも、本当のことは知られてはいけないんだな・・・って。

このころからかな。
一言に反応するようになったのは・・・・。
わたしらしくってなに?
わたしって誰?
そんな疑問はいつもついて回っていた。




どっちにしても、「死」って言葉が入ってるから死にたかったんだよ。 このころは、剃刀の刃はいつもカバンに入っていた。 横に切ったり、縦に切ったり、公園で一人で過ごしていた。 血が流れると、暖かいって思うんだよ。 そして痛みで我に帰るんだ。 それが生きてる証拠だったんだよね。死にたい私と、死ぬのはあほらしいと思う私の葛藤だったのかな。 2番目と、主人格の戦いだったのかな。主人格以外はテキパキ派。(笑)

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